本を読むこと
高校生の頃、電車の中では本を読んでいた。
キッチンでは料理を作り、浴槽では湯船に浸かり、それらと同列に電車では本を読んでいた。
ブックオフで、簡単そうと思い、カフカの「変身」に触れたのが、きっと文学に触れる最初の一歩だった。
カフカ、カミュ、ヘルマン・ヘッセ、川端康成、ヘミングウェイ。
世界史の教科書に載っている作者のものを読めば良いのだろう、と、何を読みたいか、ではなくこれを読めば問題ない、と読んでいた。何の問題がないのか、については分からない。しかし読む手は止まらなかった。
往復1時間30分程度、2日で一冊読んでいた。
大学生になり、ペースは落ちたが、読むことはやめなかった。
哲学書を読んでみたり、美術の批評を読んでみたり、自分の興味を軸に据え、読んでいた。
安い中華料理屋で友人と読んだ本を引き合いに出し、議論の真似事をして、とても満足していた。
現在、社会人。今までが嘘かのように一切読んでいない。本を読むこと、が自分の生活から消えた。
文章を読む機会はメール程度で、その機会は本には開かれてない。
電車の中では皆と同じように首を前に傾け、スマホを覗き込んでる。ダサい。しかし本は読んでいない。
僕の読書はどこへ行ったのか。なぜ読めないのか。あの頃の習慣は消え失せ、今残るのは、これまでに読んだ本が仕舞われた本棚のみ。
それを背に在宅勤務をして、今日もパソコンの画面を見る。