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「葬式で何人泣いてくれるかでその人の価値がわかる」という考え方が、好きじゃない

小さいころ、両親がよく言っていたんです。
葬式で何人泣いてくれるかでその人の価値がわかる」って。

僕はこの考え方が好きじゃないです。
中学生の時にはすでに嫌だったのをよく覚えているので、けっこう根の深い話です。

言いたいことはなんとなくわかるんです。

生きてる時にいくら稼いだかとか、どれだけ表彰されたかとかじゃないんだと。

死を惜しんで泣いてくれる人がたくさんいるような人が、悪い人のわけはないだろうと。

きっと、そういうことですよね。

うーん🤔💭

僕が引っかかっているのは、もっと根本的な話なんです。

誰も参列してない葬式を見て「ざまぁみろ」はもちろん嫌ですけど、

たくさんの人が泣いてる葬式を見て「いい人生を送ったんだろうね」って言うのも嫌なんです。


それは一言で言うと、

その人の価値(人生の価値)は、
その人にしか決められない

ということなんです。

良かったか悪かったか、
納得できるか残念に思うか、
100点か0点か、

全部自分で決めることです。

これを自分で決められることが、
自分の持つ最大の特権なのです。

亡くなった他人の人生を良かったの悪かったのあーだこーだ言う人は、その特権を放棄するのですか?🤔

自分の人生の点数を、他人に付けさせるのですか?明け渡すのですか。

僕にはそれはとても耐えられない。
我慢ならない。

父が亡くなった時も僕は
「父は父の人生をいい人生だったと思ってるんじゃないかなーと僕は思う」
と言いました。これならOKです。

他には
「僕にとって父は最高の父だった」
とも言いました。これもOKです。

「父の人生はいい人生だった!」という言葉との違い、わかりますでしょうか。

めちゃくちゃ細かいこだわりですけど……僕にとっては、とても大切なことなのです。

自分の特権を、わずかでも手放さないために。

こんなことを、直近のニュースを見ながら考えていました。

ほんと、受け取り方って人それぞれですね☺️

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