私の至福のじかん
畑に到着して、仕事にとりかかる。
今やっている農作業は、富有柿の摘葉(てきよう)。
11月に採る富有柿の実全体に太陽の光があたるよう、実の周辺についた葉をとってやる。
太陽の光をめいっぱい浴びた実は、色づきを増し、糖度があがることによって、より美味しい柿へと仕上がる。
静寂ななか、無心になって作業にかかれる時間は、贅沢に感じられ、私にとって至福のじかんとなる。
ごくたまに軽トラが通るくらいで、あとは、時に数百メートル離れた畑や家から、人の話し声が聞こえる。
合間に鳥のさえずり。
主人とは同じ畑で仕事をすることは、めっきり少なくなった。
義両親が畑を引退し、それぞれ別の畑で別の仕事をすることによって、なんとかもっている状態だ。
義両親が引退するまでは、ずっと同じ畑で仕事をしていたのに、それがいささか寂しく感じることもあるけど、ひとりっきりの状態だからこそ、贅沢な空間に感じられ、めいっぱい幸せを味わう。
といえども、10時の休憩には、さすがに疲れてくる。
集中が切れてくる時間だ。
次に味わう至福の時間。
家から持ってきたせんべいをほおばり、コーヒーをたしなみながらの休憩。
そして、つかの間の休憩をはさんで、今度は気分を変えて、ウォークマンを耳に作業を進める。
だけども、お昼前にはさすがに疲れてくる。
まだ柿採りが残っているといえども、主人が入院している間に山場は越えたので、退院してきた主人はさすがに無理をしない。
家でゆっくりしているはずの主人は、畑に様子を見にも来やしない。
それこそ、差し入れのひとつでも持ってきてくれてもいいのに。(だなんてありえないけど。)
だなんて、疲れているせいか、ちょっぴりどす黒い気持ちもでてくる。
だけど、そんな気持ちも払拭してくれる至福の時間がやってくる。
気を取り直して、ウォークマンを聴きながら、田舎道を歩いて帰る。
めったに人には出会わない。
音楽が疲れた身体を癒してくれる。
自然いっぱいの田舎道を、ひとり音楽を聴きながら、気分は上々。
なんて贅沢なんだろう・・・といつも感じる至福の時間。
家に着くなり、代わり映えのないお昼ご飯。
お昼からはどうしよう・・・と思いつつ、パソコンを開けることにする。
・・・と、
おーい!お父さんの墓参りに行かへんか?
え?!なんで?!このあいだ、彼岸に行ったばっかりやん。(と私の心の声)
でも、たまにはお出かけして気分転換しよう♬
と、主人の誘いにのることにする。
片道一時間。
畑の際のびしゃこを切って主人が用意してくれ、会話をしながら、市内へお墓参りに向かう。
話題は多岐にわたるが、時々、話題によって暗雲が立ち込める。
最近は、気配を感じたら、話題を変えることにしている。
どうせなら楽しい時間にしたいしね。
墓参りを終え、再び帰路へつく。
ちょっとした外出のときの定番、ちょいマックを手にしながらドライブ気分。
「一緒に墓参りにこれるのは、あと何回なんだろう」と思いながら、これもまた、至福のときかもしれないと気づく。
帰ってきて、私を墓参りに連れ出してくれたのは、主人なりの気遣いだったのかなと気づいた。