二宮ひかる『シュガーはお年頃♡』について
作品名のハートマークが文字化けしているかもしれないが、各自補ってほしい。
私にはこの作品は一部かなりハードな性暴力を扱ったものと見え、以下の文章もそれに沿ったものとなるので、特に過去に被害に遭った方は読むかどうか慎重に考えていただきたい。
この作品は主に女子高生二人の絡みで構成されている(最終巻である3巻は若干違うが)。その二人とは、「将来は娼婦になりたい」と思っている畑中恵子と、売春をやっていると学校で噂を立てられている浅見椿である。
畑中のいう「娼婦」とは具体的な風俗業のことではなく、ふわふわしたイメージに過ぎない(1/pp. 71-72)。同性のコミュニティーの中で疎外感を持ち、特に異性との接点もない彼女は、行き場をなくした性欲と誰かに肯定され受け入れられたいという欲求の混合を娼婦という言葉に託しているのだろうな、と私は読む。本当は慰められたいのは自分なのだが、そうしてくれる相手もいなそうなので、その代わりに誰かを慰めることに満足感を想定するのである。だから彼女は、金だってもらわなくてもいいのだ、と言う。
畑中にとってはある種のロマンを感じさせるのだろう概念上の「娼婦」を、ときどき入る浅見の言葉が一気に地上の世界に引きずり降ろす。浅見は「少年少女の7割がヤンキーという土地」出身であり、そこではカラダを用いることと、それに伴う暴力が日常的にあったことがほのめかされる。
あれ はっ… すごく簡単に!
ボロボロになんだよっ‼
そりゃ 全部が全部そうだとは言わないよ?
でもっ…
――簡単に騙したり騙されたり
投げやりになったり
そんで
簡単に! 死んでくよ
そうゆうの…
いっぱい見てきたよ…
(2/p. 86)
このような台詞のほか、中学時代の浅見自身が実際に男たちの権力争いにおけるトロフィーにされ、人間扱いを求めると暴力を振るわれそうになり、別の男たちに肉体の使用をちらつかせて助けてもらうことを繰り返す……という地獄のような描写がある。この極めつけに、複数人の男のいる部屋に実質軟禁される前の場面(1/p. 180)では、彼女の予期した絶望に感化されてこちらの血の気が引いてしまうほどである。
こうした浅見の過去の回想はかなり力の入ったものであるにもかかわらず、それはすぐさま畑中の勝手な想像であるとされ、夢オチに近い扱いを受けている(1/p. 188)。こんな過酷なものが現実であるはずがないという、頼りない否定のしぐさがここにはなんとなく感じられてしまう。つまり、妄想としなければやっていられないような痛み(誰の? 作者の?)がその回想=想像シーンには宿っている気がするのである。あるいはその夢オチ宣言は、浅見を容易に憐みの対象にしてはならないという警告だったのかもしれない(それはあまりに作劇術に毒された見方だろうか)。
しかしながら、浅見の語ることや浅見について想像していることが事実であろうがそうでなかろうが、究極的にはどちらでもいいのだという結論に畑中はたどり着く(2/p. 156)。彼女なりの論理を追って、それで納得するかどうかは読む人次第だろうと思う。今回は時間をあまりかける気はないので私自身の見解については語らない。
ただ一つ言えることは、これは、世の中はホントはこんなに汚くて最悪なのに、それに縁がない温室育ちの子が娼婦とか言っちゃって呑気なもんだねえ、という嫌味のこもった物語ではないということである。浅見の過去に、陰惨な(しかし地方に行けば腐るほどある)光景が透けて見えるからといって、この物語をそのようなつまらない嫌味で終わらせるのは明らかに間違いである。畑中が娼婦になりたいという夢に託した欲望には、無邪気な好奇心には要約できない痛切な根拠がある。それは、人の輪に入ろうとできるだけ努力しても、誰からも興味を持たれず、むしろ自分も誰にも興味がないのかもしれないと思えてしまい、ゆるく浮いている学校生活の心許なさである。畑中が過ごす学校生活の描写はひとつも無意味ではなく、それらがどこかで娼婦の夢に続いているのである。快活で程よく構ってくれる家族に恵まれようが、痴漢に遭った経験が今までなかろうが、畑中には畑中なりの嫌なことや悲しいことや悔しいことがあり、しかしそれらを雑にはたき落としつつ彼女は生活している(cf. 2/p. 77)。そんな中で、何かイレギュラーな慰めに憧れるのはそれほど不自然なことだろうか※。
世間知らずなどどこにもいない。「世の中の暗い部分」を知らないでいるのが愚かなのではなく、たかが知っている物事のジャンルが違うくらいで、人のことを苦労していないだとか判断するのが愚かなのである。浅見はこの作品のなかで、そのことを学ぶ(2/p. 78)。
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※...ただし、娼婦というイメージに崇高さを持たせるオリエンタリズムのような視点は現実のセックスワーカーの姿を覆い隠し、搾取を助長するかもしれない。また、そのイメージに感化された青少年が無駄な行動力を発揮し、しなくていい苦労をすることも私は望まない。憧れるのは自由だが、危険を想像できないなら問題がある。浅見はまっとうな忠告をしていると私は思う。
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