Notes of a Dirty Old Man
この歳になりよく思うことだけれど、
若い頃からの夢へその都度に思い切ることが出来ただろうに、
一歩を踏み出せずにここまで来てしまった、んだと。
思い出す、あの時には書きものの道を志向していたから、
七十年安保の頃、やっと少し落ち着いてきて授業が始まった。
気安い講師先生で、英語の試験の時だったと思うけれど、
皆は済ませて帰ったのに私だけ頑張っていた。
提出し何の気なく先生に文学の道にと問いかければ、
先生曰く、自分で勉強すれば良いのお返事。
話し済ませばそれで満足して仕舞う質。その後に何の展開も無し。
事程左様に、その都度に思い浮かびもせず、
少ない満額に足らない年金を貰い出し、幾らかでも生活が楽になり、
精神の不安定を同行に、忘れもしない雄琴から帰り、
以前と同じ十条油小路近くの狭い部屋で、
半端仕事をしながら何の導きか書きものを書き出した。
2009年の年初めに酒に手が行かなくなって続いたことです。
2010年の頃に始めた或るブログサイトでの二年程に渡っての書きもの。
昨年にはネットに残っておりましたので書き下ろしに続けて、
上下二巻に分け編集をして、アマゾンキンドル出版に上梓した。
愛おしいものです。
そうそう昨日の続きを。
どちらにしても最後は二十年程続けた工場を人手に渡し仕舞う話し。
数年前より工場を人手に渡そうかの話しは父との間であった事ですが、
踏ん切り付かずにただ日が経って行くばかり、そんな中で起きたこと。
若い頃から、
女性を多く使う仕事でトラブルは気を付けろと言われておりましたが、
どちらにしてもそんな気があっても前に進むは出来ない質。
奥さんとのことがそんななら、
それなりに事があっても良いものを、進展は無しのつぶて。
それに引き換え父親は、もちろん独り身ならそれなりで、まぁ良い。
ただ人の奥さんとのことなれば話しは別。
気が付いたのは毎晩のように出入口が別の二階に従業員が通って来てる。
何だろうと思った、が始め。
小さな町だし女の情報網は半端ない。
奥さんに少しおばちゃん方に話しを聞いてみろと言うと、
上への遠慮で大人しくしていたが色んな話しが聞こえてくる、
住まいの近くに住んでいる方もおり、生々しい話しも聞こえてくる。
以前にメガネが壊れた何て言ってたことがあったが、
家に行った時に旦那にぶん殴られた時のこととか、話しが繋がり、
納得する。
東京からの問屋さんとの接待に買い与えた車を運転させて行ったとか。
私はただそうですかと聞いていただけだったけれど。
現場の仕事の担当は決まっているのだし、上手く回るかが心配だっただけ。
奥さんが言っていた、風呂場で上の話しが聞こえてる、とか。
何をしてるやら、知らんぷり。
周りからの情報が先を行く。
離婚をさせたとか、旦那は出稼ぎに行ってたとか。
そして仕上げは私へのご主人からの直接の電話。
子供たちをちゃんと育ててくれと女性に伝えてくれとの事だったやに。
私の辛抱も堪りませんでした。
今でも何だったのかと思うし、何であの時に私が身を引かなかったのかと、
思うだけ。
落ち着いて考えるなんて思いの外だったろう。
~~続く。