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医学コラム(4)ボツリヌス毒素

 ボツリヌス菌が作り出す毒素は、生物界で最強と言われており、そのため20世紀には、各国が細菌兵器としての開発を目論んでいたほどです。
 ただボツリヌス菌自体は、どこにでもいる土壌菌の一種に過ぎません。しかし、たまたま食物中で繁殖し、それを知らずに人間が食べると、食中毒を起こすことがあります。ボツリヌス毒素は神経毒の一種で、神経から筋肉への刺激をブロックします。ブロックされた先の筋肉は、緊張を失って弛緩します。そのため食べた量によっては、運動障害が生じたり、呼吸困難から死に至ることもあるのです。昔は日本でも、毎年何人か亡くなっていましたが、食中毒対策が進んだことと、ボツリヌス中毒に対する治療法が発達したことから、いまは死亡例はほとんどありません。
 そんなボツリヌス毒素ですが「ボトックス」の名前で美容医療に活用されていることは、ご存知のとおりです。顔の表情筋をブロックして、シワを伸ばすのに効果があります。注射器で、細かい表情筋を1本々々狙い撃ちできるため、細工がしやすいという長所があります。しかも副作用がほとんどありません。数カ月もすれば効果がなくなって元に戻るので、その意味では後遺症も心配いりません。患者はその都度、打ち続けることになりますから、美容クリニック側にとっても、なかなかいい商売です。1回に使う量は、数単位から数十単位。料金は数千円から1万円以上とか。
 しかしボトックスは、医療分野で、もっと広く使われています。医療用医薬品としてのボトックスの説明書には、次のような病名が並んでいます。
 
    眼瞼痙攣(がんけんけいれん)
    片側顔面痙攣(けんそくがんめんけいれん)
    痙性斜頸(けいせいしゃけい)
    上肢痙縮(じょうしけいしゅく)
    下肢痙縮(かしけいしゅく)
    etc
 
 眼瞼痙攣は、意思に反してまぶたがピクピクしたり、開けにくくなったりする病気。顔の片側全体がピクピクするのが片側顔面痙攣です。ボトックスを打つと、神経がブロックされて筋肉が弛緩するので、痙攣が治まるのです。
 同様の理由で、脳卒中などのリハビリにも使われています。脳卒中の後遺症のひとつに、手足の神経が緊張し過ぎて動かしにくくなる「痙縮(けいしゅく)」があります。手を握ったまま、肘が曲がったまま、足先が裏側に曲がったまま、などの症状が出て、リハビリの妨げになるのです。また放っておくと、曲がったまま関節が固定する「拘縮(こうしゅく)」という状態に進んでしまいます。
 そこで使われるのがボトックスです。痙縮で伸びにくくなった筋肉に打つと、緊張が解けて、柔らかさを取り戻すのです。ただしボトックスの効果は3~4カ月、その間にリハビリに励まないと、また元に戻ってしまいます。
 美容医療は自由診療ですが、痙縮などの治療には健康保険が利きます。しかし医療用ボトックスは決して安くありません。50単位入りの瓶で約3万3000円、100単位入りは約5万9000円。上肢や下肢の治療には1回で最大300単位(約18万円分)を使います。3割負担だとしても、薬代だけで5万円以上かかる計算です。しかしこの金額では、現役世代の大半は高額療養費の適用にはならず、窓口でしっかりと請求されます。しかも終わりがはっきりと見えないので、数カ月に1回ずつ、出費が重なり続けるのです。

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