無趣味が分からない
企業で研修する際に、自身のワークライフバランスを振り返ってみようというワークをしてもらうことがあります。
そうすると、時々いるんですよ。「無趣味」ってひと。
で、話を聞いてみると「毎晩、家帰ってとりあえずテレビつけて見るくらいですね~」「テレビ好きなんですか?」「はい。それくらいしか楽しみないですもん」。
それ、趣味じゃねぇかよって。
※下記Wikiより
趣味(しゅみ)は、以下の3つの意味を持つ。
①人間が自由時間に、好んで習慣的に繰り返しおこなう行為、事柄やその対象のこと。
②物の持つ味わい・おもむきを指し、それを観賞しうる能力をもさす。調度品など品物を選定する場合の美意識や審美眼などに対して「趣味がよい/わるい」などと評価する時の趣味はこちらの意味である。
③人間が熱中している、または詳しいカテゴリーのこと
上記のように見ていくと、「毎晩テレビ見るくらいしか」ってのは趣味じゃんって。毎晩繰り返してるんだから。
そんな感じで、何かしら、皆さん習慣的に好んでしていることってありますよね。それを趣味って堂々と言えばいいんじゃんか、と。
だから、「無趣味です」なんていう人って、どこかで趣味を持つことに対しての罪悪感みたいなものを持っているから「無趣味ですアピール」をしているのかな…と最近感じてます。
趣味に夢中で仕事に集中していないんじゃないか。趣味と家族どっちが大事なの。そんな風に、趣味ってどちらかと言うと「大人になってからセーブするもの」みたいなイメージで語られがちです。だからこそ、防衛策としての「無趣味です」アピールってのもあるのかなとふと思ったり。
趣味で得られるもの
以前ある仕事を引き受けたんですが、その依頼先は趣味で繋がった方からでした。自身の会社で研修したいと。ギター話抜きでやってくれと(笑)。勿論お引き受けしました。
そうしたちょっとした繋がりが、食い扶持になったケース。結構あるんですよね。でもそれも、そうしたコミュニティでお互いの事を知ることが出来ていたからこそ。
これこそ、仕事と私生活の相乗効果なんじゃないかと。
だからこそ、仕事以外の世界って必要だなと感じるわけです。その一歩として、自身の趣味を活かしていくことって、価値のあることじゃないかなと。
人生100年時代、いつそうしたつながりが活きるか分かりませんからね。