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モノクロームのクリスマス

「モノクロームのクリスマス」

あれは大学4年生の夏だった。
ちょうど就職先も決まり、リクルート活動が終わったので時間が出来た。それで、絵を描くことが好きだった私はアクリル教室に通い始めた。Rと出会ったのはその教室である。

彼は他大学に通う、まだ1年生。なのに妙に大人びていて、不思議とこちらが年上であることを意識させなかった。肩まであるサラサラとした黒髪。背も縦に長く、多分身長が185cm以上あったろう。すらりとした長い指が美しかった。

絵の描き方においても、教室の先生以上に彼から教わることが多く、とても刺激的で新鮮であった。例えば、そのままを写実するのではなく少し変形させて描くデフォルメという手法がその一つだ。それも道理、Rはダリ、ピカソ、マチスに影響を受けており、中でもサルバトール・ダリが別格のアイドルだったのである。本人にもかなり浮世離れしたところがあり、ダリを真似て頭にフランスパンを乗せて歩くんじゃないかと心配したほどだ。

鉛筆一本、ボールペン一本でありとあらゆるものを描けるということ。何よりも、自由に絵を描くことの楽しさを私に教えてくれたのはRだった。

2人とも美大生ではなく、趣味でアクリル画を習っていただけだったからこそ気楽に楽しめたのかもしれない。

お互いにアルバイトや授業のない日は、池袋あたりで待ち合わせをして、行きたいところに行ってデッサンをする。スケッチブックと色鉛筆だけのデートだったのでお金はほとんどかからない。フラッと立ち寄ったカフェや公園で私達は何時間も費やすことができた。そこで目にした風景や、街並みや人物など、2人で一緒に様々なものを描いた。

あの頃、建築家の丹下健三氏がデザインした東京都庁が話題になっていて、都庁の広場にRと並んで座り、お尻が冷たくなるくらい何時間もデッサンしたこともある。パリのモンマルトル広場だったら浮かなかったかもしれないが、都内の至る所でそれをやっていたので、傍からは私達は相当の変わり者に映っていただろう。

こうして瞬く間に秋が過ぎ、冬になった。

Rは6畳一間の古いアパートに住んでいたので、お風呂がなく、2人で近くの銭湯に行ったある寒い夜、帰り道に見上げた夜空があまりに美しくて、わたし達は息を飲んで立ちすくみ、ずっと眺めていた。
南こうせつが歌って大ヒットした「神田川」さながらで、バブルの崩壊の名残がある時代でもあったが、悲壮感はまるでなく、むしろ、ノスタルジックな世界が不思議とキラキラと輝いていた。

そんな冬のある日のこと
Rの部屋ドアを開けると、そこにはモノクロームのクリスマスが広がっていた。

A4の用紙に、太字の油性マジックで描かれたMerry Christmasの文字とクリスマスツリーと恋人が寄り添う絵。何十枚もコピーされたそのモノクロの絵は、丁寧にセロハンテープで繋がれ、壁一面にビッシリと埋め尽くされていた。いつもの古ぼけた築何十年のアパートの一室が突如として巨大なアート作品になっていたのだ。

Rが開いてくれたサプライズのクリスマスパーティー。
その衝撃は私のその後の私の人生を変えるほど大きかった。

後年、ニューヨークのMOMAやグッゲンハイム美術館、ヴェネチアのプンタ・デッラ・ドガーナ、オーストリアやニースの現代美術館などを訪ねたが、その何処でもあの時を超える感動には出会っていない。「モノクロームのクリスマス」は私が今まで観た中で一番のインスタレーションだ。

いや、いま振り返ると、その感動は私達の関係が期間限定だったからこそなのかもしれない。


私には次に進むべき未来があった。
年が明けて、4月から、晴れて丸の内OLになったのだ。


社会人一年目で余裕のない私。仕事を覚えるので精一杯で、平日はもちろんのこと休日も資格試験の勉強やらで、Rに会うどころではなくなってしまった。

働くということには、多くの責任が伴うのだということを思い知らさせる日々。だが、この厳しい現実が、ようやく大学2年になったばかりのRにわかるはずもない。会えない日が続き、たまに会っても話が全く噛み合わなくなってしまった。

こんな頃である。
明け方に電話が鳴った。
私はびっくりして飛び起きて、受話器を取った。

「・・・もしもし」

「ねえ、いま、窓を開けてみて」

耳に響いたのはRの声。

寝ぼけ眼で、私は素直に窓を開いた。

そこには茜色に染まった朝焼けが広がっていた。
思わず声が漏れた。
「わぁ、綺麗!」

「まだ皆が寝静まっていて、これから世界が動き出す前のひとときが僕は好きなんだ」

私は深呼吸をした。ずっと張り詰めた心が急に緩んで温かい風が吹いた。

そっと囁くようにRに言った
「ありがとう」
 
Rも囁くように答えた。
「同じ気持ちを共有できて嬉しいよ。どっか遠い世界へ行っちゃいそうだったから・・・」


この電話が彼との最後のデートになってしまった。


それから少しして、私は彼にあっけなくふられてしまった。アルバイト先に好きな女の子が出来たとのこと。

私には引き止める言葉がなかった。歳の差を考えても、悲しいかな彼との将来を思い浮かべることができない。だからこれで良かったのだ。そう自分自身に言い聞かせたものの、しばらくの間はやはり辛かった。

しかし、あれから30年。
どんな大失恋でも、時間が解決をしてくれる。
気付くと「青春の思い出」という宝物に変わっていた。


先日ふらりと入ったカフェで、「ジェーン・バーキン」の曲が流れてきた。Rと一緒によく聴いた曲だ。私は懐かしく、あのすらりとした指を思った。
今、元気にしているだろうか、幸せにしているだろうか。
素晴らしい感性を持っていた彼は美大こそ通っていなかったけれど、もしかしたらアーティストとして大成しているかもしれない。世間の常識を突き破るような人生を送っていてほしいと願った。

久しぶりにペンを握って、無性にスケッチしたくなった。

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