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バスボム(文学フリマ東京39に向けて)

バスボム/観月


※この投稿は〈サークル:dis√joint〉の文学フリマ東京39販促用私小説です。出店情報につきましては、前回投稿した記事、またはX(旧:Twitter)をご覧ください。
文学フリマ東京39に出展します!(せ‐33)|dis√joint
disjoint @文フリ東京39 -33@disrjoint)さん / X


 十月の初めに京都御苑に観光に行ったとき、何故か御所の中に入れなくて、拍子抜けした。インバウンドの観光客も、中に入れないことを察してか、(なんだよ! とでも言いたげな)硬い表情をしていたのを記憶している。
 御所の各門の近くにはパトカーが配置され、警官が入口の見張りをしていた。不勉強な僕は、一般の寺院なんかと同じように、つまりはもっと簡単に出入りできるものだと疑わずにいた。けれど、行ってみれば、どうもそうではないようだった。後からホームページを見たら、そもそも休止日がきちんとスケジューリングされていた。
 御所の周りは塀、というよりはもはや壁で囲われていて、僕は意味もなく周囲を一周した。もちろん収穫なんてある筈がなく、ただ一つ受け取ることのできたものがあるとすれば、それは壁の「落書をしないで下さい」のメッセージだけであった。御苑の中には、御所の他に、京都迎賓館と言う施設もあった。伝統工芸品などの展示があるようだった。そこをGoogle MAPで調べてみると、「政府機関」と説明がされており、実際、入口まで行ってみるとどこか重々しい雰囲気があった。明確な目的がない身で入るのは憚られた。
 結局、僕は松の木と、柳と、梅と、百日紅と、それから狂い咲きした桃の花を近くから眺めて、京都御苑を後にした。そして一条戻橋へと向かった。
 京都の一条付近は由緒のある場所で、相当地価が高いと小耳に挟んだことがあった。同じ京都市民の中でも、御所に近い場所に住む人はトップカーストにいて、他にマウンティングができると。それは下らないことかもしれないが、きっと一つの事実として存在をしている。
 京都御苑から一条戻橋へは、一条通りを西に一直線に通って行けば辿り着く。京都の街並みは碁盤の目と表され、殆どの路に名前が付けられている。有名な丸竹夷のわらべ歌では、東西の通りの名前が語呂合わせで歌われている。歌詞には京都中心部の主要な通りが登場するのだが、そこに一条通りの名前はない。京都御苑の南端と面している丸太町通りから南方へ、二条城のある二条、繁華街の三条、四条と下ってゆき、京都駅や東寺を越えて更に南に行ったところの十条までが歌われる。一条通りは御所の北側に接していて、何故かは知らないが、その歌には綴られていない。
 そもそも、現代の一条通りはさほど大きな路ではなく、実際に歩くと、中央分離帯のない、細い路であった。風情がないわけではなかったが、観光向けにデザインされた感じもなかった。平安京の時代ではどうだったのか、その時代からどれだけの変遷を遂げたのか、不勉強な僕にはわからない。それでも、一定の格式があること、歴史があること、それらが現存していることは肌で感じ取られた。
 一条通りに入ってすぐ、和式の塀で囲まれたマンションが目に付いた。そこから体感で十数分歩くと、一条戻橋に辿り着いた。場所自体は小ぢんまりとしていたが、赤と白の彼岸花が植えられていて、良く手入れが成されていた。そこには、炎の燃えるような印象があった。

 十一月、文学フリマの準備をするのにメモ書きをしたくて、それで何を思い立ってか、万年筆を使おうと思った。別にボールペンで問題なかったのだが、風情を出したいとか、折角持っているのだから使いたいとか、そういった、思考として形成される以前の曖昧な思いで、万年筆を手に取った。
 が、インクが出なかった。中を開けてみると、コンバーターの中身が殆ど空っぽになっていた。万年筆は、使い捨てのカードリッジ式インクを使うものの他に、瓶入りのインクをコンバーターで吸い上げて使うものがある。僕は後者のインクしか持っていなかったので、ペン先からコンバーターを取り外して、インク瓶からインクを吸い上げることにした。だが、上手く吸い上げることができず、出鱈目にコンバーターを回した。結果、コンバーターのパーツが分離されてしまい、片方がインク瓶の中にダイブした。僕は少し慌てて、インク瓶を水道へと運んだ。
 数分間、シンクの中でインク瓶と格闘した結果、コンバーターのパーツは取り出すことができて、そして直すことができた。しかしながら、親指と人指し指が青いインクで汚れた。家にはピンセットがなく、短い毛抜きを瓶の口に突っ込む形で、中のパーツを挟んで取り出したのだ。それで、必然的に指がインクに触れることとなった。このインクが厄介なもので、念入りに洗わなければ皮膚から取れてくれない。僕は洗剤を使って軽く指を洗ったが、大して取れそうになかったので、少しもしない内に諦めた。
 机に戻り、インクを補充した万年筆でメモを執ろうとするが、書けども書けども文字は掠れたままだった。インクが浸透するまでには相応の時間を要するのだ。結局、直筆でのメモは放棄して、iPhoneのメモ帳に文字を打ち込んだ。
 青いインクの取れないままの指で、米を研いで、夕飯の支度をした。遅い夕飯だった。行った作業の内容はさほど重要ではなく、殆ど進行もしなかったが、時間だけは満足に奪って行った。
 バスルームに入って、シャワーを浴びている最中、炊いて余らせた米を炊飯器に入れたままにしているのを思い出した。蓋を閉めていると冷めないから、開けた状態でキッチンペーパーを被せていた。一人暮らしで三合炊きしたご飯。風呂を出る頃にはカピカピになっているかもしれない。別にそれで構わない。後でカピカピのままラップに包んで冷凍庫に入れようと思った。荒んでいた。
 湯船に入る前、入浴剤を入れていないことに気付いた。僕は湯船に浸かる際、入浴剤で身体を温めることを小さな楽しみにしている。入浴剤がないと入浴が始まらない。逡巡の後、バスルームに掛けていたタオルで上半身の水滴を拭い取ると、ドアを開け、洗面台の下の収納スペースに手を伸ばした。物を入れてあるカゴに手を突っ込んで、最初に手に触れた袋を摘まんでみる。指の触覚を通じて、こんな入浴剤があっただろうかと疑問に思う。引き上げてみると、その正体は、京都のホテルでアメニティとして用意されていたバスソルトだった。貧乏性な僕は、一か月ほど前、京都からそのバスソルトを持ち帰っていたのだ。

 僕はあのとき、京都御所で困る外国人を見て、勝手に共感した気になって、"F××kin' Japanese People!!”と心の中で叫んだ。それに頭の中で、lil soft tennisの「Fucked Up!!」のサビを大声で歌った。東京の方から来たと言うだけで、Tokyoのラッパーになっていた。壁を作るまでもなく、壁が目の前にあったから。京都自体にはマジでなんの恨みもなかったけれど、体内で——皮と肉の内側で、行きどころのない呪詛を蔓延させていた。
 良くない言葉を浮かべることで、精神の壁は取り払われた。と言うか、僕の、周りの人々や自分への怒りは、行きどころがないもので、衝動的に霧散させるしかなかった。それで良かった。他の観光客はそうではなかったかもしれない。僕以上に苛立ちを覚えた人もいるだろうし、苛立ちなんて感じなかった人もいるだろう。そもそも観光に来るのなら、事前にちゃんと調べて、スケジューリングするのが普通かもしれない。それをしなかったために壁の中に入れなかったのなら、運が悪かったと割り切るべきだ。あるいは、その運の悪さを呪えば良いのだ。僕は僕をこのように運んだ社会をこそ、僅かに呪った。それはきっと、落書きをするときの衝動に近かった。

 湯船に入れたバスソルトからは、レモングラスの匂いがした。普段とは違う、苦くて爽やかな匂い。それは檸檬ではなかったが、銅線は繋がっているように思えた。あるいは、集合させれば爆弾に成りうると思えた。
 このバスソルトをボムにしようと思った。僕の頭は小説を書きはじめた。京都御所の横の通りが思い浮かぶ。ぷかりぷかりと揺れる水面を、打った手の青いインクが溶けてゆく。右手を手榴弾の形へと変える。親指と人差し指の爪先から消えてくれない、その青々とした青を、爆弾のピンに見立てる。バスボム。指の隙間に火薬の粒子が光って見える。爪弾いたぬるま湯が、小さな集合を成して、跳ねる。——僕らは架空を、文章を、ボムを、書いた。

 自殺を予告する友人、とりとめのない思考と詩、テレアポ営業、まばゆい関係、病的な大学生、外出、ボム。それらをしたためた冊子を、十二月に出す。東京ビッグサイト。西ホール。コミケなら企業ブースが並ぶはずの場所。その、格式あるスペースに、この黄色い果実を置く。

※この私小説はフィクションであり、実在の人物、団体、建造物などとは一切関係ありません。

狂い咲く呪い燃ゆれば爽やかと