【VTuberは"絵"だ】批判が集まった理由を考える
2024年5月の段階でVTuberデビューから4年4ヶ月経過。そのうちの3年以上を専業VTuberとして活動してきた「禰好亭めてお」と言います。
YouTubeで配信活動を行う傍ら、年間100コマ以上専門学校等で非常勤講師をしたり、岐阜新聞社のWebサイトにてコラム連載したりしています。
数年前、とある発言がVTuber業界で話題になりました。
それが【VTuberは絵だ】というものです。
【VTuberは"絵"だ】をどう受け止めるか
数年前にVTuberは絵だという発言があった際、前後に侮蔑の意味を含む内容があったので否定的な見方が多かった記憶があります。
「絵畜生」や「VTuberは絵だから攻撃してもいい」という言い方をされていれば、批判的な方が増えるのは理解が出来ます。
たまに「VTuberは単なる絵じゃん、と言われるのはどう思いますか?」と聞かれることがあります。
個人的にはVTuberは"絵"だというのは『惜しい』と思っています。
…だってVTuberって動いてるじゃないですか。
だから『VTuberは動く"絵"だ』なら、それを否定はできないと思うんです。
イラストレーターさんから生み出されたところから始まるVTuberが「絵という性質も持っている」と言われたら「それはそう」でしかないですよね。
もちろん、その動く絵にはそれぞれ心や人格があり、人権と似たような権利があるとも思っています。が、動く絵であることは事実だと思うのです。
人格があって心があるからこそ「VTuberは絵だから攻撃してもいい」という発言に対してはそれは違うなあ(また別の話だな…)と感じているのも事実です。
何故「VTuberは"絵"」を否定する人がいるのか
こういうとまた批判の声が集まりそうな気もしないでもないのですが、否定している人たちの多くは多くは「なんでそんなひどい事を言うの!」という「感情」で否定してるだけだと思うのです。
もちろん、絵の裏側には人がいて心があるのはそうなのですが、客観的に字面だけを判断するのであれば否定できないはずなのです。
もちろん「VTuberは絵だから攻撃してもいい」という発言をしてる方がいるのであれば、それは違うと言えます。もしそれが成り立つのであれば、VTuberに対する誹謗中傷で情報開示請求が成功するわけないと思うんです。
裁判所が「それ、誹謗中傷だね」って認めてるという事は『絵だから攻撃してもいい』は成り立たないのです。
話は戻しますが、おそらく「VTuberは"絵"」に対して怒りを露わにしたり批判的な意見をぶつける方々は、絵だから攻撃してもいいと思ってるのか!というその言葉の裏側を自分なりに想像して解釈しているのだと思うのです。
「映像+音声」or「テキスト」
私たちVTuberは普段YouTubeでは「映像+音声」、Xではその多くを「テキスト」で情報発信を行っています。
そして視聴者さんは多くの場合、推しに対して「映像+音声」という手段をとることが難しく、ほとんど「テキスト」を用いてコミュニケーションを行っています。(1on1通話やイベント等のみに限られます)
私たちは「映像+音声」と「テキスト」両方を使って情報発信していますが、言いたい事が伝わらないのは大体「テキスト」です。
何が言いたいのかというと、同じことを言っていても「映像+音声」と「テキスト」では、情報量に差があるという事です。
例:「今日も疲れた」の一言
映像+音声:「今日も疲れた」(笑顔で、弾んだ声で)
テキスト:「今日も疲れた」
テキストの場合、受け取る側の解釈が様々あると思いますが、笑顔で弾んだ声で言われれば内容はあまりポジティブなものではなくても、ポジティブに受け取られる場合がほとんどです。
受け取り側のフィルタの問題
先ほどの「映像+音声」と「テキスト」の話を出したのは『VTuberは"絵"だ』と言われた時にどう受け取るかが人によって全然違うという話をしたかったからです。
テキストで『VTuberは"絵"だ』とだけ書かれていたら、あなたはどう受け取りますか?
ポジティブに受け取りますか?その通りだなと思いますか?それともネガティブに受け取りますか?攻撃したくなりますか?
それはあなたの「フィルタ」がそう解釈しているだけだと思うのです。
もちろんその前後の文脈があれば、そのテキストを書いた人の意図が正しく受け取れる可能性が上がりますが、そうでなければ字面から勝手に解釈するしかないんです。
過去にその言葉を見聞きした時、攻撃的な発言の中で使われていたならばあなたの目には攻撃的に映るかもしれませんし、そうであっても事実は事実として受け止められる方であれば特に何の感情もわかないかもしれません。
フィルタが濁っている人が増えている?
私がこの記事を書いた理由はコレです。
特に悪気もなくSNSに投稿したものが、濁ったフィルタで受け取る方が増えた結果批判的な意見をぶつけられているのをよく見かけるようになりました。
2024年になってからの一例
・「出産で実家に帰るから夫のために食事を作って冷凍しておく!」という妊婦さんのX投稿に対して誹謗中傷と思われる内容にリプライが殺到
・「子どもと旅行に行く時飛行機は寝る場所だと教えたら楽になります」という投稿に飛行機のファーストクラスに乗ってる写真を添付したところ、マウントだと攻撃的なリプライが殺到
・福岡の彼女と遠距離恋愛してる東京在住の彼氏が「彼女が帰った後の冷凍庫にたくさんの手作り料理が入っていて泣きそう」と投稿したら、女性を下に見ている等の批判リプライが殺到
このほかにも筆舌しがたい批判的なリプライが多く集まる投稿はいくつもあります。これくらい分かりやすければ客観視もしやすいし、多くの方が、批判的なリプライをしてる方は曲解した受け取りをしているとすぐに判断できるんじゃないでしょうか。
弱者は攻撃していい、ではない
先ほどの例のリプライには、弱者のふりをして相手を攻撃しているものもありました。「自分は可哀そうでしょ?」という圧が含まれているんです。
SNSでの誹謗中傷等には「情報開示請求からの民事or刑事裁判」という対応が一般的ですが『自分みたいな社会弱者に対して裁判しても払えるお金ないしやるだけ無駄ですよ。というか、こんな弱者に対して裁判するんですか?』という発言も見かけます。
少しわかりにくい例ですが、子どもを1週間親に預けて旅行に行ったとInstagramに投稿したママさんが『すごいです!私にはとてもそんな事(そんな子どもが可哀そうな事)できません!』という皮肉のリプライを受け取っていました。
さっきも出てきましたが「自分が○○だから攻撃していい」というわけではありません。
犯罪を犯した人は攻撃していい、でもない
先ほどの内容をもう少し深掘りすると、相手が何者であっても攻撃していいわけではありません。
人を裁くのは人ではない。法である。
悪い事をした人、ひどい発言をした人を裁くのはSNSを使う人々ではありません。もちろん、社会的な差別等に対してのキャンセルカルチャーについては別ですが、そうでないのであれば、法で裁かれて罪を償った方に対してSNSでさらに追い打ちをかけるのは、正しい事ではないと思うのです。
自分が被害者なのであれば、加害者に対して憤りをぶつけるのも理解はできるし、その権利もあるかもしれません。
でも、最近のSNSでは、そこに関係のない人たちが「偽りの正義の斧」を振りかざして所かまわず襲い掛かっているように見えるのです。
ネットとの向き合い方を考える時期が来た
すごくおこがましい発言かもしれませんが、個人的に日本は「インターネットとの向き合い方」について考える時期が来たのではないかと思います。
言論の自由は守られるべきだと思います。
ですが、だからと言って「誰かを攻撃していいというわけではない」という事です。
ここまでこの記事を読んでくださってありがとうございます。
最後まで読んだ今、あなたは「VTuberは"絵"だ」という言葉について、改めてどう思うでしょうか。そして、それに対して『なんでそんなひどい事言うんですか!』と批判的な意見をぶつける人がどう見えるでしょうか。