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リアルで見る夫婦の仕舞い方

わたしは、結婚生活で、夫婦の距離間というのは、ジリジリと埋めていくものだと思っていた。

一般的に言われる、「夫婦の距離感」と少しニュアンスが違うのかもしれない。


私が、主人と出会い、結婚した時は、これは「運命」だと思い、結婚生活も順風満帆だと思っていた。

ところが、残念ながらそうではなかった。

ピッタリだと思っていた価値観や考えは全く違ったことに気付いたとき、呆然としたが、結婚とはそういうものなんだと思った。

私たち、価値観も考えも一緒ね!結婚しましょう!と、結婚するも、そんなことはありえなくて、結婚生活が始まるときには、実はこうもお互いの距離感はこんなにも離れているんだと、冷静に考えた。

私の結婚に反対していた母方の祖母は、私のことを「(主人のことや、結婚後の生活が)舞い上がって何も見えていないだけだ」と、結婚をもう一度考え直すよう示唆したけど、その通りだったかもしれないと気付いたが遅かった。


当時、主人との距離感がとてつもなく遠く感じた。

お互いの姿が見えない位に、距離は離れていた。

主人の姿は地球の裏側にいるんじゃないかと思う位に、離れていた。


言葉を交わさない日々が長く続いた。


お互い譲らず、態度を変えようとしない日々が続いたころ、私は数十年後の自分たちの「夫婦のカタチ」を想像した。


脳裏に浮かんだのは、両親の姿。

お互い自分のことしか考えず、言葉を交わすこともなかった。

喧嘩をするのを見せつけられることもなかったが、とても心が通っているとは思えなかった。


どちらか一方だけが、心がけや努力をするのは、平等でない気がするが、どちらかが始めなければ、何も始まらない。

始めなければ、夫婦の距離感はどんどん離れていって、さいごは「仮面夫婦」になるのかと頭をよぎった。


私がとった手段は、「尽くす女」を演じることだった。

気持ちが不安定なその時期、何をしてよいのか分からなかった。
だけど、やってみようと意気込んだ。

ダメもとで。


本来、私は「尽くす」タイプではない。
その私が、「尽くす女」を演じるのだから、想像力が必要だった。

相手の立場に立って、相手が喜びそうなことを想像し、やってみる。

主人がいま何をしてほしいか想像し、行動に出る。

いま、珈琲を飲みたいタイミングかもしれないと思って、珈琲を差し出してみる・・・だなんてことをしたときは、こっぱずかしい気がして違和感があった。

いまは、そんなことまでしないけど、私は本来そんな女ではない!


想像することが「思いやり」になり、それが「愛情」なんだということは、ずっとあとになって、瀬戸内寂聴さんに教わった。

私は、主人に尽くすことを通して、初めて「愛情」を知ったのかもしれない。

それまでの人生を振り返ると、自分のことで精いっぱいだった。

親からの愛情が気薄だったことも、一因していたのかもしれない。

自己肯定感は著しく低く、常に自分を守るのに精一杯だった。

結婚後は、まるっと生活が一転し、ますます余裕がなくなった。


わざわざ想像までして、相手のことを思いやったことは初めてだったかもしれない。

そのうち、わざわざ珈琲を差し出すことはしなくとも、できることはたくさんあることがわかった。

違和感なくできることも、たくさんあることも知った。


主人もまた、余裕がない人だった。

周囲の同世代の友達が、結婚し子供をもうけ、新婚生活を満喫しているあいだ、義母とともに家の状態を立て直すのに必死だったと聞く。
状態がよくなり、結婚できる見通しができたので私と結婚したが、それまでの名残もあり、義母と主人は鬼の形相で仕事をしていて、ギスギスしている雰囲気を私は感じとった。

結婚生活が始まって間もなくして、またもや義父の行いが尾を引いていたせいで、家の状態は悪化へ逆戻り。

働くことで、焦りや苛立ちを遠ざけようとしていたのかもしれないけど、疲労困憊状態で余裕がなかった。

そんな主人が、私の様子から何かを感じとった。

主人もそのうち、私に対する態度を少しずつ変えてきた。

ほんのわずかだけど、主人の「愛情」も伝わってきた。

実は相性がよかったから、なし得たことかもしれない。
この実感がなければ、結婚生活が長く続いたかどうかは分からない。


主人が、「1ミリ」ほど、近づいてきたのがわかった。


わたしは、そのとき、これが結婚生活の醍醐味なんだと感じた。

私たちの結婚生活は、そこから始まった。

地球の裏側に居る主人が、結婚生活を終える頃に、私のすぐそばに居るか、主人とヒトツになることができたらそれでいいと思った。

結婚生活は長い。

長い旅の結末が、どうなっているのか。

それまで、自分たちが何を得ることができるのか。

そこに焦点をあてようと思った。

だから、日常で、主人のことが理解できないときも、振り回されることがあっても焦らない。


少しずつ距離感が縮まればいいじゃん・・・と、結局はそこに落ち着く。


どこかしら冷静にいられるのは、それだけ、初めのスタートが悪すぎたと言ってもいい。

だけど、結婚生活は悪くない。

主人とは喧嘩もするけど、普通に会話をするし、考えや価値観もすべてとはいかなくとも似てきた気がする。

そう。私だけでなく、主人も変わったから。

私の感覚でいうと、結婚当初、地球の裏側にいた主人の分身は、いま、日本のどこかに居る。
まちがいなく、結婚当初に比べれば、距離感は縮まっている。


結婚生活の、最期を迎える頃にはきっと・・・。


そんな私が、いま、リアルに結婚生活の終わりを迎えるサマを、目の当たりにしている。

病に侵され、延命治療をしている、91歳の義父は、最近家で寝ている時間が長くなった。

もう、半年くらいは、そんな状態が続く。

そんな義父のために、義母は、毎日おかゆを炊き、先日は、足腰が若干弱ってきた義父のために、家の中で履きやすいスリッパを買ってきて、一日の大半をベッドで過ごす義父のために、軽くて保温性のある毛布を買ってきた。

義母は、そういうことをしない人だと思っていた。


普段の、義父と義母の様子を見ていてもそうだった。

私の目には、どこか、実の両親に似通ったところがあるように映った。


だけど、義母のそんな姿をみて、思った。

夫婦って、最期に帳尻を合わせるようにして、一気に距離が縮まることもあるのかもしれない。と。

夫婦のカタチはそれぞれ。夫婦の数だけカタチも同じ数だけあるのかもしれない。と思い知った。


もともと外出が趣味の義父は、今でもなお、一日一回は外出するのを日課としている。

こちらは、人ひとりに対して車一台の地域だ。

持病を抱えていて車の運転ができない私は、常に外出するときは主人と一緒だが、義父母は、ほぼ行動をともにしない。

最期くらい、ふたりして、ゆっくり出掛ければいいのに・・・と、はた目には思う。

それこそ、夫婦にはそれぞれ適度な距離感が存在すると思うけど、義父がいつ義母を連れ出すのか見守る嫁の私は、やはりただのお節介かもしれないけど。


さいきん、義父母の様子を見ていて、リアルに夫婦の仕舞い方を傍で見させてもらっているなと感じている。

気付けば、楽しそうに、ふたりして会話している。

いいものを、見させていただいています。

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