210420 文科省 「第25回大学入試のあり方に関する検討会議」 を傍聴してみました
突然ですが、皆さん。文部科学省など国の行政機関の会議を傍聴したことってありますか?多くの方の答えは「否」だと思います。
この記事を執筆している佐藤は、今年(2021年)の3月まで地方公務員をしていました。「お堅い話を聞き慣れている私が参加しなきゃ!」という謎の使命感のもと、今回「第25回大学入試のあり方に関する検討会議」(オンライン開催)を傍聴してみることにしたのであります。
<大学入試のあり方に関する検討会議って?>
この会議の趣旨は、英語の資格・検定試験を「大学入学共通テスト」に活用するためのシステム、英語4技能(読む・書く・聞く・話す)の評価や記述式出題を含めた大学入試のあり方について検討を行うことにあります。
みなさんも「大学受験で英検やTOIECを活用する」だとか「マークシート式のテストじゃなくなる?」といったトピックはニュースで目にしたことがあるのではないでしょうか。
<目次>
1.令和3年度大学入学共通テストについて
2.討議 4技能による総合的な英語力評価のあり方について
3.討議 経済的な状況や居住地域、障害の有無等にかかわらず、安心して試験を受けられる配慮について
ちょっと申し上げづらいのですが、3.については聞けていません。メモを取るために途中で止めながら見ていたのですが、アーカイブが残らない配信でした。Oh…
次の見出しから実際に検討会議の内容について記述していきますが、配布資料や委員名簿のリンクを載せておきます。興味のある方は見てみてください。
配布資料:
検討会議委員名簿:
1.令和3年度の共通テストについて
会議の最初に、大学入試センター理事長から、今回の共通テストに関する問題評価・分析委員会報告書(案)が展開されました。
理事長からの説明のあと、各委員との意見交換が始まります。特に私が気になったやりとりを取り上げてみます。
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委員「国語について、配点の設定の妥当性について指摘あり。今後、配点について検討していくべき。」
理事長「国語は200点満点だから9点となるが、100点満点換算すると4.5点。とりわけ高いとは考えていない。引き続き検討を進める。」
【佐藤の独り言】
200点満点中の9点と、100点満点中の4.5点は、その科目の満点に対する割合は同じだけど、受験では全科目の合計点が使われる以上、国語の9点と数IAの4.5点が同じ意味を持つとは言えないのではないかしら。
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委員「英語の読解はかなりの文量。思考力を問うよりは、限られた時間での情報処理。」
理事長「思考力を問いたい思いがあることで、却って問題文が多くなってしまった。」
【佐藤の独り言】
共通テストを実際に解いてみたのですが、確かに英語は読解量が多かった…。1つの文章が長いというよりは、短めの文章がたくさん出題されています。私個人の感想ですが「TOIECっぽいな〜」と思いました。自分が受験生だったら、試験当日かなり焦ったなあ〜。
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委員「実証研究をしてほしい。出題者側が、受験生に問いたい力を問える問題になっているのか調査が必要。」
理事長「そのとおり。「生徒の能力」と「テストの点数」の相関は検証するまで分からない。今後も妥当性の検証を行いたい。」
【佐藤の独り言】
共通テストに限らず、テストというものは、生徒たちがそれぞれ持っている多様な力のほんの一部しか測れない指標なんだなと改めて気づかされた。
「測りたい力を決めること」と同様に、「測りたい力をきちんと測ることができるテストとなっているか検証すること」ことは重要なんだ…!
みなさんは上記のやり取りを見てどんなことを思いましたか?ぜひ皆さんの考えを聞かせていただきたいです!
2.討議 4技能による総合的な英語力評価のあり方について
<本題に入る前に>
次に、英語力の評価方法に関する討議に移ります。
これ、個人的にはとっても興味があるトピックです。というのも、私はほとんど英会話ができません。英語を聞き取るのに精一杯で、自分が発言する隙などなく会話は進んでしまう。一方学生時代、私の得意科目の一つに英語がありました。今回解いた共通テストの英語読解も100点満点中96点でした。自分でもびっくりです。
どうして解けたのか考えてみたとき、中高時代に英語の授業を毎回必死に受けていたからだと思い至りました。「教科書の本文をノートに書き写して、知らない単語を調べて、和訳して、授業に臨む」。中1の英語の授業で先生から説明された予習の仕方を健気に6年間実行した結果、大学受験の武器にはなったけれど、英語は喋れない。ジョークだとしたら笑えません。
もちろん英語が喋れることが全てではないけれど、英語で会話ができることで広がる世界は確実にあると感じるので、日本の英語教育がどのような方向性に進んでいくのかとても気になります。
<報告内容の概要>
前置きが長くなりました。討議の前に会議の座長代理から、これまでの検討会議での意見をとりまとめた資料が展開されました。主なものは以下のとおりです。
・英語資格・検定試験を共通テストの中で活用することは一定の合理性がある。
・4技能の試験は共通テストで行うことは困難のため、外部の試験を活用することになったがいくつもの課題があり令和3年度の受験での活用は見送られた。
確かに、50万人規模が受験し、スピーディーに採点することが求められる共通テストで、スピーキングの試験やライティングの採点を行うことは実現可能性が低いですよね。そんな制約の中でどのように生徒たちの英語力を総合的に向上させ評価するのか、討議が始まりました。
前段同様、気になる意見を取り上げてみたいと思います。
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委員「国家試験合格をゴールとしている分野等での優先課題は、英語4技能よりもむしろ国家試験に合格すること。国家試験に英語を出してもらえれば、英語の必要性も向上するのではないか。」
【佐藤の独り言】
現段階で英語力が必須ではない資格があるとしたら、英語力を国家試験で問う必要はないのでは…?本来、ある分野で卓越した知識、スキルを持った人を測る指標であるはずの国家試験まで、「英語力の向上」という分かりやすい目標のもとに変えてしまうのは避けた方が良いと感じました。もちろん英語力があってしかるべきである資格があるのなら前向きに検討する余地はあると思います。
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座長代理「国によるインセンティブが重要。英語だけには留まらない。文系学部で数学を課した大学や記述式を課した大学は受験生が減った。その大学は痛みを覚悟の上で、改革をしているから国はその援助をすべき。」
委員「入試にインセンティブはやらない方がいい。大学はやったふりをするだけで、本質的なところで理解して取り組むのが大事。」
【佐藤の独り言】
個人的にはインセンティブは一つの手段としてアリなのではないかと考えます。大学(特に私学)は、入学者が集まらなければ学校が立ち行かなくなります。したがって、本質的なことを理解することと、それを実行できることとは必ずしもイコールではありません。国からのインセンティブがあるなら実行できる大学が出てくると思います。
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委員1「社会に出たあと必要になる英語力を検討して、大学で教えるのが大事。」
委員2「自分の子どもはICUを卒業した。大学に入る前は喋れなかったけど、出たらペラペラ喋れるようになった。大学の教育が大事。」
委員3「英語はもちろん大事だが、英語ができればOKみたいな書き振りは避けた方が良い。各大学が多様な人材を育てることが重要。就活に英語が必須という社会を目指すのか。英語力は必ずしも担保されていないかもしれないけど、その他に素晴らしい力がある学生を評価できる社会の方がいいと思う。」
【佐藤の独り言】
委員2の発言については、英語を喋らなきゃいけない機会がたまたま大学時代にあっただけで、それが高校時代だろうが社会人になってからだろうが同じことなのかなと思いました。大学は英語力を強化する機関なのでしょうか…。
もちろん大学は社会に開かれていないといけないが、大学は職業訓練校とは別の役割がある。直接的に社会の役に立たない(と現時点では思われている)勉強や研究に集中できる環境を作るのも大学の役割。
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・その他、印象的だった発言
「自分たちでなく、次の世代の子供達が活躍するにはどのような力をつけるべきかを議論すべき」
「主要な英語能力テストにおいて日本が最下位クラス、との記述あるが、受験層が違うこともあるので国際比較は慎重に行う必要がある。いたずらに劣等感を煽るのは避けるべき。」
「英語力の評価に関する課題はスタンドアローンで問題があるわけではなく、一連の国の教育政策のうちの一つであるという観点は忘れてはいけない。」
想像していたよりは抽象的な話が多く、方向性が定まっていないことが分かりました。
繰り返しになりますが、ぜひみなさんのご意見を聞かせていただきたいです!
なるべく噛み砕いて書こうと努めましたが、やはり小難しくなってしまいますね。より分かりやすく発信できるようこれからも励みます!
長文を最後まで読んでいただきありがとうございました。