ちいさなかげ -水子供養のはなし-
※流産のはなしの後日談です。
流産してから一週間が経って、私はふと思うことがあった。
「(体から出てきたあの物体、動揺してそのままトイレに流してしまったけれど、それでよかったんだろうか?)」
水子供養という単語は知っていた。しかし、妊娠初期で流産した場合にもやるべきなのか、やるとしてどのようにやったらいいのか、皆目見当もつかなかった。とりあえずネットで検索して色々調べた結果、要は自分の気持ち次第で決めればいいのだと結論づけた。
エコー写真に写っていた影はヒトの形などしていなかったけれど、私にとっては紛れもなく、初めて妊娠した我が子だった。喪って悲しい、何かしてあげたい。でもお寺で供養してもらうのは大袈裟な気がする。それが素直な気持ちだった。
夫の気持ちを聞いたら、ヒトになる前の何かが流れてしまったと思っているから供養は必要ないと思う、でも供養したいと思う気持ちをおかしいとは思わないし、供養したいなら反対しない、とのことだった。ありがたいことだった。
そして私は、自宅で自分達なりに水子供養もどきをすることに決めた。
厚紙にエコー写真とメッセージカードを貼り、ハンカチをかぶせた空き箱の上に立てて仏壇もどきを作った。厚紙の手前にお菓子と、ドライフラワーの小さな花束と、香立を置いた。
手作り感満載のチープな仏壇もどきの前で、四十九日になるまで私は毎日お香(どちらかというと仏事用よりアロマ用っぽいお香)を焚き、手を合わせた。悲しくて泣いてしまう日もあったけれど、目を閉じて心の中で語りかける時間はひどく静かで穏やかだった。
迎えた四十九日、私はいつもより長めにエコー写真を見つめてから、仏壇もどきを片付けた。ハンカチを洗い、空き箱を潰し、お菓子を食べ、ドライフラワーを捨てた。残ったお香はアロマとして消費している。厚紙だけは一年経った今もそのままとっておいてあるが、それもいつかは処分するかもしれない。
そうして思い出すきっかけとなる物が何も無くなったとしても、私は彼あるいは彼女のことを忘れることはない。この先子供ができようができまいが、私にとって初めての我が子だったという思いはきっと変わらない。子を喪って、私は悲しかった。でも、もらった喜びはそれ以上だった。本当に嬉しかった。私達のところに来てくれてありがとうと思ったし、会うのが楽しみで仕方なかった。幸せにしてもらった。だから忘れたいような出来事ではないのだ。
あの物体が流れ出た日を命日とすると、もうすぐ一周忌だ。何かしてもいいし、何もしなくてもいい。ただ、私達に幸せをくれたあの小さな影がどこかで笑っていてくれればいいなとぼんやり祈っているし、それも供養の一つだと思う。そして、その祈りとともに思い出すものが喪った悲しみではなく一緒に過ごした幸せであるなら、その供養はきっと私にとっても前向きな力になる。
仏壇もどきに向かって手を合わせていたあの時間に、私はたぶん自分の中の悲しみや苦しみや弱さと向き合っていた。全てが解決できたわけではないけれど、私にとって必要な時間であったに違いない。
お香のかおりを楽しみながらその煙を見つめるとき、私はそんなことを考えたりしている。
―あとがき―
妊娠初期の流産の水子供養って悩まれる方が多いのでは…?と思ったので書きました。流産のはなしと合わせて、妊婦さんや寄り添う方の参考になれば幸いです。私の場合は勝手に「私の子だからきっとめちゃくちゃ寂しがりだろうな…」と思ったのでそれっぽいことをしてみましたが、お金や時間をかけてきちんと行うのもありだし、何もしないのもありだと思います。
流産してよかった、とまでは思わないものの、流産したことで分かったこともたくさんありました。それを今後の自分の糧にしていきたいですし、こうして共有することで同じような経験をされた方の力や慰めに、あるいはそうでない方にも何かしらの参考になればと思います。
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