すべてはここから始まった。
今、たねなし柿(平核根→ひらたね柿)の摘蕾の作業を終え、富有(ふゆう)柿の作業へ移った。
富有柿は、平核根柿とちがって渋を抜く必要のない、甘柿の一種だが、作るのが難しく、平核根柿にくらべて数が少ない。
うちでも作る面積は、平核根柿の面積の半分ほどだ。
義父は、また同じ話しをしていた。
何度か聞く話しだが、今年はより私の耳に残った。
今までは相づちを打つものの、そんなに深く考えたこともなかった。
うちは、主人の3代前のじいさんとばあさんが、隣近所の集落からこちらへ農家として家を構えたのがはじまりだそうだ。
農業をはじめるにあたり、富有柿の苗木を買いに行って植えたのがはじまり。
その苗木を、隣りのじいさんと一緒に、歩いて買いに行ったそうだ。
こちらは山の中腹に位置する場所にあるから、下の集落へたどり着くにも数時間はかかる。
車のない、百年いじょう前のこと。
さぞかし大変だったろうか。
その苗木が大きくなったのが、ちょうど今、作業する畑にある。
それがこちら。
その他の柿は接ぎ木をして増やしていったそう。(やり方は詳しくわからないけど)
すごくないですか?!
私が今回、素人の「チンケ」な剪定をしたにもかかわらず、昨年が不作だったということもあって、今年は鈴なりのように実をつけてくれました。
例年以上に、余分な枝を抜いてやったので、伸びた枝がしっかりしてきて、シャンシャンとしていました。
3代前のじいさんばあさんが、世話した柿を私が(主人が)世話をして、いまだに実をつけてくれるなんて重みを感じたりします。
3代前のじいさんばあさんも、柿の苗木を植えるときには、じいさんばあさんではなく、結婚したばかりの夫婦だったんでしょうね。
いろいろ想像は広がっていきます。
ちなみに義父によると、これが根の浅い「山椒」だったら、今はもう残っていないとのこと。
柿の生命力ってすごいなぁと、驚かされます。
たとえ、ずっと世話をしていなくても、枝をある程度短く切って縮めてやると、そこからまた芽をふき成長していくそうです。
義父の代になると、「みかんの時代」がやってきて、この辺りはみかん畑が広がったそう。
主人が農業をやりだして、柿に代わり、山椒を植えたのは十数年前のことですが、そういったところからも、家の歴史を感じます。
仕事をしながら、ふと名前も顔も知らない、3代前の人のことを考えます。