義母と、薪風呂を巡って!
薪風呂を焚くのはわたしの仕事。
私が嫁いでくる前は、義母が焚いていたが、焚くのを忘れていたり、焚いている途中で火が消えているのに見逃していたりと、信用に欠けるので、どうやら、義母が焚いたり、主人が焚いたりのようだった。
私は家族皆の夕食を作ったり、洗濯物を取り込んだりと忙しかったので、主人がお風呂を焚いていたが、仕事後の風呂焚きは面倒で、何やらぐじゅぐじゅと言いながらしていたので、「ほんだら、ワシがやったるわい!」(実際は、こんな風には言わなかったけど)と、私の仕事になった。
薪を焚いたことがなかった私。
最初は見よう見真似で、アッついアッついお風呂を焚いた。
ルーティンはどちらかというと得意。
だから、焚き忘れることはなかった。
だけど、当時、お風呂に浸かれる時間は、1分から3分ほど。
(いつも3分を目標に、数えながら入っていた)
熱くてそれ以上は浸かれなかったが、薪風呂だから仕方がないし、それが普通だと思っていた。(義母も主人もそういう風に焚いてたし)
長い時間ヌルメのお風呂に気持ちよく浸かっていたのは、夜遊びから帰ってきた義父だけだった。
その頃には、薪は燃え尽きて、火種もなくなり、湯温もほどよく下がり、気持ちよく入れるようになっている。
私が、お風呂の焚き方を変えたのは、今は成人している子供たちが高校生のころだった。
私がちょうど40代半ばのころ。
なんだか体がだるく、身体の調子も思わしくない時期が続いたのがきっかけだった。
ネットで調べると、やはり当てはまるのは「更年期障害」。
入浴の時間なんぞは気にしたことなんてなかったが、少しでも身体の調子を良くするのに、気にせざるを得なかった。
どこもかしこも、健康を保つには、そして睡眠の質を高めるには「ヌルメのお風呂に10分以上」と書かれているのだから。
初めてヌルメのお風呂に10分以上浸かったときの、気持ちの良かったことといえば忘れられない。
良い意味の疲労感を感じ、ぐっすりと眠れることができた。
今も年齢のせいか眠りが浅いと感じたり、寝付けないときもあるけど、お風呂に浸かる時間は睡眠の質を左右したり、健康の面からいうと重要だと思う。
それから、私は、皆が心地よく入れるよう、焚き加減に注意して、お風呂を焚くようにした。(入る時間に時差があるので、途中薪を1本放りこむ)
私にとって、「思いやり」の家事だ。
とはいえ、以前ほど薪を使わないので、何も手を加えないでいると、夜の9時頃からは、火種がなくなってヌルくなる一方だ。
だから、息子や娘が部活や友達との約束で、遅くなることがあれば、私が追い焚きしていた。
この4年間、娘が下宿先から帰省するときにも、追い焚きするのはずっと私の役目だった。
帰省しに帰ってきても、親としてやってあげられることは限られているので、私にとって、それも娘に対する「思いやり」であり「愛情」だった。
私の「追い焚き」に対する思い入れは強い。
たかだか、「追い焚き」だけど・・・。
だのに・・・。
だのに・・・。
今回、義母がその役割をとった。
「ばあちゃん、お風呂焚いといたよ」と、娘を迎え入れる。
わなわなと怒りの感情が、湧いてくるのをかんじた。
義母は普段はなにもしない。
だけど、自分のアンテナが反応した時には、これでもかという位に、私のマネをしてでもする。
随分前だけど、いちど主人に、「風呂もご飯もたけないのか!」と叱られたことも尾を引いているのだろうけど、何かしら私に対してマウントをとろうとしているように感じるのは、私の器が狭いからなのか、素直に感謝できない。
それよりも、「とられた」の感情がつよい。
いまでは、時間の工面をするのも、風呂を焚くコツも覚えて、スムーズに毎日風呂を焚くけど、早く仕事を切り上げることはできない、アルバイトさんが来てくれる時期は、目まぐるしく忙しいのが本音。
同じく薪で風呂を焚く親戚のばあさんは、忙しく働く家族に代わって、毎日決まった時間になると、風呂を焚くのだと教えてくれたことがある。
うちにはその役割の人がいないから、私がしなければ家事は回らない。
いまは、まだまだ気温が低くて、焚けるまでに1時間近くかかるし、お風呂を焚くとなると、毎日の水の入れ替えや、大工の不手際のせいで水はけの悪いお風呂の床はプラスチックのすのこを上げて、時々掃除しなければならないし、灰は4~5日ごとに掻き出してバケツに入れなければならない。
薪を燃やすための木材のチップが入った袋も、薪も外へ取りに行かなければならないし、バスマットの掃除ももちろん私。
毎日、風呂を焚いているのは私なのだから、放っておいてくれる?!
もう、何年も焚いているのよ?!
追い焚きして、「ばあちゃんが!」って言うのなら、毎日焚きなさいよ!
私が追い焚きするので、放っておいて!
って言ってやる!だなんて思いながら、その日は、なかなか寝付けなかった。
寝付けないまま、いつまでもいろんな思いがグルグル巡っていた。
と、一瞬思考が止まった。
そして、思考は変わった。
やーめた!言うの、やーめた!
やめたら、これ「note」の記事のネタになるやん!
私が、義母にモノ申すことは滅多にないけど。(数年にいちどくらいキレる)
私に叱られると分かると、そんなにイヤなことをしてこなくなったけど、未だに、マイペースの義母は、時々私の感情をかき乱す。
主人もそんな義母に、時々苛立ちをぶつけるくらいに。
だけど、言っても仕方ないし、直らないものは直らない。
義母はそれが正しいとおもって80年以上やってきたのだから、直るわけがない。
だから、義母に対する捉え方を変えざるを得なかったり、存在のあり方を変えざるを得なかっただけのことだ。
それに・・・。
娘がこんな遅い時間に帰省するのも、あと一回あるかないか・・・。
3月には卒業式を迎え、新居へ引っ越しの予定だ。
引っ越し先は、実家から1時間圏内というところだろうか。
もう少し近いのかもしれない。
娘のことに出来ることは、これからいくらでもあるだろう。
先日、娘とどう距離感を縮めていこうかとばかりに書いた記事に、他の方が寄せてくださったコメントを読ませて頂いて、焦らなくてだいじょうぶと、心に刻んだばかり。
それに、娘がそれだけを切り取って、どうこう思うことはそうないのかもしれない。
「今まで」と「これから」の全部で、義母のことを思うに違いない。
過去のことを思うと、取り繕っても違和感が否めない面もある。
義母は、年をとったから、出来なくなったのではない。
昔からしようともしなかったくせに・・・。
今だって、仕事が忙しい時にも、見向きもしないのに・・・。
と、「ブラックkakiemon」が出没する。
だけどいいや。
次の日の夕食は買い出しに行っている間がなかったから、冷蔵庫の残り物で滅多にしないスープにした。
その次の日に作った、豚肉のしょうが焼きも、その次の日に作った、サバの味噌煮も、上出来だった。
会話もポツリポツリと、時々する。(多くはないけれど)
明後日は、主人も一緒に新居を見に行くことになっている。
そうこうするうちに、また、下宿先へ帰ることになっている。
私はわたしの出来ることをしよう。
キレて言ったって、得したこと1回もないしね。
自分の馬鹿さ加減に、後悔するだけだ。
「note」があってよかった。
ちょっとスッキリした気がする。
ブラックな気持ちを整理するために、書くのもアリかな。