515 斎藤元彦 兵庫県知事という逆風
はじめに
大阪府議摂津市選挙区の補欠選挙で、維新の会の候補者の敗北が知らされました。昨日、9月22日に開票された結果は僅差ではありましたが、大阪維新の会の公認候補が次点で敗れるという異例の事態でした。
それもそのはずで、維新の会の公認候補者がこの選挙区で敗北するのは2010年の結党以来初めてのことだそうです。つまりこれまで勝ち続けてきた牙城だったわけです。
兵庫県の斎藤知事の問題をめぐる動揺は、大阪府内の箕面市の市長選挙の結果にすでに現れています。改革のためなら「パワハラ」「公益通報者つぶし」をしてもかまわないといった様相で政治を進める姿に対して、多くの有権者がNOを突き付けたとしたら、この逆風はまだまだ国政選挙にまで影響し続ける可能性があるのではないでしょうか。今日の教育コラムでは、斎藤元彦兵庫県知事が生み出しているこの「逆風」について少しお話してみたいと思います。
敗戦の弁
「絶対に負けるわけにはいかない」と意気込んでいた、維新の会の幹部議員の言葉は虚しく砕け散ってしまいました。結党以来、議席を守り続けてきた大阪府議の摂津市の選挙区において、維新の会の公認候補者が敗北したのです。維新の会の斎藤元彦兵庫県知事の告発者への強権的な対応への問題意識は、お隣の大阪にも大きな影響を及ぼしています。
この問題は、告発文章の中身の問題以前に告発した人間を誹謗中傷をした人間として決めつけ、その文章の評価を告発されている当事者である権力者が判断したことの誤りを認められるかどうかという問題なのです。
そこの初動に明らかな問題があるにもかかわらず、これまで真実の追及を理由に擁護してきたとも見られかねない対応をしてきたのが維新の会であるという構図になってしまっているのです。
この斎藤知事の初動の間違いを指摘しきれないできた維新の会への批判が収まっていないのです。維新の会の公認候補者は、選挙戦の告示日の第一声ですでに「ものすごい逆風。結党以来かもしれない」と危機感を口にしてました。
なぜ逆風なのか
これは、事実の積み上げの問題ではなく、維新の会という政党が「道義的な責任の意味」が分からないような人間を推薦したという事実と辞職を説得してもそのことが伝わらず、政治的なガバナンスに基づく制御ができないような人間と政策協定を結んでしまったということへの批判なのだと思います。
結果として、今回の選挙では大阪維新の会の大阪府議だった中川元府議は市長選で出馬して落選しました。また、これにより空席になる府議の議席についても維新の候補者が落選しました。地方政党としての大阪維新の会にも国政政党としての維新の会にも有権者の厳しい審判が下ったと言えます。
改革への印象が変化
「政治改革」「県政刷新」「身を切る改革」などといった言葉への印象を斎藤元彦知事をめぐる問題が一変させてしまったと思えるのです。維新の会の政治家の何人かが「文句を言うやつは万博出入り禁止」という言葉を使ってきました。国民の血税を次から次へと投入しているこの事業ですらも党の私物化の対象にしているかのような印象を持つ人もいるでしょう。
そして、そうした姿勢の延長線上に斎藤知事の問題が発生しました。改革のために厳しい叱責や言葉を発し、机をたたき、物を投げ、犯人探しを指示し、告発文書を自分の都合のいいように決めつけ葬り、報復するといった姿勢は県民やその近隣の府民や県民にどのように映っているのでしょう。
高齢者を排除し、若者の手で政治を前に進めるといった年齢による分断や仕事のできる人できない人で差別するような言動を社会はどのように見ているのでしょうか。
改革というと聞こえはいいですが、強権的な独裁者であっても改革はできます。私たちが政治をよりよくしていくための改革は民主主義の原理原則にのっとり、基本的な人権を尊重し合える関係性の中で進めるべきものなのです。もしかすると、刷新、改革という言葉に恐怖や独裁などという印象がこびりついてしまったことが維新の躍進にブレーキをかけてしまっているのかもしれません。
続けざまの現象として
その証拠として、8月25日の箕面市長選での維新の現職市長の敗北、今回の府議会選挙での敗北、摂津市長選挙での不戦敗、吉村洋文知事の地元である河内長野市長選挙での候補者を擁立できずに不戦敗と最も強い大阪を中心とする近畿地方における影響力を低下させています。
斎藤知事の問題への対応、そして、その後の出直し選挙の動向、辞職か失職かの選択、議会の解散を含めた選択など、今彼のみに許されている選択権の行使が、日本維新、維新の会に多大な影響を及ぼすはずです。
県政の停滞だけではなく、最後には改革派の国政政党にまで大きな余波を生じさせ停滞させる可能性すらあるのです。
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