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見返りを期待しないですることが、感謝される。

前回、「感謝」について記事を書いてから、「感謝」について考えてみたり、「感謝」を感じることがあったりした。

私が、母や義両親に感謝できなかった一つの理由に、「○○したった(してやった)」が彼らの口ぐせだったことにある。

母は何かにつけ「育てたった」と言った。
子供を産めば、子供を育てるのが義務なのに。が、子供の言い分で、感謝の気持ちには至らなかった。

義父が言うには「山椒の苗を植えたった」
私たちの収入源の柿の畑を、勝手に狭めたのに。
柿の何倍もの収入を、ぜんぶ持っていくのに。(畑にでることがなくなった今、さすがに最近はそういうことはありませんが)
人手が足りないと言っては、ただ働きさせられたり、柿の人手を持っていって、自分はほとんど働かないのに。

義母が言うには「子供の面倒を見てあげたわよ。大変だった」
送り迎えを1回でも頼もうなら、「大変だった」
義母も実母も、自分がいちばん大変な人なのだ。

周囲の小学生は、何かにつけ、同居のじいさん、ばあさんが送り迎えをしているところが多かったけれど、多分、うちの義両親は一番ひまだったと思う。孫の面倒を見ることに関しては。
挙句の果てに娘に成人式の際のお祝いをくれたことに関しても、「お祝いをやったった」と。

日常のことに関しても、何かにつけ「私がやってあげた」アピールがしんどい。
だから、育児に関しても日常のことに関しても、同居しながらにして、ほとんど頼んだことがない。
私が甘え下手で、ヒトリでやっちゃうタイプだからかもしれないけど。

区の行事や、常会など、主人が行けなくて、私が行かなければならないときも頼まなかった。
常会なんて、ほんの数百メートルといえども、夜道を歩いていかなきゃいけないし、車でピューッと行ってくれればいいのに・・・と何度思ったことか。
周囲は、同居の若夫婦が居ても、たいてい義両親の年代の人が出ているのに。

挙句の果てに、「わしらが居てるお陰で」だとか「わしらに感謝せなあかん」などのニュアンスで言うのが義父。

祖母(主人からすると曾祖母)はいたけど、ご自分の両親が居なかったに等しい人なので、そういう言葉も出てくるのかもしれないけど、そう言われると感謝しようにも感謝できない。

その上、義父母は基本同じ方向を向いているので、「お前たちが居てるから、お陰様で」という言葉も、どちらからも出てこない。


私を咎めるときも、いつも一緒だった。


ところが、つい先日、それを覆すことを感じることがあった。

数カ月まえに、義父との衝突を記事に書いたことがある。

めったに義父との会話がない私が、「衝突」をきっかけに会話をするのは、なんとも不甲斐ないが、衝突ついでに自分の思いを伝えた。

私は、健康な身体で仕事ができるのが、いちばん幸せなんですよ。

ここに嫁いでこなければ、農業に携わることだって出来なかったし。と。

義父はそうかそうかと、優しい表情で頷いていた。

こちらがそう言ったからこそ、返ってきた言葉かもしれないけど、義父から思いもしない言葉が返ってきた。
義母がいなかったからかもしれないけど。

私にはそれが本心だと思えた。

お前が息子(主人)の片腕となって働いてくれているのは、よくわかっている。わしは感謝してるよ。と。


え?!


まさか、そういう言葉が返ってくるとは思っていなかった。

私の脳の中で、空白の時間ができた。

正直いうと、泣きそうだった。

この十年ほど、心がけて、それを目指してきたから。
まさにその言葉どおりのことを。

誰にも言ったことはないのに、義父は見てくれていたんだと思った。

皮肉にも、嫁いできて、認めてもらおう、褒めてもらおう、喜んでもらおうと思って、がむしゃらに頑張っていたときには、何も言ってもらえなかった。

義父が年をとって、ますます自分で身動きがとれなくなったからこそ、感じてくれていたかもしれないけど。

「思われること」を見返りに頑張っても感謝はされないけど、見返りを期待することなく頑張ることは、感謝されるのかなと感じた。

義両親や実母も、「感謝されること」を見返りに期待しないで、してくれていたら、私も素直に感謝できたのかもしれない。

だけど、主人が義父と同じことを、思ってくれているかは怪しい。


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