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Ave mujica 7話に対するモヤモヤ

現在放送中のTVアニメ『BanG Dream! Ave Mujica』の7話を視聴した感想になる。タイトルの通り、視聴した際の自分のモヤモヤ、もっとストレートに言うと、不満が書かれた記事になっている。批判的な意見を見たくない人には非推奨。

アニメ作品の感想記事は、なるべく作品が完結してから書く主義なのだが、あまりにもモヤっとした気持ちが生まれてしまったので。少しイレギュラーだけども、自分の思いを吐露しておく。

こうした自分のモヤモヤが、最終話まで見た時にはスッキリと晴れていることを願いながら…


睦に感情移入できない

第3話以降、本作品の物語の中心は睦というキャラだった。彼女が物語を動かし、彼女のためにMyGO!!!!!メンバーをはじめ、多くのキャラが動いていた。
しかし、肝心の睦に全く感情移入できなかった。
これが、まず最初のモヤモヤだった。

その理由は「やりすぎ」な演出。精神が錯乱し、分裂症を発症している女性キャラに対して、一般人が「共感」できるだろうか。


個人的に『MyGO!!!!!』という作品が人気になった要因の1つとして、等身大の悩みを抱えた少女たちの苦悩に対して、多くの人が感情移入できたからだと思っている。

他人の感性と合わした普通の生活ができない燈。見栄っ張りな行動をしてしまう愛音。完璧な姉や祥子と比べてしまい、甘えることができずに厳しく他人に当たってしまう立希。

そんな彼女たちの悩みは、どこかしら視聴者の人生にも重なる部分があって。悩みに直面しながら不器用に「迷子」になっている彼女たちに感情移入した。


一方で、睦は描写されればされるほど、「共感できる苦しみ」とかけ離れてしまったものになっていった気がする。

最初のうちは親と比較されることや、好きなことで成果が出ないことの悩み、失言による人間関係のトラウマなど、共感できる部分が多かった。プロットとしては、十分感情移入できるようなキャラクターだったのだ。

しかし、繰り返される精神世界での人形劇、別人格への豹変などの描写。ここまで来ると、明らかに女子高生がどうにかできる悩みではなく、大人が解決しなくてはいけない精神病だ。
愛音や燈が抱えている悩みとはレベルが違う。

そんな彼女が、祥子が何度か家に来るだけで元の睦にスンと戻る。それも違和感しかない。全く理解ができない。


祥子の豹変ぷり

そしてその睦を救った祥子の描写も納得がいかず…

6話までの祥子が俗に言う「堕ちてく」描写は、グッとくる展開だった。
全てをかけたバンドが失敗し、クズな父親と同じように家族に金銭的な迷惑をかけた。

そんな事実を全てを「忘却」し、悪人とて生きる道を彼女は選ぶ。だから、燈のことばも無視するし、睦のことも忘れる。そんな6話までの彼女の描写は、納得感があるものだった。

嫌なことがあったら、そこから目を背け、全て「なかったこと」にしたい。実行するかはともかく、そうした欲望は誰しも共感できるものではないだろうか。


が、なぜか7話でそよに無理やり睦の家に連れて行かれると、急にかつての祥子に戻りだす。劉備よろしく、睦の家に甲斐甲斐しく通いはじめる。

いや、どこかのタイミングで彼女が罪に向き合い、睦やバンドと向き合う展開を作らなくてはいけないことは分かるが、そのきっかけがあまりにも弱すぎる。睦の惨状を知り、燈の付箋を見る。直接的に描かれた要因としてはこれくらいか。

まぁ睦の描写に比較するとまだ納得できるが、どうにも腹落ちしない。燈にバンドを誘われて1回セッションするとか、何かしらインパクトのあるきっかけが必要なのは事実だ。


『MyGO!!!!!2』になっているのはどうなのか

Ave Mujica解散以降の展開は全て『MyGO!!!!!』メンバーの活躍によって引き起こされている。ムジカメンバーは蚊帳の外と言ってもいいだろう。

続編的作品なのも分かるし、MyGO!!!!!のメンバーを見れるだけで嬉しいのは事実。もちろん、8話からはムジカのメンバー同士のドラマが描かれていくことになるのだろう。それに、祥子と睦のドラマを描くうえでCRYCHICというバンドが重要なのも分かる。

しかし、能動的に話を動く部分、特にリーダーである祥子の立ち直りの根本を前作のキャラがやってしまうというのは…
種死状態(前作キャラが続編キャラ以上に活躍してしまう状態)にならないかどうかだけ、心配している。


ライブシーンは最高

7話最大の見せ場であるCRYCHICメンバーでのライブシーン。これ自体は最高だった。シーン単体だと、100点満点中150点くらいの点数をつけたいくらい。

演奏をすることによって、自分たちにとってもうCRYCHICというバンドが特別ではないことが分かっていく。ことばではなく、映像と音楽で表現した素晴らしいシーンだったと思う。


1曲目の「人間になりたいうた」では、楽器隊もどこか噛み合っていない演奏になっている。燈の歌声も、いつものような感情が入った力強い歌声ではなく、戸惑いを感じる不安定な歌声。流れる彼女たちの涙には、前作10話のシーンとは真逆の意味を感じる。

セリフじゃなく、「シーン」でメッセージを伝えるすばらしいシーンだった。この演奏シーンは、完成度が低ければ低いほど意味がある。彼女たちの居場所はもう「CRYCHIC」ではないのだから。
クオリティと感動が比例するはずのライブシーンで、全く真逆の現象が起きるという非常におもしろい演出。

そして、あの曲をメンバーは演奏する。出会いの曲が、別れの曲になって。


こうしてライブシーン単体でみると、本当に好きなシーンなのだが…
今まで書いたようなモヤモヤポイント、つまるところこのシーンまでの「過程の粗さ」が没入を阻害してしまう。ノリきれない。

今までの過程の結果が凝縮されるのがライブシーンのはずだが、それがない。正確に言えばあるのだが、それは前作からのものだ。『Ave Mujica』という単体の作品としてこのシーンにカタルシスを感じる要素がかなり薄い。


この感じ、なにか既視感あるなと思ったら、本作品と同じ柿本広大氏が監督を務める『刀使ノ巫女』の視聴感覚に近い。描きたいシーンは分かるし、そのシーン自体は非常によいのだが、その過程が雑すぎて、ノリきれないこのもどかしい感じ。


ここからの盛り返しに期待

色々と書いてしまったが、こっからの大逆転に期待だ。なにしろようやく「Ave Mujica」というバンドの物語がプラスに動き出すのだから。

バンドリというコンテンツは昔から地味ながら応援しているコンテンツ。色々と書いてしまったが、決して応援していないわけではない。むしろ、超応援している。

ただ、SNSをはじめ絶賛しかないこの雰囲気に耐えきれず…自分のモヤモヤした気持ちをアウトプットして整理しておきたかったのだ。

神アニメになると信じて、4月の合同ライブも最速抽選申込済み。晴れやかな気持ちでライブに行けると信じている。


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