骨髄移植ドナーになるまで

もう10年くらい前のことになるけど、献血を趣味のようにしていたことがある。

事情があって若い頃は献血を避けていたけど、知り合いから問題ないという話を聞いてから行くようになった。
最初は全血、何回か行っているうちに成分献血に変えて数十回。

家の郵便受けに入っていた、いつも送られてくる献血センターからだけど違う色の封筒。

???

開けてみると、LHA型が適合した患者さんがいるのでドナーにならないかというような通知だった。
もうだいぶ前のことなので内容ははっきり覚えていないが、ドナーになるかならないかの意思を確認するような質問シートに記入して返送すると、コーディネーターから連絡がくるというようなものだった。

断る理由はないので、もちろドナーになる方向で返信をした。

その後、コーディネーターの方から電話がきて、面談をすることに。どこで会って話をしたか覚えていないが、ドナーになるまでにかなりたくさんの手続きがあるということ。途中でドナー中止になることもある、リスクもあるかもしれないことなどの説明を受けた。

この段階で、一応当時の勤務先にはこういった事情で、いつ頃有給休暇を続けて取りたい旨相談はしておいた。
正直、勤務先の感触はあまりよくなかった。
2月初旬で時期的にあまり休んでほしくないという感じなのと、なんでそんなことのために休むんだみたいな反応。
そんなこと自分にとっては関係なく、ドナーで休む1週間て支障のないように仕事はするつもりだし、有給休暇を使うので問題ないだろうと思っていたので、その意思を伝え無理やりに近い形で会社の了承を得た。

正直、勤務先にダメだと言われたら退職してもいいかなと思った。そんな考えが合わない会社にいても、今後働いていくのは無理なような気がした。

次の段階として、指定の病院で健康診断を受けることに。病院では通常の健康診断のようなものをして担当医からドナーになることに関しての説明があった。この時、家族の誰かが同席して意思確認も行われた。

ここまで進むと、こちらの都合でキャンセルすることできない。患者さん側も骨髄移植のために投薬を行う治療に進むため、中止になると命に関わるとのことだった。

そして、診断を受けた地元の病院では骨髄移植の対応ができないため、隣県の大学附属病院でお願いしたいと。一応県立の大きな病院だったけど、そこでも無理とは大変なことなんだなと実感。

この段階で、最初の通知から2ヶ月くらい経っていたかなと思います。

次に指定された隣県の病院での診断。
前回よりも細かい所まで調べられて、最終的な決定となる。
あんまり健康的な生活をしていたわけではないので、心配だったがドナーとして問題なく骨髄移植をすることが出来るという診断だった。

ここまででかかった費用として、通院の交通費のみ支給があった。もちろん平日の通院のため有給を使っているか、いまでも居住している市では補助や助成金など一切出ない。このかかっている費用は移植完了後の健康診断まで、すべて患者さん側が支払うらしいです。

LHA型は、両親からその半分ずつを受け継ぐため、親子や兄弟の間でも一致する確率は低く、まして非血縁間では数百〜数万分の1の確率でしか一致しないといわれていますとのこと。

献血をしている人全員が骨髄移植のドナー登録をしているわけではないだろうし、そうなると適合の確率はもっと低くなるはず。

であれば、そんなご縁を断るという選択肢はない。
一生に一度あるかどうかわからないことだし。

今まで、いや今でも人に迷惑をかけてきてばっかりの人生。少しでも人のためになることで、それが自分にしかできないことであれば、なおさら断る理由はない。

その後、骨髄移植のための入院の日程が決められ、あとは入院を待つだけとなった。

しかしここで事件が発生。
バイクで信号待ち停車していると、後ろの車から追突される事故にあう。こちらはバイクということもあり、転倒して身体を打ったため、病院に行くこととなった。
検査の結果全治2週間の診断。

骨髄移植の入院まで2週間を切っている。なんでこのタイミングで事故に。。と憤りを感じたが、仕方がない。

コーディネーターの方に連絡を取り、事情を説明すると事務局と相談することに。
幸い事故での診断は打ち身捻挫ということで、検討の結果ドナー継続可能となった。

よかった。。ほっとした。こんなことでまさかの中止になったら困ると悩んだ数日だった。


そして、骨髄移植のドナーとして入院の当日。
この地方では最大の都市にある大学附属病院ということもあり、大きいとは思っていたけどここまで大きな病院だと思わなかった。

ありがたいことに空きのあったシャワートイレ付きの個室に入ることができた。これから1週間この部屋で過ごすことになる。

平日の入院1週間ということもあり、家族も来ることはできず、そもそも病気や怪我で入院するわけではないのでお見舞いに来るというのも変だし。

入院中なにもすることがないので、観たかった海外ドラマ、ゲームオブスローンをタブレットで用意して一気見することに。仕事は仕事の都合で一切しないという訳にもいかず、ノートPCは持ち込み。

自分の骨髄移植は骨に針を刺して骨髄液を移植というタイプではなく、1週間くらい前から血液中の白血球だかを増やす注射をして、移植当日に献血のように腕から抜くという末梢血幹細胞移植というタイプ。

骨に針を刺してという痛いイメージしかなかったので、そんなに簡単なのでいいの?と思ってしまった。
世間一般の骨髄移植のイメージってそうなんだと思う。ここはもっと広く知られるといいのかなと思うけど、必ず末梢血幹細胞移植になるという訳ではないようなので難しいですね。
一生に2回骨髄移植はできるけれど、2回目は必ず骨に針を刺すタイプになるとのこと。

そんな訳で、骨髄移植のドナーとしての1週間入院のスタート。
といっても毎日、寝て起きて食べて注射しての繰り返し。本当になにも変わり映えのない毎日を過ごすことになります。
病気で入院ではないので食事制限はなし、売店で好きなものを食べることも出来るし、投薬中以外は病院内であれば自由に歩き回ることも許可されていました。

ただ、この末梢血幹細胞を増やす薬というのが思っていたのと違う。なんだか体が重くずしーんとくる鈍痛が関節の各所に。インフルエンザとかで高熱を出した時の関節の痛みのような感じっていうんですかね。
看護師さんからは、きつい時は痛み止め出すので言ってくださいねと言われたけど、大人だから我慢しました。
この鈍痛と、重くだるくなる体の状態は日に日に悪化していくんです。病気ではなくそういう処置をしているので仕方がない。耐えるのみです。

担当の医師や看護師さんたちはとても親切で快適な日々を過ごせました。後半は結構しんどくて、ほとんどベットでごろごろ寝て過ごすことになりました。
あっ、それでも全然元気ですよ。本当に体がだるいのが続くだけ、それが日を追って徐々にキツくなる感じ。
それでも窓から見える、道路を挟んだ、たい焼き屋さんに行きたいとか、焼き鳥屋さんかみえるとかそんなレベル。

4日目だか5日目採血で予定通りの数値になって、翌日朝から4時間か5時間の末梢血幹細胞の取り出しになります。
基本的にほぼ献血と同じ、ただ時間が長いだけ。
途中眠くなったら寝てもいいですよとら看護士さん。
自分としてはトイレだけ我慢できれば問題ない。
水分補給のドリンクやらゼリーを定期的にもらいながら数時間の採取が続いた。

規定量が取れたということで、すぐに患者さんのいる病院へ運ばれるという。自分は少しそのままベットで休んだあと、車椅子に乗り換えて部屋まで戻り休憩。
採取が終わったとたん、体のだるさとか倦怠感みたいなのは治って、何事もなかったかのように復活。不思議な感覚。
それでも今まで抜いたことのないくらいの量の採取ということもあり、フラフラすることがあるから、移動する時は看護士さんに声をかけて車椅子での移動をするように言われました。

それから翌日、採決、血圧、体温測定などをして体に問題がないことを確認して退院。

このくらいの負担であれば毎年やってもいいですよ位の感じ。これで人1人の命が救えることになるなら喜んでやります。

仕事を休まないといけないとか、休業補償がないとか色々ありますが、国が骨髄移植の制度として、ドナーとして提供しやすい環境を整えることはした方がいいだろうけど、自分としては、そうなったらそうなったで得したな程度のことくらいにしか思えない。

数万分の1の確率で巡り合ったご縁、そして、移植が成功すると血液のDNA型が自分とまったく同じ人が生まれるということ。

本当に貴重な経験といっていいのかわからないけど、自分にとってはドナーになってよかったなと。
今もドナー登録は継続してるけどあと数年で年齢制限から終了となる。

移植完了後そんなに日が経たないうちに、患者さん家族から感謝の手紙が届いた。その後どうなったのかはわからないけど、無事寛解して過ごしていることを願います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?