会話したければ、会話したいなりの心がけ。私の持論。
結局、娘が下宿先へ戻る日の、見送りの車のなかでも、娘との会話はなかった。
何とか会話の糸口を見つけようと、2つ3つ言葉を投げかけるが、娘はイヤホンをしながら音楽を聴いているのか、最低限の短い答えのみで、うつむき加減で後ろの座席で、私たちとの接触を避けているようにも感じる。
別に喧嘩をしているわけではないけど、帰省中も、私たちが仕事のために、ほぼ時間を共にすることもなかったこともあって、会話をしたのはほんの少しだった。
時間に余裕がなくて、コンビニへも立ち寄ることもできなかったので、「これで、朝食、売店で買って食べ!」と、1000円札を手渡すのが精一杯だった。
ありがと
消え入るような小さな声で、娘の声が返ってきた。
両手は荷物でふさがれている。
私に背を向けて、目を合わそうともしない。
とっさに私は、娘の両肩にポンポンと手をやった。
また、連絡ちょうだいね。待ってるよ。
振り返りもせず歩き出す娘。
ちゃんと、ご飯食べやなアカンで。
バイバイ
ポンポンとやった手を払いのけることがなかったことが、救いだった。
そんなことをしたのは、初めてだったけど。
でも、なんだかせつない。
4年前、娘を下宿先へ送り届け、帰路につく道中で、涙ならたくさん流したのに、今またこの瞬間に、再び涙があふれるのはなんでやろ。
下宿先へ見送るのに、涙があふれたのは初めてだった。
別に生涯のお別れでもなくて、むしろとなり町へ新居を構えて、来月には物理的な距離感は近くなるのに。
涙が乾いたころ、主人がお手洗いから戻ってきて車に乗り込むのと同時に、私も助手席にふたたび戻り、運転しだした主人が言う。
さっきな、娘やと思って「お金、大丈夫なんか?」って声かけたら、人違いやったわ!
ホンマ、二人して、娘に甘々である。
お金なら、前の日、新居の一時金プラス余計に手渡したのに。
もともと、結婚資金の予定になるはずだったお金を。
それにしても、不愛想やな!
娘の態度に、憤慨する主人に向かって私は言う。
怒ったらアカンで!感情的になったらあかんで。
あの子はあの子で、色々あるのかもしれないし。
そんなこと分かってるわ。
少し拗ねた言い方の主人が、娘に対して甘々なのを知っている。
何でもどんぶり勘定の主人に任せるとロクなことにならないから、毎月の仕送り金額は、私が計算してきたけど、少し多めに送っていることを。
常連アルバイトさんからは、「娘さんのこと喋りはるとき、すごく嬉しそうに話すで」と言われている主人。
それだけに・・・。
だけど・・・・
そんな不愛想で居るんやったら、今すぐ車降りろ!って言わへんだけ、偉かったやん!(昔の主人やったら言いかねやん)
ちょっとチャラけて突っ込むと、
オレは冷たいだけや。そんな奴相手せえへんだけや。
少し寂しそうに返す主人に、私がなおも続ける。
感情的に怒鳴りつけたら、向こうからも感情的にしか返ってこおへん。
それやってしまったら、もうおしまいや。
二度と帰ってこおへんようになるかもしれんで。
そう言うても、自分の思いひとつで世の中動かへんで。
相手との「折り合い」が必要し、相手に対する「思いやり」も大事や。
なんや、あの態度は・・・。
「折り合い」なんてつけれるわけないやん。まだ人生二十数年しか生きてないんやで。
自分だって、若い頃「折り合い」なんてつけれる人間違ったやん、「思いやり」は後からついてきたやんと、言うのはやめて続ける。
喋りたかったら、年長者が話しかけたらな。
人生何年生きてきてると思ってるのん。
年いったもんが、話しかけたらな。
いつかは、もっと会話できるようになるよ。
私は待つよ。待ってあげようや。
自分だって、いきなり今の自分になったわけちゃうやん。
そら、そうや!
主人は否定することもなく、珍しく明るく返した。
主人は知っている。
私が実家の居心地が悪くて、社会人になって家を出たはいいけれど、帰省するたび、幾度となしに母に罵声を浴びせられて、感情的に言い返す私と喧嘩を繰り返し、疎遠になっていったことを。
そう、いきなり疎遠になったのではない。
「積み重ね」なのだ。
そのトラウマがあるがゆえに、もしかして私の娘に対する対応は、世間一般に比べて甘いのかもしれない。
だけど、そんな私だから、やはりどんなことがあっても、離れたくなければ、感情的になってはいけないと思っている。
「感情的」には「感情的」しか、返ってこない。
主人と喧嘩が絶えないときだって、意味もなく主人が感情的になるから、こちらはそのつもりがなくても、感情的にしか言葉を返せなかった。
都合よくいえば、人間は、意図しないときに攻撃されると、防衛反応が働くのだろうか。
かつての私が、母に口汚い言葉で言い返したように。
子供たちには、感情的に思いをぶつけないように気を付けていたせいか、私が母に使ったような言葉を言われたことはない。
会話したければ、まず年長者が先にというのも、私の経験から思うことである。
ここに嫁いできた私は、昔は、「シャベラナイ嫁」と義父に称された。
義父は、畑以上に足を運ぶ場所がたくさんある。
畑より、外へ出向くことの方が多かった。
広い交友関係をもつ義父は、今なお、毎日のように出歩き、誰かしらと喋って帰ってくる。
喋り出すと、話しがそこそこ膨らみ、会話が続くこともあるが、義父自ら私に話しかけることは少ない。私も話さないけど。
基本、客として迎えてくれる場所か、自分をヨイショしてくれる場所へ足しげく通い、喋るだけ喋って帰ってくる。
自分が相手に合わせて話すことは苦手のようだ。
地元の老人会へも顔をださない。
義母は、全く喋ってこない。
人との会話は、否定するか、全く違う話を持ってくるか、どこかしらズレていると主人も言う。
私が距離感を縮めようと努めたときもあるけど、会話が膨らむことはなく、断念した。
また、かつての若かった私へ、義母からかけられた言葉は、否定のもので埋め尽くされたので、苦手意識が拭えないので、今更、こちらからも喋ろうとは思えない。
結婚して数年たったころ、義父は、何かにつけ、「どこそこの嫁は愛想がよい」だの、「気立てがよい」だの聞こえよがしに言ったことがあった。
あまりにも何度となしに続くので、感情的に言い返したのは、たまたま主人が家に居なかったときだった。
悪かったよ!愛想が悪いヨメで!
母屋の台所と、ハナレはそう離れていなくて、暖かい時期で、ちょうどガラス戸が開いていた。
すると、義父母はふたり揃って、「なんやと!」という勢い張りで、ハナレの上がり戸口で腰掛けている私の前へ立ちはだかり、「いま、何いうたんや?!」から始まって、ふたりから総攻撃をくらった。
最後は、義母の「もうこんなん相手にせんと、むこう行こら!」の捨て台詞で幕を閉じた。
二人して総攻撃をしてきたのは、後にも先にもこの時だけで、そのときは、私も若くて、ただ茫然としていたけど、年を重ねて思う。
なんで他人の家に嫁いできたヨメを、リラックスさせてあげるべく、話しかけてあげへんの?
そんなにヨメが喋ったほうがいいんやったら、何十年も長く生きてきた方が、器を大きくして迎えてあげたらいいやん。
ましてや、「完全同居」やで?
世の中、喋る人ばかりとちがうで。
義父さんのように、喋る人ばかりやったら大変やで。
私がここで言うのは、何でもかんでも年長者が話しかけるのが正しい!ではなく、相手と会話がしたい場合のことをいう。
大人になれば、他人と会話する必要性がないのならば、「独りがスキ」でもいいと思う。
必要性に応じて喋ればよい。
もちろん、コミュニケーションが得意な方が得だということは分かっているけれど、世の中、いろんな人がいる。
それを、会話するのを強制するだとか、会話してこないから不服に思う・・・だとか、それは違う気がする。
特に家族内などの、密接な関係なら尚さら。
社会に出て「働く場」なら、それも含めて「仕事」なのだろうけど。
私は、それが向いていないから、農業を選んだ。
自然あいてなら、喋れるのではないかと思って。
喋りたいのなら、相手の心が開くまで、気持ちが傾くまで、しつこくならない程度に話しかけてあげたらいいやん。
自分の方が、何十年も多く人生歩んでるんやし。
私は待つよ。娘が喋ってくるまで。
ひと言でもふた言でも、喋りかけるよ。
娘のすべてを受け入れてあげやな、誰がほかに受け入れてあげるの。
私が諭すようにいうと、主人は黙って聞いていた。