叔父はおそらく自死を選んだ
坐骨神経痛が酷い。右足は常に足先まで痺れていて、どの体勢でいても痛みがある。運動?もってのほか。歩くのでやっと。そんなことだから休日も外出は遠のき、寝て過ごすしか選択肢がない。
こんな状態では気が病まざるを得ず、そろそろ希死念慮がふつふつと音を立てて歩み寄ってきている。何より回復の兆しがないのがつらい。一生このままかと思うと、早く終わらせてしまいたいとしか思わない。
ふと、叔父のことを思い出した。
叔父は子どもの頃とても良くしてくれた、らしい。あまり覚えてないが、すごく可愛がってくれたそうだ。なにせ5歳の時に死んでしまったから、ぼんやりとしか記憶にないのだ。
物心ついた時には叔父は仏壇の中で笑っていた。祖父母の家に行くたび線香を刺し手を合わせ、「ずっと見守っててね」と声をかけたものだ。
叔父はおそらく自殺した。
親族はあまり死因を話そうとしないが、あの口振りはおそらくそうなのだろう。
酷い腰痛持ちだったそうだ。婚約していた恋人にも振られた時だったと聞いた。
昔は他人事だった。「自殺するなんて、よっぽどつらかったんだな」としか思っていなかった。
だがここ数日は嫌でも自分事に捉えるようになった。「そりゃ、死にたくもなるよな」と。
深い絶望。まさに望みが絶たれる。視界が暗くなっていく。何もできないまま時間が過ぎていく。これがあと10年も?20年も?耐えられない。
そう思ったら早い。苦しみ続けるなら死んで逃れてしまいたい。そんな風に思うことを止められない。
訳あってもう墓参りにも行けなければ仏壇に手を合わせることもできないが、叔父が近くにいるような気がしてならない。
「お前は死んじゃダメだ」なのか。
「な、死にたくなるだろ?」なのか。
どちらにせよ叔父は近くで何かを伝えようとしてくれているのかもしれない。
自分はどの道を選ぶのだろう。
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