Notes of a Dirty Old Man
青森市に帰って、退社のことは心に決めていたにしても、
何時言い出せば良いやらと考え考えしながらの一場所だったよう。
一応は彼女にも相談してのことだし。
次の仕事のことも考えなくちゃいけない。
場所の途中だったと思いますが、
社長とのつながりでしょう、以前に勤めていて田舎に帰っていた、
先輩が何処からそんな話しに結び付いたやら、
田舎でラーメン屋の仕事をしていたらしく、弘前から北への道の途中に、
或るラーメン屋の空き店があると多分事務所の女性が耳に入れ、
社長に相談をし田舎に帰っていた男性が先立ちに良しとなったのでしょう、
やって来た。
フランチャイズのラーメン屋で建物も作り方も決まっていたよう。
彼が先立ちで、他に社員としては、
営業の面接で来た人を経験が有るからとラーメン屋で使おうと、
社長もいろいろと忙しい。
あとはアルバイトを数人で回して行く、なんて言ってたし、
その頃は仕事が無い街で、彼は女子高生がようけ面接に来たと、
喜んでいたっけ。
詰まらないことを憶えています。
それに引き換え手伝い社員のことは話しがごちゃごちゃしてたし、
どんなになったかは知らないし、お店の行く末も。
彼が先立ちにふさわしくないのではと、
話しを聞いていれば直ぐに分かるような方だったのだし。
どちらにしても社長はあっちに行ったりこっちに来たりの、
インストラクターで忙しいんだから、
事務所の女性が管理するのでしょうから難しいと傍目に思ってた。
バイの仕事で金に余裕があったので出来たことだったのでしょう。
そうそう、
開店のイベントで景気付けにお客さんを集めるのに、
誰かそこそこ皆が知ってる、こちらの出身の方を呼ぼうとの話しが出て、
別段に社長にプッシュプッシュをした訳でも無いが、私の子供に決まった。
ただ彷徨い歩くだけみたいな男、面倒は掛けても、面倒を見るじゃ無く、
そんなことででも出来ればと申し出た。
呼ばれた経緯などは知らないでしょうし、子供が店に来ていた時間は、
野暮用でお客さんの所へ。
逆に逢わずに良かったが胸の内だった。
帰れば裏の隅に色紙にサインしたものが寂しく置かれてた。
手に取りまた戻した。
事務所の女性が私は誰それが良いと思ったのに、
の声が聞こえてた。
前の仕事では何でもシステマチックに進んでいたけれど、
こちらでは組織が小さい分、
聞きたくないことが直接に耳に入って来るようなあけすけな会社だった。
私の胸の内のこと。
以前の会社、今回のこと、いろいろ併せ考えて営業の、
バイの仕事ももう仕舞いにしようとの結論を得た。
私は工場が長いんだとも思い浮かんだ。
小学校を卒業しての後に父に付いて上京しておりますので、
工場を無くした後のことで誰も私を見知っている方も無いものを、
友達に惨めな姿を見られたくないと思えば、
街を歩くのも気が進まずにおりましたが、
時間を見て場所は知っている安定所に行き仕事を探した。
青森には良い仕事は無いは知ってのこと。
また彼女と離れるとは思っても、今も月に数日だけの逢瀬なんだから、
埒も無い。
まずは決まった長く続けられる仕事を、金をが先に行く。
その時は何とも思わずにいたけど、派遣の仕事でしたが電話機の検査が、
引っ掛かった。
今は無くなったのか、盛岡の近くで宮沢賢治の故郷とみんな知っている、
花巻の高速道路沿いの大きな会社の大きな工場だった。
良いと飛びついた。応募の用紙を係の方に頂き、送りオーケーを頂けば、
辞めようと心決め。時給も千円と良い。
その時はまたのつまずきを知らないで。
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