Notes of Dorty Old Man

そうそう昨日に思い浮かんだこと、書いてみようと思います。

体調不良というか、精神の不安定の現われの経めぐりのこと。
基本的には2008年の頃、
京都十条油小路近くのアパートから仕事を得て、
雄琴の会社の寮に引っ越して
暫くの内にはっきりと現れた精神の不安定。

夜勤のホテルでの保全の仕事。
寝れないしゴミを捨てられずにそこらへんに。
ビールの空き缶も。
最初は十時頃から夜明け前の四時くらいまでだったはず。

何とか頑張っておりましたが、それがスタッフが抜けて、
夜中過ぎの二時から十時くらいまでになって現れた。
時間の感覚も可笑しくなって、
大丈夫かなって病院に行けば抑うつ状態との診断。

続けていればうつ病になるよともお医者先生に脅かされ、
会社が面倒を見てくれる訳も無く、
診断書を貰ってたし失業も直ぐに貰えると、
教えてくれる友人もいて、辞めて京都の同じアパートに帰った。
58歳の頃か、60歳になれば少ないけれど年金も貰えるし、
生健会の方にいろいろ相談に乗って貰っての、生活が始まった。
上手く行かなければ、
生保もあるんだしでまずは共産党系の病院の精神科に通い出した。

そうそう経めぐりのこと。
仕事運が無い奴って簡単に片付けていたけれど、
若い頃25歳の頃から45歳の頃まで、
父親と二人で自営の工場の仕事をしていたのだけれど、
執着が薄い質で、
高校の三年生の頃かな父には書きものに関係した仕事がしたいと、
打ち明けていた。

ただ言って仕舞えばそれで満足をしてしまうような質で、
胸の内にはいつも持ち続けておったにしても、
口を突くことも、何が何でもなんて思いを持つことは無かった。

父親にすれば役人を辞めて私に手伝わせての仕事をとが、
胸の内だったのでしょう。
難しいとの一言が今も胸に残っています。頑張れなんて一言も無し。

父親の仕事の関係で小学校を卒業とともに上京しておりましたので、
津軽地方、田舎に帰り仕事を始め、
直に結婚もしたし、子供も出来て自分を持てなくなった。
縫製業でおばちゃん方がほとんどで多い時は60人になんなんと、
していたし、必要に迫られて衛生管理者の資格も取った。

中学も男子校で高校も。
女性の気持ちなど分からない男の見本だ。
生みの親は小さい頃に両親が離婚していて知らないし、
育ての親だったから女性を見せない人だったし、
仕事でも付き合いは難しかった。
妻を選ぶのも下手臭い。

仕事でも続けるのが難しいと思い出していたし、
妻の私には理解しがたい話しから、私の心の中で何かが崩れ出した。
若いから何とか持ちこたえてはいたけれどね。
~~続きます。

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