アイスランドから見る風景:vol.16 2022年2月24日 欧州新秩序・冷戦2.0
今回のコラムでは、2022年2月24日ロシアのウクライナ侵攻がもたらした欧州でのパラダイムシフトについて、アイスランドから考察してみたい。本来であれば、もっと早い時期にこの題材でコラムを書き上げたかったのだが、わたし自身が今日まで欧州で戦争勃発の事実を消化しきれていなかった。ロシアのウクライナへの進軍とその衝撃、数分ごとにアップデートされる戦争の状況一刻一刻に、頭と心が完全に麻痺してしまった。
疫病と戦争が双子であることは、人類の歴史を紐解けば明白な事実ではあるものの、それでも現代のこの欧州で戦争が起こるとは考えたことさえなかった。わたしは、いや、西欧で生活をする現代人は、戦争とは、世界が分断されていた過去の遺物であると思っていた。地球全体の規模での人類の幸福に考えが及ばない、狭量で無知な先祖たちが起こした失策であり、現代を生きるわたしたちには無関係な事柄であると思っていたのだ。
欧州に属する各国は、それぞれの事情と政治的な思惑のために、本来から揺るぎのない一枚岩ではなかったものの、それでも共存と共栄の理念を分かち合い、問題解決はあくまで議論を通じて行うものという暗黙の了解があった。東欧と西欧の価値観に大きな断絶があることは、コロナ禍でのワクチン接種や人権問題を通じて明らかになりはしたものの、それでも解決に武力を行使するという手段は、最悪の場合のオプションとしても考えられなかったことだろう。少なくとも、西欧社会を目指す東欧諸国に関しては。
しかしそもそも、この点が問題なのだ。すべての東欧が、西欧のように民主化したいと思っているわけではない。東欧の国民が、SNSを通じて欧米の生活を身近に感じ、同じような政治的な自由や生活の質を求めても、既存のシステムの中で国民を搾取し、利潤を得ている政治家や軍閥、企業などの利権団体は決して変化など求めない。ベラルーシがそのいい例だ。ただしルカチェンコの国民に対する強硬姿勢も、背景にロシアの存在が見え隠れしなければ、今日までこのようには続かなかったかもしれない。ロシアにとっては、”同じ文化”を共有するベラルーシとウクライナには、西欧化した東欧になってもらいたくないのだ。
わたしたちの失策は、東欧の国民の希望と政府の意志の乖離を見誤ったことだと思う。民主主義を標榜し、人権を尊重し、選挙で国民の代表を選べる国に住むわたしたちには、政府と国民の国政への理念がかくも断絶していることに理解が及ばない。特に欧州のミレニアム世代にとっては、欧州はひとつ、という価値観が根付いている。だから若い世代は、政府を批判するために立ち上がり、デモをし、自分たちの変革への意志を明白にする。それはロシアにいる若者たちでも同じだ。若者たちは世界との連帯感があるために、立ち上がることができたのだ。
しかしながら、国民が幸福になることで、自己の存在が危ぶまれる集団は、国民の意志の発露を望まない。若い世代の健全な見解の発現を、政治舞台からの退場をすべき世代が、自分たちと利益とエゴを守るために駆逐しようとする。世界を分断することで利潤を得ていた古い世代は、手垢のついた馴染みの旧式思考にしがみつき、自分たちを守るためには手段を選ばない。文字通り、手段を選ばない。”同じ民族”であろうが、”国民”であろうが、自分たちと異なる価値観を持つ相手を完膚なきまで叩きのめすのを厭わないのだ。その無慈悲な決意を、わたしたちは完全に見誤った。
開戦のニュースに対するアイスランド人の反応は、驚愕の一言に尽きた。21世紀のヨーロッパで戦争なんてありえない、というのがみなの正直な気持ちだったと思う。ニュースを言葉として理解できても、それが現実だとはとても信じられない、と言う感じだろうか。日本で言えば、どうなのだろう、一番近いイメージとしては、北朝鮮が韓国に軍事進攻をしたと聞くのに似ているだろうか。こんな出来事が実際に起これば、衝撃を受けない日本人などいないことは断言できる。
アイスランド人の反応として、2つの情景がわたしの印象に残っている。そのうちのひとつは、アイスランド国営放送局の男性ニュースキャスターが行った、2月24日のキエフからの生中継た。その日の午前中の時点では、キエフの市民はロシア軍が標的にしているのは軍事施設だけだと楽観視していたようだった。それがその日も終わらないうちに、市民はロシア軍が容赦なく、民間の住居や施設を無差別に攻撃し始めるのを目の辺りにすることになる。「戦争が局地に限定され、市民は巻き込まれないという希望が、ウクライナ人たちの目からみるみるうちに消えていくのを見た」と語るニュースキャスターは涙ぐみ、伝える言葉は哀しみに震えた。欧州での戦争が現実になったことを悼む気持ちが、圧倒的な迫力で画面から伝わって来た。自分の気持ちに正直な彼のリポートは、まさに普通のアイスランド人の気持ちを代弁していたと思う。男の涙とは、このような場面で見せられると、女の涙よりも万の言葉を無言で語る。
もうひとつ、わたしの印象に深く残ったのは、60歳半ばの会計士の女性が「ウクライナの人たちの境遇に同情してやまない。ヨーロッパでこんなことが起きるなんて、想像だにできなかった」というセリフだ。中東やアジア、アフリカでの武力紛争が、仕方のないこととしてアイスランドの日常から切り捨てられても、欧州内、しかもEUやNATOに加盟しているポーランドのお隣で起こっていることから、同じ戦争でも受けるインパクトが違うのだとわたしは実感した。アイスランド人は、民主主義と人権の理念を欧州と深く共有している。それが根幹から覆されようとしているのを見るのが、辛く耐えられないのだ。
そもそもアイスランド自体、他国の支配が長かった国である。930年の建国後、12世紀にはノルウェー、13世紀からは20世紀の第2次世界大戦終焉まで、アイスランドはデンマークの支配下にあった。他国による統治が歴史の大半を占めるアイスランド人にとっては、自国の独立は何にも増して大切なものだ。変動の激しいアイスランドクローネという独自の通貨リスクを負いながら、それでもEUへの加盟や通貨統合を拒むのは、この歴史的なトラウマに一因があるかもしれない。そんな自国の歴史ゆえに、アイスランドは他国の独立には積極的に支援を表明した。冷戦時には世界に先駆けてバルト3国の独立を1990~1991年に承認している。
ロシアのウクライナ侵攻後、アイスランドはEU加盟国、EFTA加盟国と政治・経済に於いて協力、またシェンゲン条約にも基づいて、積極的にウクライナ難民を受け入れている。当初は400人と見込まれていた避難民の数は、現在3月15日の時点では2000人~5000人と推測されている。ロシア航空機への領空飛行禁止措置、ロシアとの銀行取引の停止など、欧州と足並みをそろえながら、国として可能な限りの経済制裁を行っている。そのために、アイスランドはロシアの非友好国リストに名を連ねることになった。
アイスランドの外交関係者の話では、ロシアがアイスランドに直接の攻撃をすることはないと考えられているが、アイスランドはNATO加盟国である、今でこそNATOアメリカ軍は駐屯してはいないものの、今後の欧州大陸での情勢が変われば、またアメリカ軍が戻ってくるかもしれない。アイスランドという島は、対ロシアへの空軍・海軍の物資的・軍事的中継基地として都合がいい場所にある。そのためにNATOアメリカ軍は第2次世界大戦後、ケプラヴィークに基地をつくり、同時にNATO加盟に反対だったアイスランド人たちをなだめるために、ケプラヴィーク国際空港も建設している。
毎日ニュースで流れるウクライナの状況を見て、無意識にも空撃の恐れを抱くアイスランド人もいないことはない。例えば先日、こんなことがあった。3月9日の22時ごろ、レイキャヴィーク首都周辺の上空で、航空機が大きな音を立てて飛行しているのを多くの人が耳にした。何事かと恐れた市民たちは放送局に電話をかけ、SNSを通じて情報を集めようとした。翌日のニュースによると、ポルトガルの戦闘機2機が首都の上空を通ってケプラヴィーク空港に着陸し、そのときに生じた騒音が騒ぎの元になったようだ。通常軍用機がこのように空港を利用する場合、市民を驚かせないよう騒音をたてないことがルールになっているのだが、この夜に限っては何か不都合が生じて、市民を巻き込んだ騒ぎになってしまったらしい。
別途3月14日の深夜1時半ごろ、これもまたレイキャヴィーク首都の周辺で、ものすごい音が空気を揺るがせた。先日の戦闘機には気が付かなかったわたしも、さすがにこの真夜中の地鳴りのような響きには目が覚めた。続けて2回レイキャヴィークの空気を揺るがせた原因は、何と雷。首都上空を流れる冷たい不安定な大気のために、雷が発生したとのことだった。首都とは言え、レイキャヴィークは基本的に静かな街なので、真夜中に上空で大きな音がすれば驚くほどよく響く。1年の内に1回あるかないか、そもそもアイスランドでは雷を耳にすること自体がめずらしいのだ。自然現象に度肝を抜かれ、ベッドから飛び起きるのは、身近な欧州での戦争が国民の心理に影響している証拠である。
アイスランド政府は、今後もウクライナへの人道的援助は惜しまないだろう。ただし、NATOが参戦、その結果アイスランドにNATO軍が再駐屯するような事態になれば、話は全く違ってくる。軍隊を持つ経済力のないアイスランドには、もちろん兵役もない。つい最近まで、警察でさえ武装をしていなかったお国柄なのだ。ウクライナの人たちに同情はしても、やはり自分たちは直接関与できない東欧の向こう側で起こっている闘いであると一線は引いている。
欧州の西と東を隔てていた鉄のカーテンは、少しばかり東に移動はしたものの、実のところ一度も取り払われてはいなかった。わたしたちは、自分たちの見たいものしか見ないし、知りたいことしか知ろうとしない。1994年から2009年まで続いたロシアの内紛・チェチェン紛争、2004年のオレンジ革命、2014年のクリミア自治区のロシアへの併合に端を発したウクライナ東部ドンバス地方での紛争、2020年のベラルーシでの不正選挙と政府反対派の弾圧、2020年ロシア野党有力な指導者アレクセイ・ナヴァルヌイ氏の毒殺未遂と投獄など、ロシア周辺には煙どころか、多くの野火があちらこちらで上がり始めていた。紛争当事者や有識者は声を上げ、ロシアへの注意を再三喚起したものの、わたしたちは見ないふりをして、ロシア国内とロシア衛星国の問題だと切り捨てた。
鉄のカーテンが再び可視化したことで、欧州では、冷戦2.0という新しい地政学秩序を形成せざるを得えなくなった。2月27日ドイツの首相オーラフ・シュルツ氏は、議会での所信表明演説でその幕開けを明確に宣言した。2回の世界大戦を引き起こした罪悪感から、今日まで軍備に消極的だったドイツが、NATO欧州軍という形での再軍備へ国家予算を大きく引き上げたのだ。ロシアは眠れる欧州の巨人を呼び覚ました。EUブロックは、政治的にも経済的にも今後さらに団結が強化されていくと思われる。まさにそれこそが、欧州共同体が設立された理由なのだ。
この新しい現実は、アイスランドにも日本にも波及する。ウクライナ侵攻は、遥か彼方の欧州での出来事で日本とは関係ないと思っていたら、それは大きな間違いだ。食料問題にせよ、エネルギー問題にせよ、わたしたちの島国は世界と繋がっている。日本は昔から工業資源には恵まれず、原料を輸入しそれを加工して海外に輸出するという通商によって、これまで栄えてきた国なのだから。
島国だからと内向きになって国内供給と消費に頼っていても、近い未来には国は必ず破綻する。自国のことしか考えないような視野の狭さでは、物騒な隣人に囲まれた日本で将来有事が起こっても、世界は決して手を差し伸べてはくれないだろう。わたしたちは、世界の現実を知る努力を惜しんではならない。それと同時に、もっと世界にわたしたち自身のことを知ってもらわないといけないのだ。