辞世の歌の魅力の話【第1回】 夢のような現世編
さて。そもそも、辞世とはなんでしょうか。
以下はウィキペディアからの引用になりますが。
とのことです。
時代劇を見たことある人なら、切腹する武士が、その直前に短冊に短歌を書いている映像を思い浮かべるかもしれません。
それが辞世の歌です。まあ短歌だけではないので、辞世の句だったり辞世の漢詩だったり、人によって様々ですが。
で、引用にあるとおり、人生の最後にまとめる言葉なので、その人の人生の流れや人生観、価値観など、そういったその人そのものがその短い文に詰まっています。
まあ本人が読んだ物ばかりではなく、周りの人が本人の作品の中から「これがこの人の辞世にふさわしい」と選ぶことがありますが。
それでも、近くで見てきた人が選んだ物だから、その人の価値観が詰まっていると言って良いのかなと。
というわけで、辞世を実際に上げつつ、その魅力を見ていきましょう。
露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢 - 豊臣秀吉
ご存じ、天下人の豊臣秀吉です。
秀吉は幼少期についてはよくわかっておらず、旧来の俗説においては農民やそれ以下の身分に出自があると言われていました。
(現代では、それなりの身分の武士であったという説が有力のようですが)
そのような低い身分から、天下を統一し、藤原氏の姓を賜り、官位を得て、最終的には豊臣という自身の姓を賜るに至っています。
これすごいことで、足利氏も織田氏も徳川氏も、こんなことは成し遂げていません。
個人的に、人臣の身でここまでのことを成し遂げたのは、日本史上では他に藤原道長と足利義満くらいしか居ないという、そういうレベルだと思ってます。
そんな秀吉ですが、辞世では
生まれたときと同じように、何物でもなく、ただ露のように落ちていく。栄華を極めた大坂のことも、もはや夢のまた夢
と詠んでいます。
人生で何を成し遂げても、結局は夢のように儚い物と覚ったようです。
この夢のような物というのは、辞世においてはよく出てくる表現です。
嬉しやと 再びさめて 一眠り 浮き世の夢は 暁の空 - 徳川家康
同じく天下人、300年の太平の世の礎となった、初代江戸幕府将軍の徳川家康です。
この人も浮世(現世)の生涯を夢と詠んでいますが、秀吉のそれと全く違った味わいが出てることがわかると思います。
一応意味合いとしては
もう目覚めることはないと思ったが、また目覚めてうれしいことだ。この夢のような現世も、朝焼けのように輝いている
というような感じになるでしょうか?
いろんな解釈があるので通り一遍の読み方をしたくないのですが。例えば「夢かと思った太平の世が、現実になっている」というような意味合いにもとれるし。
とはいえ、秀吉が過去を夢のようとして嘆き悲しむ歌なのに対して、家康は今を夢としてまたひと眠りと書いています。
この差は、一言でいえば余裕なんでしょうね。
後継者は幼く、百戦錬磨の戦国武将に食い物にされるとわかっていたであろう秀吉(もしくはもう、耄碌していたのかもしれない)
大御所として二元政治を行って後継者を育て、仇敵の豊臣氏を前年に滅ぼし、徳川氏の未来は明るいという家康。
似たような題材でも、本人たちの心持や立場の違いで、ここまで歌の雰囲気に違いが出ています。
余談1 フィクションにおける秀吉と家康の最期の差
個人的な印象でしかないんですけど。
戦国時代を描いた漫画とかで、秀吉の最期は描かれるけど、家康の最期を描いた作品って比較すると極端に少ないんですよね。
まあ徳川家康影武者説を題材としたような作品は、特殊な例として除外するとして。
結局のところ、話の盛り上がりとして必要かどうかという話でしかないんですけど。
秀吉の死って、戦国時代における一つのハイライトなんですよね。ここから最大の山場、関ケ原の合戦に続いていくという。
一方、家康の死の前年に、戦国時代の最後の山場というか、大坂夏の陣が起こり、戦国時代そのものが終焉しているんですよね。
なので家康の死を描いても盛り上がらないんですよ。そこから何も広がらないし。
家康の死を取り上げるとしたらどういう作品かを考えてみたけど、ぱっと思いつくのが
家康が主役で、総まとめとして死を描く
江戸時代を描く作品のオープニングとして
これくらいしか盛り上げる取り上げ方が思いつかないんですよね。
一方で秀吉の死というのは盛り上がります。
関ケ原の合戦という山場へのつながりもあるけど、信長に何ら劣ることのない不世出の怪物である秀吉の死というのは、それだけでドラマティックなんですよ。
自分の年齢的なものもあるかもだけど、秀吉の死として一番印象深い描き方が、花の慶次のそれですね。
あの怪物だった秀吉が、こんなにもみじめに部下に縋り付いて懇願しているのです。
それは弱さ、未来への絶望、耄碌、それらを自覚する上での必死さなど、色々なものが見えてくる秀逸な表現だと思います。
このシーンのオマージュかなと思うのが、へうげものにおける死の床における秀吉と、家康のやり取りかなと思います。
この作品での秀吉は人を、その人の手を見てどういう人間か判断しているんですけど。
家康の分厚く力強い手を、自分の死後にすべてを奪い取る手と見抜き、その先を正確に予見してるんですよね。
この作品における秀吉は耄碌することもなく、最期に縋り付くこともないんですよね。
武将たちの瓜畑遊びを見て笑い、自ら参加し、この仲間たちを集めて企画した唯一の友・古田織部に茶器をわたし、皆に見守られ、北政所に膝枕をされながら永眠します。
ひたすら孤独と戦い、不安から利休をはじめとして多くの人を殺してきた秀吉が、最後に仲間たちに見送られたというハッピーエンド……にも見えるけど、実際のところはここから滅びへと向かっていく暗いシーンなわけです。
ここに集まった多くの仲間が、家康の下で豊臣氏を滅ぼすわけなので。
家康って比較的決まりきった表現しかできないんですけど、秀吉って本当に怪物だからいろんな表現をしうるんですよ。
では、本題に戻っていきます。
筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり - 石田三成
夢とはちょっと外れるけど、秀吉よりもっとさみしい歌が、敗残者として処刑された石田三成です。
秀吉をずっと支え続け、その死後も秀吉の後継者である秀頼のために戦い(最も敵に回った同輩の加藤清正らは、秀頼を敵としたのではなく三成を敵として家康に下ったようですが)、そして関が原で負けて打ち首になります。
漁のかがり火とともに、明日の朝には自分の身も消えていくと詠んでるけど、たぶん消えたのは三成の身ではなく秀吉の見た夢なのだろうなあと。
何事も 移ればかわる 世の中を 夢なりけりと 思いざりけり - 真田信之
ご存じ真田の影が薄いお兄ちゃんです。
父はもちろん説明不要でしょう。真田昌幸です。
マジな話、なんでほんの20年ほど前まで、真田幸村ばかり大きく取り上げられて、この人はそこまで大きく取り上げられなかったのか。
それが謎な程度には濃い人です。
弟は真田信繁です。
真田幸村という別名のが有名ですかね?おもにオタク女子の間で神格化されています。
観音様並みにいろんな姿で顕現なさってますね。
マジで下手なマイナー仏様より信者多いんじゃねえか?
この二人ほど有名ではないですが、妻は小松殿です。
家康股肱の臣である本田忠勝の実娘であり、家康の養女としたうえで信之の妻となっています。
真田氏が統治する地を、よその大名のところの使者が家康への貢物をもって通った際、
「義父への貢物ということは、つまり私のものということだ」
というジャイアニズム独自の理論で貢物を奪いとり、実父に頭を抱えさせ、義父にあきらめの苦笑をさせたという強者です。
ここまで三人、全員家康の天敵です。
信之お兄ちゃんマジで苦労してんのよ。江戸幕府におけるその立ち位置、間違いなく針の筵よ。
ものすごく苦労しててストレスかかえてて、30代から病気がちでよく床に臥せってて、家康からも気を使われて色々役務を免除されて、結局93歳まで生きてます。
ああうん。これは間違いなく表裏比興の者の所業ですわ。
そんな長生きした信之お兄ちゃんですが、辞世で至った境地は
いろんな移りゆくものを見てきたが、そのすべてが夢とは思えない
ということです。
かなり長くなったので、第1回としてここでいったん区切ります。
死に当たって人生を夢で例えたり、それでもなお夢ではないと信じたり。
辞世ではないけど、中国では胡蝶の夢なんて逸話もあったりしますが。
さてさて、自分がその時を迎える際、人生を振り返って夢と感じるか、そうではないと感じるか。夢ならば悲しい夢か幸せな夢か。
全ては自分次第かなあなんて、思ったりします。
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