我が家が「徒歩通学」にこだわったワケ
今年も、来年小学生になるお子さんのランドセル商戦がすでに始まっているそうです。
「ランドセル」は、明治時代、学習院大学初等科にて、人力車や馬車で通う子供たちと、徒歩通学する子供たちとの格差を埋めるために、徒歩通学を実施するにあたって、子供たちが徒歩で通いやすいように開発されたものだそうです。
我が家の二人の子供たちも、買ったばかりのランドセルを背負い、通学したことが昨日のことのように思い出されますが、少し気まずい思いをしたことも記憶にあります。
上の息子が小学校に入学し、いよいよ徒歩で登下校が始まるというとき、登校は、同じ集落の子供たち数人が集まり、登校することになっていました。
学年が上の近所のお兄さんが、連れて行ってくれました。
ところが、下校となると足並みが揃いませんでした。
一年生というと、始めは授業が終わるのが早く、一年生だけで下校となるので、はじめの2週間ほどは、先生がついて安全を確かめながらの下校でした。
帰りはなだらかな上り坂がずっと続きます。
一年生の足だと、30分、40分、いやもう少しかかったのかもしれません。
大人が歩くにも、少し疲れる帰り道で、途中くねくね道の森の中をくぐり抜け、集落に到着するまでに随分と長いまっすぐな上り坂が続きます。
先生が子供たちを連れて、歩いて帰ってきてくださった際にも、休みやすみしながら、帰ってきてくれたみたいです。
先生がついて歩いて帰る期間が終われば、各家庭考えがちがうようで、他の同級生は学校生活に慣れるまで、車で迎えに来てもらうことになったよう。
となると、息子はひとり、家が一軒もみあたらない山道をくぐりぬけてこなければならない。
うちは、私がついて息子と歩いて帰ることを選択した。
時間になると、迎えに行きしなは、主人に畑から車で送ってもらい、帰りは息子と歩いて帰宅。
数カ月たって、一年生の終了時間が、上級生と一緒になっても、上級生のお兄ちゃんたちは、習い事に直行することが多かったので、息子と私は歩いて帰宅。
同級生は、すぐ隣の保育園に、うちとおなじく兄弟がいるので、保育園の兄弟と車で一緒に帰っていきました。
うちは、主人が保育園で娘を拾い、私は歩いて息子と帰宅。
娘が小学校入学まえになると、週末は娘も一緒に歩いて帰ることに。
小学二年生の息子と、小学校入学前の娘。
嫌がりましたねぇ・・・。
皆、車でビューッと帰っていくんですもの。
仕事が忙しい時には、歩いて保育園や小学校に向かうこともありました。
娘は途中、地団駄踏んで「歩きたくない!」というときもありました。
座り込んで休憩しつつ、なかなか動こうとしない娘にいらいらすることも。
学校の帰りだけではありません。
朝、雨や雪が少し多めに降ったりすると、各家庭によっては「今日は車にします」と。
うちは、歩いて登校できないほどの雨や雪が降っていない限り、私が一緒について歩いて通学しました。
どこでどう転んでケガをするか分からないという、過保護な親心からですが。(人通りがまったくない道が続くので)
だって、雪がたくさん積もった朝。
そんな日、めったにないですやん!
子供たち、そんな日は、喜んで学校へ行きました。
雪の感触を足で確かめたり、ツララを持って遊んだり。
息子が三年生になり、娘が小学校入学後しばらくたって、子供たちは二人で帰ってくるようになりました。
みんなが足並みそろえて帰ってくるようになったのは、それからしばらくたってからでしたが、当時はそれが正解だったかどうか分からず不安でした。
できて当たり前の「ふつう」のことは、
できるように育てたい。
子供を育てるあいだ、ある程度のハードルは設けて、それ以上のことは望まない。
過保護な親に育てられ、窮屈な思いをしながら大きくなった私が決めたことでした。
私にとって、「徒歩通学」は「ふつうのこと」でした。
主人も保育園の頃から、小学生の子供たちと帰ってきたといいます。
もちろん、場合によっては、「時代」や「子供の性格、気質」によって柔軟に対応すべきことはあるのは、分かっているけど、私にとって、それは、変えるべきことではないことだと決めました。
子供たちが、歩いて帰宅することを嫌がっているのが分かると、心がへし折れそうになったこともあるし、強制するのも、また、これは母が私に押し付けたことと、一緒ではないかと思い悩んだこともありました。
結果、よかったです。
あの時期に、子供の嫌がる「できて当たり前」をやり通すことによって、その後もある程度の我慢や根気が必要な、「できて当たり前」を通すハードルは、子供たちにとって低くなったようで、そんなに育児に手こずることはなかったです。
それに、息子も娘も、習い事のサッカーで、チームいちのキック力をもっていたので、フリーキックやゴールキックの場面では、いつも任されるくらいに足腰が鍛えられるという、副産物までついてきました。
今でも懐かしく、子供たちと歩いて帰ってきた日のことを思いだします。
もう長いこと、この辺りで、あれほどの雪が降ることもないけれど。