
私にとって大人になり親としてくれたこと 前編
私は心が広く、大きな器をもった親になりたいと思っている。
どういう親になりたいか・・・よりも、どういう人間になりたいかを、基盤に構えることが大事なのかもしれない。
だけど憧れは大きい。
随分と人間として長けていなければ、そう言い難いだろうし、容易くなれるものでもない。
懐が深く甘えられる親に憧れるのは、私が親に甘えたことがないからだろう。
だから、私は子供にとって、懐が深い親でありたい。
少なくとも、子供よりも、心を広く、器を大きく構えていないと、子供は親に甘えられない。
いつでもどこでも子供の言いなりである「過保護」ではなく、必要に応じて、自分の感情よりも、子供の思いに寄り添う広い心。
その時その時の状況を判断し、臨機応変に。
自分が間違えた時には、子供に素直に謝ることができるかどうかもカギだと思う。
私は、ダイレクトに愛情を子供に表現するのは苦手。
思えば、子供たちが親から離れていくのが目に見えた、思春期の子供たちから、距離を置いたのもわたし。
思春期の親との過ごし方が、その後の親子関係に大いに響くことは、私が実感してとても分かっているので、必要以上に立ち入ることが怖かった。
それに、その年代の子供は、必要以上に立ち入られたくないだろうと察してのことだ。
それでも親として言わなければならないこと、言いたいことは、随分と考えて文面にしたため、幾度か手紙で伝えた。
私が、思春期以降、母と数えきれないほどの喧嘩をしてきたからだ。
直接口にすると、感情的になって、余計なことまで口走る。
だから、冷静になって子供に伝わるよう文面を考えて手紙を渡した。
手紙にすると、感情と感情のぶつかり合いではなく、湧いてくる愛情までも文面に表すことができた。
子供はそれを感じとってくれたからだろうか。
日ごろの行いを見ていると、「ちゃんと読んでくれているんだな」と分かったし、私が母に対してたたいたような口汚い言葉が、返ってくることはなかった。
だけども以降、息子とも娘ともサラッとしたような親子関係が続いている。
本当は、「友達親子」だの「仲良し親子」だのに少し憧れたりもするけど、子供もそれを望んでいないみたいだし、私も性格的に無理だ。
私自身がヨシヨシと可愛がられたこともないし、甘えたことがなかったり、甘えるのが苦手な代わりに、娘や息子にどう接していいのか未だに分からないことがある。
だけど、本当に困ったときに、甘えられるようなそんな親になるために、心を広く、器を大きく持ちたいと思っている。
娘や息子はどう感じているのか分からないけど、たぶん同世代の親子よりかはサラッとしているけど、十分に親(私たち夫婦)に甘えている気がする。
自分を基準にすると、息子や娘は、十分に親に甘えているのではないかというのは、主人も同じように感じているようだ。
主人は随分昔、それこそ、嫁いで間がないころ、言ったことがある。
もっと(義母に)甘えたらいいのに・・・と。
そもそも、実の親にも甘えたことがないのに、他人の親に甘えられるわけがない。
甘え方がわからないのに・・・。
それに・・・甘えられるかどうかは、対象となるその人の人となりによる。
自分のことだけで精いっぱいの人には、甘えられない。
跳ね返されて幻滅するだけだ。
私から見ると、義母も実母も似ている。
不平不満を並べ立てて、いかにも自分が可哀そうな星の元で生まれたかのように、悲劇のヒロインだと信じている。
昔から、実母の愚痴の聞き役は私だった。
父のことも父方の祖母のことも、全部聞いてきた。
結婚してからの、数えるほどの電話でのやり取りでさえも、自分がいかに大変で可哀そうかを、並べ立てて言ってくるので、慰めたり励ましたりするしかなかった。
私がどれだけ泣き言や愚痴をこぼしたくても、言えるわけなかった。
昔から、親には弱音を吐いたことはない。本音も話したことがない。
義母も、いかに自分が可哀そうな立ち位置にいるか言っていたことがあるし、義父の愚痴をこぼしていたこともある。
昔の私と似ていて、何をやるにも「人のためにやっている」ので、そばに居ている人間はしんどい。
いただき物の美味しそうなお菓子は、「自分のもの」とばかり確保する。
兄弟でいちばん上の私と、6人兄弟の真ん中の義母とのちがいかもしれないけど、まずは他の人に譲るのが板についている私からすると、ちょっと引く。
そんな私もまだまだ未熟で、「note」で愚痴をこぼす。
だけど、子供に愚痴はこぼさない。
人間としても達観していない。
平均寿命からすると、まだあと数十年のうちに達観できたら良いと思っている。
一緒に住んでいる義母に対しては、何も感じなくなったというのが、しっくりくる気がするけれど、それでも、実母や義母に対してグレー・・・いや、ブラックな気持ちを持っているうちは、まだまだ器が小さい・・・と思っている。
しかし、実母や義母のように、子供の世代と同じ土俵で居るほど、精神的に幼くはないと思っている。
それは、私がここまで成長する過程で、私を大人とし、親としてくれたものがいくつかあったからだ。
こんなにつらつらと思っていることを、書く予定になかったのだけど、今回は、「前編」「後編」に分けて投稿しようと思います。
よかったら、「後編」までお付き合いください。