親離れしようとしている、子供たちに思うこと。
きれいに親離れ子離れするって、どういうことだろうか。
私自身、過干渉の母から逃げたくて、二十歳で家を出た。
基本、よりよい距離感でいることができて、母の過度な干渉はなくなったけど、なおも、私の人生を支配しようとした。
たとえば、勤めていた会社を辞めるとき。
いま考えれば必要なかったけれど、母に一報を入れると、「寿退社じゃなければだめよ」と。
主人と付き合いがはじまると、何かと詮索しようとして、恐ろしいくらいに電話をかけてきて、付き合いのしかたまで口出しをしてきた。
そのうち、電話に出なかったりすると、幾度となしに電話がかかってきたりして、寮の同室の子は怯えてた。
いま、思えば電話線を抜いておけばよかっただけのことだった!(余談)
そのくせして、たまに実家に帰ると、安らぐ実家とは程遠いから、そのうち足を運ばなくなった。
私が親から逃げて、別の居場所を確保することによって、親離れ子離れできたと言っていいと思うけど、きれいな親離れ子離れではない。
今もなお、全くというほど、親とは会わないのだから。
県外で下宿している娘は、来春、大学を卒業して帰ってくる。
大学を卒業したら、県内で就職すること。と送り出したその約束は、守ってくれそうだ。
ただ、家からそう遠くない地元で、公務員として働くことは、決まりそうだけど、就職と同時に家を出るという。
まだ、決まりではないけれど。
わたしの心のなかは、穏やかではなかった。
なぜ?
時々帰省する娘のために最善を尽くしてきたつもりだし、実家に対してわたしのように嫌悪感を抱かないように、気を付けてきたつもりだ。
だけど、よくよく考えたら、私と義父母との関係だとか、義父母に対する娘の気持ち。私たち夫婦に対する気持ちは、分からない。
これが、もし、両親と子供だけの核家族だと、また違っていたのかなだとか、考えても仕方がないことを、思ってみたりする。
ま、大学生のうちに、気ままなひとり暮らしを経験して、それが気楽だった・・・ということなのか。
勤務地の近くに引っ越すというのは、今の下宿先が大学からほど近く、時間の心配がなくて、心地よいのか。
息子に言ったように、金銭的な補助はしないと線引きはしているので、現実を知って諦めるかもしれないけど。
一方で、自宅から仕事に通う息子も、いちどは、家を出て独り暮らしをしたいと言っていたが、現実を知り、あきらめた。
家には、月々定額を入れてもらっている。
その息子が、社会人になると、自分でお弁当の用意をすると言い出した。
それはそれは!と、私は、手放しで大喜びした。
子供たちが高校生の時までは、お弁当を作ったけれど、社会人になれば、それはそう!自立にむけて、考えがしっかりしてきたのね?!
だなんて、目を細めて、親バカ全開で喜んだものである。
ところが、日を追うにつれ、息子の弁当はややこしくなる。
そのうち、会社のパートのおばちゃんが、白飯だけの息子の弁当に同情して、おかずを分けてくれるという毎日がつづく・・・。
おばちゃんにも悪いし、見かねた私は、簡単おかずを用意しておいてあげるから、自分で入れていきな。
と、レンジでチンのおかずか、揚げ物のおかずを、用意することにした。
何てことない。
ものの数分でできる簡単おかずだ。
にもかかわらず、最近、どうも、ややこしい。
朝ギリギリまで寝ているせいか、お弁当を持って行かない。
先日、また、おいとけぼりをくらった、おかずがテーブルに残っていた。
もう3回目だ。
いいかげん、腹が立つ!
いや、別にわたしが、お昼に食べてもいいんだけど、朝気になって、少し早起きするんだよ?!
息子に、思い余ってついに言った。
もう、母ちゃんは、お弁当のおかずを用意することから、手を引くからね!
おかずを放っぽって、会社へ行かれる、母ちゃんの気持ち、わかる?
あ、きょう、取引先の人と、ご飯でお弁当いらんねんやった。
最近、取引先の人と食べること、多くなってさあ!
わかった。これからは、自分で用意する。
悪びれもせず、あっさりと返す息子。
あまりにもあっさりと返すので、拍子抜けした。
次の日から、時間が危ういけど、何とか自分で用意しているみたいだ。
部屋の外から、声かけはしますけどね。
娘が家を出ると知って、息子の弁当作りのお手伝いから完全撤退することになって、私の気持ちはギューッとなった。
息子の弁当のおかずの用意を撤退することだって、私から言い出したのに、息子のあっさりした返事を聞くと、なんだか悪かったかな・・・だなんて、思う始末。
だけど
ダメだよね・・・
これからは・・・
私は、きれいに親離れ子離れができた暁には、子供たちが年齢を重ねても、親子として付き合いを重ねていけると信じてる。
思春期から、親子って、親離れ子離れをはじめていると思うけど、二十歳前後は、子供が自立する一歩手前の大事な時期だと、思いを重ねる。
私が親から自立したのも、二十歳。
息子はもうすぐ二十四歳。
娘はいま二十二歳。
「早くこんな家出ないとえらい目にあうぞ」と弟に言い捨て、私と同じく人生の前半に親の支配下に置かれてえらい目にあった義兄は、二十代前半に家を出て、今ではめったに実家に帰ってこない。
正しくは、数年前に義父と義兄のあいだに、しがらみが生じて、帰ってこなくなった・・・だが、昔からの積み重ねられた鬱憤がたまっていたようだ。
残された弟である主人は、当時は意味を深く理解していなかったと思うが、その後、えらい目にあった。
私の実家に残った、弟や妹の立ち位置と同じだ。
だけど、お風呂まで聞こえてくる、楽しそうな義父と主人との会話。
義母とも、ときどきは会話が弾んでいるようだ。
なかなか、親子仲良くて理想じゃねぇ?!
でも、これって、案外、他人のわたしが、ここに居るからかもよ?!
だなんて、ふとお風呂で考えた。
それは、ちがう?!(笑)
歳を重ねるにつれ、穏やかに親子の会話がつづくけれど、親子関係に疲弊することもある主人が、どうにかネガティブにならずに耐えることができているのは、少なからず私の影響を受けているところもあると思うんだけど。
親の振る舞いに押しつぶされそうな主人を見ていて、ときには同じようにおしつぶされそうになりつつ疲れながらも励まし、がんばらなきゃと気持ちを奮い立たせた。
そんな主人とわたしは、これから先、息子と娘とどんな親子関係を築いていくんだろう。
いま、その分岐点に立っているような気がする。