602 兵庫県文書問題調査特別委員会「奥谷委員長の魂の弔辞」
はじめに
今日も兵庫県で今起きている出来事をとらえて少しお話してみたいと思います。なかでも12月22日の県民集会についてお知らせすることと、12月25日の総括尋問に向けて、準備を進められている百条委員会奥谷謙一委員長が今回の問題の真相究明に向けていかに全身全霊をかけて取り組まれているかを述べていきたいと思います。
県民集会のお知らせが様々なかたちでお知らせが出ています
いくつかのお知らせが出ていますので、リンク先をお知らせいたします。ご参加できる方は、是非、印鑑を持参のうえ会に参加していただければと思います。
兵庫県 斎藤元彦の告発者への言葉
未だ、墓前に手を合わせることもなく、斎藤知事が告発者の元西播磨の県民局長におくった言葉と言えば、斎藤知事の定例会見で述べた言葉くらいしか耳にしたことはありません。その言葉とは次のようなものです。
「元県民局長が亡くなられたことに対しては心からお悔やみを申し上げたいと思っています。県政に長年ご尽力頂いた方でしたので、心から残念で感謝をしています。」
奥谷謙一氏の弔辞全文
7月19日の百条委員会の1回目の証人尋問で証言を予定していた元西播磨の県民局長は、7月7日「いっしをもって抗議する」という言葉を残しこの世を去りました。証言することが出来ずにこの世を去った渡瀬さんに奥谷委員長は百条委員会が始まる冒頭で次のように弔辞を述べれています。
その様子は下の百条委員会の動画よりご覧いただくことができます。
渡瀬康英(わたせやすひで)さんに捧げる
弔辞の文字おこししたもの
奥谷委員長の決意が込められたこの弔辞は、「渡瀬康英(わたせやすひで)さんに捧げる」という言葉から始まります。
「渡瀬康英(わたせやすひで)さんに捧げる」
これほど苦渋に満ちた言葉を述べることになるとは夢にも思っていませんでした。元西播磨県民局長・渡瀬康英氏(わたせやすひで)氏が7月7日 幽明境(ゆうめいさかい)を異(ことに)されました。本来ならば今日この場で相まみえて、文書に託された問いかけの真意をお伺いするところでありました。しかしその願いを果たすことは泡沫(うたかた)のごとく霧消(むしょう)してしまいました。
去る7月7日、60年あまりに及んだ人生の営みに自らの手で終止符を打たれたのです。
脳裏には何が映し出されていたのでしょうか。胸中やいかばかりであったのでしょうか。この悲しみとやりきれない気持ちを正確にお伝えする言葉を持ち合わせていないことが残念でなりません。痛恨の極みであります。
渡瀬 康英(わたせやすひで)さんは京都大学を卒業後、生を受けたふるさと兵庫とそこに住まう人たちに尽くすことを志し、昭和62年、兵庫県庁に入庁され、第一歩を踏み出されたのです。
以来、行政マンとして内部管理の分野など県政の枢要(すうよう)を歩み、創造的復興の最前線を担いつつ、県政発展に心血を注いでこられました。その足跡には兵庫県職員としての能力は言うまでもなく、正義感に溢れ、かつ人に優しく、取り分け年少職員を思いやる篤実(とくじつ)さが輝いていました。熱い人望に集い、人柄を慕って、ある人は一樹(いちじゅ)をもって森をなす存在であったと述懐(じゅっかい)しておられます。
4月1日 当局の措置に異議を訴える文書を配布されました。
その中には後輩がのびのびと仕事ができるように県政が変わってほしいとの切なる願いがしたためられていました。
加えて、アメリカの神学者ラインホルト・ニーバーが人のありようをとき、静隠(せいおん)の祈りとも訳されているニーバーの祈りの一節が引用されていました。
「神よ、変えてはならないものを受け入れる冷静さを、変えるべきものを変える勇気を、そして、変えてはならないものと変えるべきものとを見分ける知恵を、我に与えたまえ。」
後輩諸君への最後のエール として綴り(つづり)結んでありました。思えばこれは心からなる 血涙(けつるい)の叫びではなかったでしょうか。
我々にとりまして、その証言が最も重要だったことは間違いありません。しかしそれがかなわぬ今となっては、立ち止まることなく与えられた責務を粛々と果たしていく。
すなわち、文書の真偽(しんぎ)を白日のもとに明らかにすることが務めであり、また怯(ひる)み滞(とどこお)ることのない取り組みと試みこそが遺志に報いる唯一の最良の道であると信じて疑いません。
その上で県政を混迷から脱却させ、奉仕である姿を取り戻し、正常なる軌道に乗せることに持てる力を注ぎ込む決意であります。
委員各位の全幅のご理解とご協力を改めてお願い申し上げる次第であります。今、渡瀬康英(わたせやすひで)さんの御霊(おんれい)は中天(ちゅうてん)の空(くう)にあるのでしょうか。願わくば、天上より私たちの処し方、行く末を見守っていただきますように、切にお願いし、送る言葉に代えさせていただきます。
さようなら、渡瀬康英(わたせやすひで)さん。安らかにお眠りください。
続く誹謗中傷
斎藤知事の告発者への謝罪の思いを込めた言葉を私はいまだに一度も聞いたことがありません。対する奥谷委員長のことばは、告発者との誓いを強く宣言し思いを重ねている言葉です。
それにも関わらず、斎藤知事を当選させる目的の仮定で捏造されたデマと嘘の数々は、奥谷委員長に対する誹謗中傷の言葉としてSNSや動画配信で拡散されていきました。その内容は、選挙に考慮し選挙期間直前の百条委員会を秘密会としたことや公用PCの中身を公開しないことが奥谷委員長が情報を隠蔽しているためであるという悪質なデマの数々でした。
2馬力選挙の1人は、自宅まで押し掛けマイクやスピーカーなどを使い脅迫まがいの街頭演説までしています。現在、該当する人間は名誉棄損や脅迫罪で捜査当局の捜査対象となっています。
そうした中でも、斎藤知事は選挙期間中から今日まで県職員やその家族また真相究明を進めている県議たちへの誹謗中傷をやめるように促す様なコメントを出すことはありません。
12月25日、総括尋問を予定している百条委員会の正当性やその委員長の告発者への誠実な対応に感謝するとともに応援の意を示したいと思います。