批判的、アンチ的な意見がなくなったことで平和になったかと言われれば決してそうとは言えない

どうも。突然ですが昨今のネットでは「アンチは無視する」、「アンチを相手にしても何の特もない」といったスタンスであらゆることが展開されているかと思います。それは動画もそうですし、この前書いたゴミみてえなアフィブログもそうです。この言説自体は昔からありましたが、いまではすっかりこの風潮が蔓延っているかと思います。

しかしアンチを防ぐ、批判的な意見をシャットアウトして得られた平和というのは見せかけに過ぎませんでした。

言ってしまえば「臭いものに蓋をする」だけのものだったのです。

建前の綺麗事でコメントなんかが埋め尽くされ、アンチコメどころか、中立の立場から見たまっとうな批判的意見すらも一切見かけることはありません。

アンチをシャットアウトするというのが完全に行き過ぎてしまっていますね。

前の記事でもお話したと思うのですが、アンチと中立的な意見というのは全くの別物なのです。

例えば動画なら、その投稿者に恨みを持っている人間、遊び半分で好き勝手荒らす愉快犯、人気者を叩くといったスタンスで攻撃する人間などがアンチに当たるかと思います。

一方で中立の立場から見た批判的意見というのは、悪いところは悪いと批判し、どう改善すれば良いのかを提案してくれる人間のことです。

動画投稿社が周りを信者で囲ってイエスマンになったり天狗になったりしたら、そこはキッチリ注意する。それが批判的な意見です。

しかしアンチと批判的な意見の違いが分かってない人間が多すぎる。

また、そうすることでまっとうな意見もアンチであると勝手に判断し、削除やブロックして相手にしないなどの態度をする投稿者も多すぎます。

これらの傾向から見るに、昨今の投稿者というのはアンチが鬱陶しいからブロックするのではなく、周りをイエスマンの信者で固めてちっちゃな宗教のちっちゃな教祖様にでもなって気持ちよくなりたいというのが目的で邪魔なものを全てブロックしているように感じます。

このような流れが起きた結果が、建前だけの綺麗事で埋め尽くされた「臭いものに蓋をする」流れです。

これじゃ現実と全く一緒ですね。こうすることで表面上は問題が解決したことに見せることが出来る。問題から目を背けることでネットの問題はこれでだいたい解決しましたよーと。

お馬鹿な一般人は騙せても俺は騙せないですよ。

俺だけじゃありません。きちんと本質を理解している人間ならこんなこと誰も信じてないと思います。

だったらまだアンチ的な意見で埋め尽くされたほうがマシな気がしますね。

悪い問題が表面化され、可視化されますから。


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