猪木ボンバイエ!
アントニオ猪木が死んだ。
あえて敬称を付けない事を許してください。
僕の中で死んではいけないアントニオ猪木が死んだんだ。
悲しいよ、寂しいよ、苦しいよ、虚しいよ、世の中のどんな言葉を使ってもこの思いは言い表せない。
猪木ファンは皆さんそんな気持ちでいるんじゃないかな?
ものごころついた頃、テレビで力道山を見た。
自慢じゃないが、僕の姉は力道山に抱っこされている写真さえある。
力道山はあっという間にヒーローになったが、あっという間に消えていった。(襲われて亡くなった)
力道山亡き後、残されたのがジャイアント馬場とアントニオ猪木という2人の弟子だった。
せっかく根づいたかに見えたプロレスはいきなり危機に見舞われたのだ。
馬場は力道山が引いたレールの上を踏襲しながら走りたがった。
いわゆる勧善懲悪型の正統派のプロレスである。
しかし、猪木はもっと過激なプロレスを求めて袂を分かった。
二人の考えは間違いでは無かった。
猪木がいて馬場がいる。
それで良かったんだ。
金曜日の夜、日本に空前の「プロレスブーム」がやって来た。
僕は断然、猪木派だった。猪木は次から次へ手を替え品を替え、僕らをワクワクさせてくれた。
アンドレ・ザ・ジャイアント、タイガー・ジェエット・シン、ブッチャー、ハルク・ホーガン、ブルーザ・ブロデイ、スタン・ハンセン…といった外人レスラーたちとの闘い。
そして猪木が生み出したのは日本人同士の対決だった。それは軍団抗争として、後に新日本プロレスの柱になった。
しかし同時に反目しあい、幾度も団体が分裂するという弊害も産んだけど。
そして格闘家、アントニオ・猪木の代名詞となったのがモハメド・アリとの異種格闘技戦だった。
後の格闘技ブームの火を点けたのはアントニオ猪木だったのだ。
燃えた。僕らは猪木の対戦相手が決まるたびに燃えた。
そしてその炎はプライドやライジンに受け継がれている。
僕は猪木の政治家活動にはそんなに興味は無い。
突然亡くなったアントニオ猪木をあまりにテレビが猪木を美化するからSNSに巣食う自称・正義の味方が猪木をバッシングしている。
コレは腹が立つ!
彼らはわかってないんだ。猪木ファンは猪木が何しても許すと言う事を。
猪木が金に汚かったとかさ、そんな話はファンは百も二百も承知なんだよ、バカヤロー!
そんな事気にならないくらい「アントニオ猪木」には魅力があるんだよ。
お願いだから、ヒーローはヒーローのままで逝かせてくれよ。
僕はそう思う。
アントニオ猪木が死んだ。
2022年、9月30日、僕のヒーロー
アントニオ猪木が死んだ。
時代が世代が変わる音がする。