紛争地域を覚えて祈ります
早起きしたので、世界の紛争のために祈ろうと思った。
紛争地域について、自分の知っている範囲で語りたいと思います。
🇦🇫アフガニスタン
⋯中村哲医師、レジャード・カレッド医師、写真家の伊藤和也さん。
かつては東西の十字路とよばれ、世界初の麦が生まれた土地でした。昔は緑豊かな土地でしたが、ソ連のアフガン侵攻、アメリカの空爆、タリバンの支配で生き地獄に変わりました。2022年にタリバンが支配を取り戻し、アメリカが撤退しました。『クレイジージャーニー』ではタリバンが実効支配した後のアフガンへの潜入が試みられ、麻薬中毒者が放置されている「地獄」とよばれる場所がカメラに映し出されました。
嗚咽するほどの悪臭漂う場所で、彼らは生死の狭間にいる。誰も助けてくれないので、犬を麻薬漬けにして傍に置く。麻薬が食事のような生活を送っている。あの光景は一生忘れられない。
レシャード医師には一度講演会でお会いしました。静岡県島田市で院長をしている方で、アフガン生まれの方です。タリバンの厚生労働大臣に面会し「アフガンの医療制度を整えるように」と働きかける事もできる、凄いお方です。先生はカレーズの会というアフガン医療支援の団体を立ち上げています。ぜひ覚えて、支援して頂けると幸いです。
講演会では写真家の伊藤和也さんの写真展も同時開催しており、アフガン地域の写真を撮り続け、かつ中村哲医師とレシャード医師の手伝いをしていたそうです。しかし凶弾にたおれ、かえらぬ人となりました。
中村哲医師は、私に大きな影響を与えた人物です。中村医師が亡くなった後で色々調べ、その生涯にとても胸打たれ、感動しました。
「私でもなにかできることはないか?」私に生きる目標を与えてくれたのが、中村哲医師でした。中村哲医師については、後日また記事を出したいと思います。
🇸🇾シリア
⋯イスラム王朝の中心地。首都ダマスカスにウマイヤ朝、アッバース朝。ファティマ朝、セルジューク朝と度々イスラム支配を受け、反イスラムとの戦場になった。19世紀、アラウィー派という、シリアの世俗派イスラム教徒をフランスが支援(分断統治)して、シリアはアラウィー派のものになりました。現在アラウィー派のトップ・アサドが独裁者となり、シリアを支配しています。
シリアは現在の惨状に目を向けると「可哀想な国」に移るでしょう。でも過去の歴史に目を向けると、古代オリエント、イスラム文化の中心地であり、アフガン同様歴史の重要地であったことが分かります。歴史オタクにとってはとても行きたい場所なのですが、ISISが遺跡を破壊したニュースにはとても憤りを感じます。
「自国の文化を大切にしない国は滅びる」と著名な指揮者ムラヴィンスキーは言いましたが、歴史を軽んじる事は悪い事なのです。
🇺🇦ウクライナ
⋯欧州最貧国。ウクライナはコサックの国。チョルノービリ原発事故、1992年ソ連崩壊後に独立。スターリン時代穀物と兵士を毟り取られ大規模な飢饉が発生/ホロドモール。
紀元前10世紀から今のウクライナ地域にはスキタイ民族など遊牧民がいました。前4世紀の東スラヴ、9世紀のノルマン人が南下してキエフ・ルーシを作ったのが始まり。
私が「平和を祈るひつじくん」という名前で活動し始めるようになったキッカケが、ロシアとウクライナの戦争でした。戦争当時、Twitterではブチャなどで起きたショッキングな出来事について映像が流れてきました。私は感情移入しやすい性質ですので、ウクライナの人々の惨状には胸を痛めました。しかし戦争が長引くにつれ、各国は支援疲れを理由にウクライナを批判するようになりました。最大の支援国・ポーランドでも反ウクライナを掲げる声が上がり、選挙に大きな影響を与えました。この戦争はいつ終わるのか?独裁者プーチンに罰は下るのか?神を頼りにしないゼレンスキーが、神に頼る日は来るのか?
ウクライナについても語る事が多く、また個別の記事を出そうと思います。
🇵🇸パレスチナ
⋯首都は東エルサレムとしているが国際上はラマッサー。最大の都市はガザ。名前の由来はペリシテ人から。よく誤解されるのですが、現在パレスチナ人の多くはアラブ人であり、ペリシテ人とよばれた人の多くは途絶えたといわれています/聖書入門の中川健一先生が言っていました。
パレスチナは地中海の東岸一帯で、古くはレヴァントとも言われた、シリアの南部一帯を指します。
イスラエルとハマスの戦争から情勢が変化し、現在は国連の正式加盟国となりました。パレスチナについては色々思うところはあるのですが、とにかくガザで苦しめられる人々、それを支援する人々のために祈ります。苦しんでいる人を助けるのに、民族も宗教も関係ない。その苦しみが安らぎに、本当の笑顔に変わりますように。アーメン。
🇱🇾リビア
⋯かつてはカルタゴと呼ばれた地域。1923年、オスマン帝国からイタリアが併合した。1951年、連合王国として独立。1969年、革命によりカダフィ大佐の独裁政治が始まり、2011年のアラブの春の一環で独裁政権が倒された。
カダフィ大佐が殺された当時、ニュースでカダフィがリンチされる映像が流れました。私はとてもショックを受けました。たとえ独裁者といえど、ここまでやるか、と。
アラブの春の前のリビアはとても栄えていました。ビフォーアフターの写真を調べると一目瞭然です。独裁者といえど、カダフィは為政者としての面もありました。アメリカに喧嘩を売ったのが、カダフィの過ちだったと思います。
アラブの春は正直、失敗だったと思います。アメリカはアラブを荒廃させた責任を取れるのか?
🇾🇪イエメン
⋯かつては「幸福のアラブ」とよばれた国。アラビア半島南西端にあたり、香料貿易などが盛んな地域。南部は19世紀初めイギリス保護領となったが、67年にイエメン人民共和国として独立し、後に社会主義政権が成立した。北部には1918年にイエメン王国が成立。62年に王政が倒れイエメン=アラブ共和国となった。1990年に南北が合同し、イエメン共和国となったが、内戦状態が続いた。
北イエメン大統領から統一後も大統領として長年独裁を続けたサーレハがアラブの春で退陣したが、政変と混乱が続く。北イエメンはイスラム教フーシ派の武装組織が制圧し、南イエメンは民選大統領派とスンニ派諸部族が離合集散している。
フーシ派は2023年、日本タンカー船を強奪した事が記憶に新しいですが、イスラエルとハマスの戦争へ介入し、さらに戦争を混乱させています。
イエメンは韓国と繋がりがある国でもあり、韓国好きな人はぜひイエメンについても知ってほしいところです。
世界が平和になりますように。アッシジのフランチェスコが祈ったように、私も平和を祈り続けられますように。アーメン。
〇カレーズの会
https://www.karez.org/最新情報/
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