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宗教に紙一重でハマらない自分に気付いた話
ずいぶん前の話。
お付き合いしている女性が洗礼を受けてクリスチャンになるというので、僕は聞いた。
「クリスチャンって一人でもできる?」
彼女は少し考えて
「うーん。行事とかはあまり参加しなくて、一人でひたすら聖書と向き合ってる人はいるよ」と答えた。
僕は「それならいいかも」と言い、続けて「キリスト教についてたくさん学んで、いつか僕を信者にするよう説得してみてよ」とお願いした。
彼女は「頑張る」と請け負った。
一年半くらい経った。
この間、彼女はミサに足繁く通い、聖書に関する勉強会にも参加。聞く限り、とても精力的に活動していた。
僕はわくわくして切り出した。
「ところで、僕を改心させる話はどう?そろそろ」
彼女は僕を見据えて
「……あっちゃんは、無理!」
と言った。
無理認定(笑)
彼女が無理と言うなら相当に難しいんだろうな、と。
これが僕が宗教に最も接近した瞬間だった。
よくよく考えてみれば僕は、死ぬのがとても怖い。具体的に言うと、「無」になるというのがとても怖い。
哲学的には「一度も死んだことが無いのに死を怖がるのはナンセンス。無意味だから考えなくていい」というのが紀元前くらいから言われてる答えらしいのだけど、うるせえ。怖いもんは怖いんだからしょうがない。
僕は「無」が怖い。強烈に怖い。
ならば死ぬことに「無」以外の意味を与えてくれるらしい宗教は、僕にはうってつけのはずだ。
それなのに僕は宗教にハマらない。なぜか?ある時、その理由が電撃的に、突然ハッキリとわかった。
それは僕が
集団が嫌いだから。
……🤔💭💭💭
本当、これだけなのである。
さらにつっこんでなぜ集団が嫌いなのかと言うと、小学生時代に受けたイジメから学んだことにさかのぼる。当たり前だけど、イジメは多数(集団)から少数(個人)に向けて行われるのがほとんど。
集団が嫌いな理由
その①人間は何人か集まると、個人個人の時よりアホになるから。
その②集団の一員になると、自分が意見を言わなくても誰かが言ってくれるようになる。そんな楽な状態が続くと、自分がアホになるから。
その③集団に属してる人って、その集団が何人居るかによって正しいか正しくないかを判断しがち。「我が団体は○万人いるから正しい」とか、アホか。だから。
↑これはあくまで、僕の個人的な感想です(笑)。そりゃそうだ。
そして、どこか特定の団体を指して言ってることでもありません。
……小学生だった僕をいじめた集団の顔は思い浮かべてますけど。
つまり僕は、集団じゃない宗教があったらハマってるかもしれません。
非常に紙一重です。実は聖書持ってますし。
うまく言えませんけど、「神様と一対一で向き合う」ようなスタイルなら非常に興味深いです、宗教。
でも誰かと一緒に信じるのはいやです。個人から始まって個人で終わるのがの良い。
……🤔💭💭💭
書いてて思ったんですけど、こういうところかもしれません。彼女が「無理」って匙を投げたのは(笑)
紙一重は紙一重だけど、ずいぶん分厚い紙一重だなぁ。納得。