ネパールからジンザイベースへ | 自分と同じ道を歩む人に貢献する
初めまして、ダハルディペシュと申します。
親しい人からはディープやDEEなどと呼ばれています。ネパール出身で、日本に住んで10年目になります。趣味はキャンプをすることとお笑いを見ることです。好きな芸人は(千鳥、ダイアン、かまいたち、天竺鼠)で、大阪のコテコテの芸人が好きです。
今まではフリーで動いていましたが、今年の10月からはジンザイベースの一員として動く決意をし、入社しました。
ジンザイベースについては、以下の採用ピッチ資料をぜひご覧ください。
自己紹介 - 言語の壁を越えて
私は日本在住のネパール人です。
ネパールで生まれても育ちは日本だと思っており、なぜならネパールにいた頃の自分と日本に来てからの成長が比べ物にもならないほどの差があるからです。もし、そのまま母国に残っていたのなら今の自分になれたのかなと考えると、その光景が全く思い浮かべることができません。親の反対もありましたが、今になっては自分自身を信じてネパールを立ち去ったのが正解だったと思い出します。
親に反対される気持ちもわからなくはありません。なぜなら親自身が日本に住んで14年近く経っているからです。日本に来る前から日本には日本語というデカイ壁がある事を散々聞かされてきました。周りからも「なぜ日本なの?」という声も多々ありました。言語も通じない国に行くよりアメリカやイギリスに行けという声が多かったです。批判の声が多かったため、皆に内緒で2014年4月7日に留学生として日本に上陸しました。
上陸した次の日から試練が待っていたのも知らずに来たものの、初日から皆に言われてきた言葉の壁を肌で実感しました。右も左も分からない自分が英語で会話できるから自信満々に学校へ向かったものの迷子になってしまいました。
10年前は今みたいに英語のアナウンスもメニューやガイドもなどもなかったため、日本で生きていくためには日本語がないと生活すらもできないことに気づかされ、日本に来て一年目の2014年6月に日本語能力試験N2を取得しました。今や日本語でこの記事を書いております。
大学時代 - 生涯の絆
日本をより深く知って、日本に育てられたも過言でもないと言える切っ掛けになったのが、大学生時代です。
母国にいた頃、首都カトマンズから一歩も外に出ていなかった自分が大学に入ってから外の世界を知ることができました。今の日本語も大学の友達や先輩のおかげです。周りに他にも外国人の方々がいましたが、なぜか私が間違った日本語やアクセントを出す度にばかにされたり弄られたりされたため、語彙力だけでなくアクセントもより日本人に寄せることができるようになりました。
大学では新入生研修員という新入生のための2泊3日のオリエンテーションがありまして、40年以上続いてきた歴史のあるオリエンテーションに初の外国人班付として2年連続就任されました。
このオリエンテーションは亜細亜大学の名物です。先輩も同期も知らないまま班で別れて鬼怒川温泉に2泊3日の旅に出ます。不思議なことに気づきもしない内に隣の人と仲良くなっています。大学の初日で一生の友達と結ばれたことも知らないままで旅先に向かいます。
このオリエンテーションでは大学で生きていくためのコツや単位の取り方の勉強を取得するプログラムでもありますが、何より大学生活を楽しんでもらう交流会です。学校が始まる前から友達ができているため、学校に行くのが楽しくなるからです。大学を終えて5年近く経ちますが、今も自分の班付きや班子と同じ感覚で出かけたり、遊んだりしています。
アルバイト経験とアメカジおじさん
仕事内容を変えるのが嫌な性格なので、アルバイト経験は豊富ではありませんが、主にやってきたのはサービス業です。
日本語学校時代、初めてのアルバイトはヤマト運輸でした。日本語の分からない自分に合った選択がそれしかなかったため、最初は凄く嫌でしたが周りの人に恵まれて凄く楽しい現場でした。私の野外の日本語学校でした。
一番仲の良かった方が50歳ぐらいのアメカジおじさんでした。仕事のことや学校では学べないことなどたくさん教えていただきました。キャンプやスノボーにハマったのもヤマトがあったからです。大学に入ることになってやむを得ない事情で辞めましたが、今でも仲の良い社員とアメカジおじさんと交流を保っております。
大学時代は知り合いの紹介で4年間同じコンビニで働いていました。コンビニでは発注から精算まで全てやっていました。夜勤の固定シフトだったため、夜の責任者として全てのことを任されていました。飲食店にも手を出していましたが、向いていないことに気づきすぐに辞めてしまいました。
大学卒業後 - 情けない自分の姿
大学を終えた後は家庭の事情で一旦帰国しました。IT企業で内定はいただいていましたが国に帰っていたため、内定を蹴ることになりました。1年後に日本に戻ってきましたがブランクがある分、どこの会社に行っても最終や一次面接で落とされる日々でした。
鬱になりかけた自分を見て支えてくれたのが大学の友達でした。しばらく就活など辞めてとりあえず普通に生活することを決断し、ヤマト運輸で契約社員として働き始めました。
次第に、その状況に満足し始めました。上を目指す欲も無ければ社員になる欲も社会に出る欲もありませんでした。周りからは評価されてきた自分だったがそれの真逆のことをやっていることすら分かっていませんでした。
ある日結婚式で仲の良い友達と会うことになった時に「ディープ仕事何しているの?」と言われ、「ヤマトでこんな仕事している」と答えた時に「アルバイトじゃん」と言われました。情けない自分の姿を目の当たりにして、ぐうの音も出ませんでした。
その日に決意して次会う日までには見せてやろうではないかと思い、自分の強みなどをノートに書いたり、面接ではどのようなスタンスで構えた方が良いのかを勉強し、自分に合う仕事を検索し始めました。
自分と似たような道を歩む人に貢献したい
友達の一言で燃え出した自分が仕事にするなら、自分と似たような道を歩んできた人や社会にも貢献できるような仕事を探している時にジンザイベースに出会いました。
ジンザイベースに辿り着く前には介護施設内の通訳なども見てきましたが視野が小さく感じました。似たようなフィールドで暴れるならより上のところを目指すような場所が良くてジンザイベースを選びました。
日本の中で日本人社員より外国人社員が多いのにビックリしましたが、皆が日本語が上手くて優しい方々です。入社初日のMTGでザ・多様性を実感しました。
色んな会社が多様性を実施していますと言いますが肌から感じたい方はジンザイベースに来てみてください。入ったばかりでお手数をかけていますが、皆が優しく指導してくれる良い会社です。実力主義の会社なので燃えている今がいろいろなものに挑戦し上を目指していきたいと思っております。
ご応募お待ちしてます
最後までご覧いただきありがとうございます。
ジンザイベースでは、まだまだ新しい仲間を求めています。ご興味ある方はぜひ以下の採用サイトからご応募ください。