お盆のことは、義母さんに任せることにした。
田舎のお盆は忙しい。
仏の間と、庭に、先祖を迎え入れるためにいろいろとしなければならない。
一年に一回、お盆の時のみに使うお盆やお椀をだして、煮物やらそうめんやら稲荷やらを用意して、仏の間のテーブルに並べた位牌の前に備えたり、お庭に切ってきた竹で作った竹筒やらお箸と、「なす」やら「キュウリ」を供える。
仏壇がない実家で生まれ育った私にとって、初めて見る田舎のお盆は大変そうだなと思った。
祖母の家でも、仏壇の前はやはりにぎやかだったし、ロウソクの火がともった提灯を、墓参りからもって帰ってお盆のあいだはずっと吊り下げていたような気がする。
やり方は、住む地域、それぞれの家庭で違うのだろうけど、うちは忙しい年だと、山椒の収穫の仕事がお盆のあいだもある。
今年は、雨が続くし、仕事の進み具合もよいので、お盆休みがとれることになったが、はっきり言って、お盆くらいはゆっくりしたいというのが、嫁の本音。
そんななか、義母が私たちの部屋のあるハナレの前をブツブツと言いながら通りすぎ、すぐ隣りの物置きの間から、お盆の用意をしようと「お盆」や「お椀」を取りに行った。
いつもそう。何か言いたいことがあっても直接言うことはなく、ブツブツと言うのが聞こえてくるので、こちらとすればたまったものではない。
どうやら、ひとり自分が動くことは全部気に入らないようで、いつでも行動をおこすたびに、いろいろ聞こえてくる。
「手伝いましょうか」と出来たヨメ風をすればよいのだろうけど、普段のコミュニケーションがとれていないがゆえ、そこまでの気持ちが私にはない。
最も、義母が直接私に、やってほしいことを言ってくるのなら、やらないこともないけど、普段から喋ろうともしないから仕方がない。
それに、私は日常のことを十分にやっている。
薪での風呂焚きに、ご飯を炊くのはもちろんのこと、トイレットペーパーの補充に義母が使った調味料の補充、ごみを放り出すのも、バスマットを変えるのも私。日常生活の多岐にわたることをしているのが私。
85歳の義母にそれを期待するのは無理があるのかもしれないけど、昔からするべきことを二つも三つもこなすのは苦手なようだったので仕方がない。
いまは、自分の食べる分の野菜作りと、義父と自分の分の食事作り、それに自分の身の回りのことだけ。(介護が必要なしに元気でいてくれていることは、感謝しているけど。)
そう考えたら、お盆のことは義母がやってくれてもいいんじゃない?に収まった。
もちろん、完全同居でなければ自分が主人と考えて、2人のやり方でお盆を迎えればよいのだろうけど、義母はあと10年は生きるだろう位、元気だし、せめてヒトツくらい、完全同居でよかった、助かったということがあってもいいんじゃない?と。
前の日に、汗だくになって、朝からひとりで山椒の袋詰めをしたタイミングだったからだろうか。(主人は山へお盆のための「竹」を切りに行かなければならないので、仕方がないのだけども。)
私がさらに図々しい性格になったからだろうか。
今年はなぜだか、そう割り切れた。
そこで主人に言っておいた。「お盆のことは、義母さんに任せるわ。私は日常のことをしているんだもの。義母さんが出来なくなったとき私がするわ。」と。
主人もそれに概ね賛成で、特に何も言わなかった。。
根底には、そういうことは昔ながらのやり方で、きちんとしておきたい義母さんと、周囲や時代の流れに合わせて、簡略化してもよいのではないかという主人の考えの違いもある。
とはいえ、いつかは私がしなければならないのだろうと思っているので、今まで幾度か、お盆の様子をデジカメに収め、プリントアウトしてファイリングしているし、するべきことをメモ書きしているものも保存している。
たぶん、いきなりやらなければならない立場になれば、多少のズレがあるかもしれないけど出来るだろうと思う。
義母の内心はわからないけど、お盆のことは、今のところ自分のするべき役割と受け入れているのか、わたしが率先して手伝わなくても、それを咎めることもないので、お盆のことは義母に任せて、気にしないと決めた。
割り切った傍から、義母がいそいそと供えるお茶を用意していたけど、今までほど気にならなくなった。
今まではタイミングを見て少し手伝うようにしていたけど、もう中途半端に手は出さない。
完全同居でよかったわ・・・。お盆のことはぜんぶ義母さんがやってくださるんですもの。
ここは素直に、お盆のことは楽させてもらっていることに感謝しながら、残りの休日を過ごそうと思う。
これで、完全同居で助かることがヒトツ増えた。