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義父さん、ほんとうはそう言ってくれてすごく嬉しかったよ!

前回の投稿は、松下友香さんが企画された『【企画】あなたが言われて嬉しい言葉は何ですか』に参加させていただき、思いのまま書き連ねた。

私が大人になって、なかなか実家に受けいられなかったことが、未だに消化不良になっているのか、「お帰り」「また帰っておいで」と、言われたい。と、自分が言われたい言葉を書かせて頂いた。

企画の内容を拝見したとき、自分の思いばかりが先行してしまって、言われて嬉しいことばはなかったなぁっと、思ったけど、つい最近、義父が言ってくれた言葉を不意に思い出した。

企画の締め切りは終わっているけれど、義父の寿命が尽きるそのときまで、寝かせておこうと思っていた、つい先日、義父が言葉をかけてくれたことを、このタイミングで思いを巡らせるのもいいかな。

私がこの農家に嫁いできたのは、もう25年以上も前のこと。

私は当時24歳。

主人と私は不思議な縁(遠い親戚)でつながっていましたが、縁もゆかりもないこの土地へと嫁いできた。

主人とは結婚相談所で知り合ったけど、私がOL生活に嫌気をさし、居場所をもとめて、逃げてきたのは主人のお見通し通りだった。

だけど、農家に憧れていたのも現実。

未知の世界と言えども、大変だろうことはイメージしつつ、やる気は十分に満ち溢れていた。

とにかく、一生懸命に仕事をして、義父母に喜んでもらうんだ。

良い嫁として認めてもらうために。

その思いひとつだった。

休むことなく、仕事中も最低限の休憩時間のみで、無駄口ひとつ叩くことなくただムシムシと働くのは、想定内で、農家とはそういうものだと思っていた。
常に義母の傍で、肩の力が抜けることがなく、ただ必死に働いた。

ところが、義母の口からでてくるのは、私に対するダメ出しばかり。
仕事以外のことにも何をするにも口出ししてきた上に、農繁期のみの手伝いをする近所の嫁さんがよく働くと言っては褒めた。

義父も義母の言葉に助長するように、他の人を褒めた。

私は、「良いヨメ」からかけ離れた存在だった。

そのうち、うつ病になって、気付いた。

原因はいくつもあるけれど、義両親に「良いヨメ」として認められなかったことが一番しんどかった。

いつでも「良いヨメ」になろうと、もがき苦しんでいた。
だから、仕事をするにも家事をするにも、疲労困憊していた。

どんなに頑張っても、なれなかったことが、一番しんどかったことに気付いた。

あと、私は一生懸命に仕事をしているけれど、実は見返りを期待していたんだと。

一生懸命に仕事をする代わりに、「良いヨメ」として認めてほしいことに。

承認要求が高いのは、成育歴からと分かったけれど、いくらクレクレ根性で仕事をしていても、決めるのは他人。

義両親は、これからもずっと私のことを「良いヨメ」として認めないかもしれない。いやその可能性大だろう。

と分かった瞬間、見返りを期待するのはヤメた。

義両親のために、仕事をしていても仕方がないと。

そこから、仕事に対する取り組み方も変わった。
視野も広がり、仕事に対する思いも変わった。

肩の力も抜けたかもしれない。
休みを取るのに、義母の目も気にならなくなった。

広い畑で切磋琢磨し仕事をすることで、自信もついた。

ついこの間、義父が、山椒の荷づくりの仕事は終わったのかと聞いてきたので、終わったことを告げると、義父は言葉を返した。


そうやって、お前が息子を支えてくれるのが、とても嬉しいよ。と。

そう言ってくれたら、うれしいわ。と、私は素っ気なく返したけど、本当はすごく嬉しかった。


飛び上がるほどに。涙がでるほどに。


やっと言ってくれたと、安堵したと同時に思った。


義父さん、その言葉、あのときにかけてくれたら!
あのとき、どれほど、その言葉をかけてほしかったか!
あのときも、ほんとうに一生懸命・・・だったんだよ。

そしたら、もっと、私は楽にここまでこれたのに・・・。

反面、そんなことも思う。

だけど、「あのとき」ではなく、「いま」だから、その言葉なのかもしれない。

あのとき、その言葉をかけられていたら、今の私はなかった。

あれから、私は「自分」と向き合い、「仕事」と向き合い、「人生」と向き合った。

うつ病にならなければ、それもなかった。


だけど、本来、義父はそんなことを言う人ではない。

義父がそんなこと言うわけない。

私の決めつけかもしれないけど、そう思う。

だから、その言葉をかけられたとき、一瞬耳を疑った。

実は、その言葉をかけられたのは、初めてではない。今回で2回目のこと。

今年91歳になる義父は、今闘病中で、2週間に一度は病院通いをする。
まだ杖がなくても歩けるし、一日いちどは車に乗って外出する。
前に比べれば食は細くなったけど、まだしっかりとご飯もたべる。

ただ、家で寝ている時間が増えた。

私は目の前で、人が亡くなっていく様を見たことがない。

人は死に向かっているとき、寝る時間が増えるという。

闘病が佳境に入っているのもあるのかもしれないけど、主人が言っているように、義父は老衰に向かっているのかもしれない。


そんななか、昨年2回も言われた、その言葉。

人は弱ると、いろんな事が見えはじめたり、発するはずのない言葉をかけたりするのかなと、ちょっと複雑な気持ちで受け止めた。

だけど、ありがとう、義父さん。うれしかったよ。

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