私は農作業があるからしあわせ
たとえば、煮え切らないこと。
心がぐぢゃぐぢゃで、落ち着かないこと。
腹がたって腹がたって仕方がないこと。
許せないこと。
そんなことがあっても、緑のなかで、柿に話しかけていると、心は落ち着き、怒りは収まった。
代わりに、なぜか悲しくなり、寂しくなり、情けなくなった。
そして、無性に父と祖母がこの世にいないことが寂しくなり、気付けば、あの世にむかって話しかける自分がいた。
久々に妹から電話があったと思えば、何かしら企んでいるのがわかったので、真意をつかもうと試みた結果、電話の相手は、母に変わった。
最初の電話口が、妹であることは、珍しい。
母が電話をすると、最終的に、こうなることが予測できたのだろう。
「note」できれいごとを書いている割には、ヒトツも成長していないのかな。
それとも、よっぽど相性が悪いのか。
グヂャグヂャのまま、電話をきった。
毎日母の傍でいるだろう、妹が電話をかけてくることは、初めてだったかもしれない。
めったにないことで、かかってきた電話のせいで、私の心はグヂャグヂャ。
夜も眠れなかったけど、畑で、ヒトリ泣き、ヒトリ考え、ヒトリ思い、ヒトリ悲しんでいると、心が整理されていく。
それに、そんなことを忘れるくらい、柿の世話が大事。
畑の真ん中で、休憩時間に、大好きないきものがかりの「歩いて行こう」を聴いてると、気持ちが切り替えられる、そんな感じもなんだか幸せ。
気力が、どこからともなく湧いてくる。
ふつかたち、みっかたつと、気持ちは吹っ切れて、執着心がどんどん解き放たれていくのがわかる。
まだ、傷んだ心が完全に癒えたわけではないけれど、夜もだんだん眠れるようになった。
日光を浴びながら緑のなかで、夢中になれることの有難さ。
あれから、数日たつけど、信じられない位に、心は解き放たれ、元通りの日常に戻ろうとしている。
これが、なにもすることなく、部屋にとじこもるだけの毎日だったらと考えると、おぞましい。
柿や山椒は、私の話しを聞いてくれ、日光や緑は私の味方になってくれる。
そうして、今までやってきた。
だから、今回もだいじょうぶ。
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