Notes of a Dirty Old Man For Introduction

自分では分かり過ぎるほど分かっているつもりでも、
改めて考え直してみれば確かにとなること。
そうもの心の付き初め、
四五歳の頃のいくつかのピクチャーに写されたような場面場面の記憶の、
転移がその都度に寄る辺の無いもののように、周りが移り代って行く。

先ずは海辺の町でのこと。意地悪をするように両親の顔は見えず。
そして青函連絡船のデッキでのこと。
隣に暗い顔をした母が、岸壁には父がいた。
はかなげに心をつなぐような数本のテープを持ちあい。

誰かが後日教えてくれた土地の名は岩見沢。
青森とは違う、街の広がりを感じながらにおじさんがいて、母がいた。
突然に現われ私を連れ帰る父、岩見沢の駅には知らないおばさんがいた。
一年程のあとに影の薄かったおばさんが消え去り、
また新しいおばさんが現れた。
長く二十歳過ぎまで長くお世話になった育ての母だ。

でも環境はと言えば青森でも小学校の転校が有り、
仲良しの友達が去って行った。そして私も卒業とともに上京したんだ。
私を心に持ち続けてくれた方は有りや無しや。
そんな方がいらしても心を閉じて仕舞う私もいる。
生意気にさよならだけが人生さなんて呟いたりしたら変な子供だね。
さよならばかりのような小さな人生の中で、さよならは嫌の写し鏡だろう。

時偶に思い浮かぶシーンの数々だ。
上京後のことは書きませんが、
落ち着いて通い出した公立中学を短い間で転校すると続くんだった。
そんな人となりの形成の中での大切な時期でのこと。

また思い浮かぶ中原中也じゃ無いけれど、あなたの好きにするのは止めてくれ。
どんな人間が出来上がるのでしょうか。
まっ、わたしわたしなんですが。
そんな人となり故、精神の不安定をも抱えての過ぎ越し方が、
多くの方々とは少し違う事々へのアプローチとなり、
心持ちを書き残すのだろう。

もちろん右とか左では無く、
誰かの主義主張から出たものでも無い私の思いのたけを書き綴る。
多くの方々が受け入れて良しとしたものを疑い始める。
歴史が好きだから遡り見直す。

畏いなるものの呟きを聴いたと簡単に言って済ますのだけれど、
何故私の所にいらしたのか、わざわざフィリピンはセブシティーの、
サントニーニョ教会近くの、
同じ名のレジデンスにたった三ヶ月だけ住まいして居た時のこと。
私にクーデターに付いての書きものを勧めた。

少し以前になりますが、
2009年の一月末のことですが失敗の多かった酒に、
手が行かなくなったミラクル。もちろん今も一滴も。
何も呟かれはしませんでしたが、書きものに続いた不思議。
そして直に長く今も続けておる霊氣にもつながった。

浅学菲才では有りましょうが、今の今に書いておるもの、
ひねくり出す訳じゃ無く、思い浮かびを綴っているだけのこと。
帰結は与えられておりますから、
あっちに行ったりこっちに来たりはあるでしょうが、
あくまでも下書きとの思いのままに書き継いで行けば良い。

企む訳じゃ無く来月十日には飛行機に乗りマクタンセブに居を移す。
三年程の足止めの後のフィリピン、三ヶ月だけのことですが楽しみです。
サントニーニョ教会の時を告げる癒しをくれる鐘の音を早く聴きたい。
ワクワクする。
~~続く

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