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あの時間、必要でした? 『機動戦士ガンダム ジークアクス Beginning』 ネタバレ有感想
『機動戦士ガンダム ジークアクス Beginnig』。この作品のネタバレ有の感想を書かせてほしい。最初はどうにかネタバレ要素なしで感想記事を書こうと思った。しかし、何を書いてもネタバレになる。「黒沢ともよの演技がよかった」くらいしか書くことができなかった。
公式からネタバレ有バージョンのPVも投稿されたし、この記事では思いっきりネタバレをぶちまけて書いてやろうと思う。
一応注意書きを。未視聴で少しでも興味がある人は、ブラウザバックし、すべての情報をシャットアウトして劇場に向かうことをオススメする(こうやって煽ることも本当はあまりしたくない)。
人によっては「なーんだこんなことね」くらいかもしれないし、逆にとんでもない衝撃になるかもしれないのが、この作品の難しいところ…
※以降、ネタバレあり
心の中の第一声
一番最初にこの作品を見て思いついたことば。それは
「やりやがったな…庵野…!」
だった。多くの人がTwitter(X)で似たようなことを呟いていたから、やっぱりみんな同じ印象を受けるんだなと。ここの部分に触れないで作品感想を書くことはできないだろう。
最初、シャアがガンダムに搭乗したシーンを見た時、自分は作中世界のゲームや映像作品の描写かと思っていた。シャアの声優が池田さんじゃなかったし、似たような描写はビルドシリーズなんかでもあったので。
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(公式PVより)
まさか、そのままダイジェストでIF展開を走り続け、一年戦争を終わらせるとは…しかもジオンの勝利でアムロを登場させることなく。これがどれだけ衝撃的なことか、分かるだろうか。
今まで誰も犯していなかった禁忌を、この作品は破ったのだ。富野由悠季のガンダムの否定という、禁忌を。
初代ガンダムが放送された1979年から、45年以上。「ガンダム」というIPは巨大化し、様々な作品が作られてきた。その中には、シリーズの「リアルロボット」や「戦争と少年少女」という要素からかけ離れた作品も多く誕生した。『機動武闘伝Gガンダム』や『ガンダムビルドファイターズシリーズ』なんかが代表的だろう。
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『機動武闘伝Gガンダム』(公式サイトより)
また、富野由悠季が描いた「宇宙世紀」を舞台にした作品も様々な作品が作られる。一年戦争のアムロたち以外の場面に焦点を当てたり、逆襲のシャア以降の物語のその後を描いたり。
多種多様なガンダム作品が製作されてきた。しかし、奇想天外でガンダムシリーズとは思えない作品であっても、映像化されたガンダム作品で、今まで行われなかったことがある。それが、富野由悠季が作ったガンダムの物語を変えること。富野由悠季の描いたガンダムの結末を否定することである。
この作品の1年戦争に、アムロは(今のところ)登場すらしていない。ジオンは敗北していない。ガンダムというIPの始まりである1stガンダムで描かれたことは、「なかったこと」になっているのだ。
これって、宗教的に言えばコーランや聖書をビリビリに破いて、「シン・イスラム教」や「シン・キリスト教」を作りますと宣言しているようなものだ。半端なクリエイターがやったら、間違いなく袋叩きにあう。
そういう意味では、これをやれるのは、今の庵野秀明しかいないかもしれない。「ヤマト・ガンダムに続くブーム」を巻き起こしたエヴァの監督。「シンシリーズ」で同じようなリバイバル作品で実写においてもヒット作品を連発。もうアニメ業界だけでなく、日本を代表するクリエイターだ。庵野も、ついに「今の俺ならやれる!」と思ったのだろうか。
全てのガノタたちが妄想していた、1年戦争のIF展開。自分も、妄想しなかったわけがない。全ガノタが一度は憧れ、でも立ちふさがる初代ガンダムの圧倒的な存在感ゆえの開かずの間。この扉を庵野は蹴破ったのだ。だから、「やりやがったな」ということばが自分の頭の中に思いついた最初のことばになった。
※補足
唯一、1年戦争のIf的な世界が描かれたなと思ったのは、初代ガンダムのキャラクターデザイン・総作画監督を務めた安彦氏による『機動戦士ガンダム THE・ORIGIN』のみ。これも、映像化(OVA)されたのは1年戦争が始まる前。つまり初代ガンダムの世界には足を踏み入れていない。
描かれる王道アニメ
冒頭、初代ガンダムのBGMやら懐かしのキャラやらを使いまくって描かれた一年戦争のIFストーリー。とんでもない情報量と衝撃でクラクラしてしまったが、これはあくまで今作品の背景設定でしかない。メインのドラマは、コロニーに住む少女、アマテ・ユズリハ(マチュ)を中心になる。
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(特報PVより)
この後半部分は、まさに令和のアニメ作品だなと思える、高クオリティなロボアニメだった。水星の魔女の1話の感触と非常に近い。
恵まれた環境にありながらも、閉塞感を感じる若者。それが、ガンダムという超越的な存在との出会いをきっかけに、新たな世界へと踏み出す…という王道なストーリーライン。フリクリやトップ2を手掛けた鶴巻監督らしさを感じられる、青春×SFなコンセプトだ。
そこに没入させるために、親しみやすい背景描写があるところが令和の作品っぽい。日本語で表記された、馴染のある地下鉄の案内。割れたスマホ画面。こうした描写は新海誠以降、ブルアカなどの様々な令和のコンテンツでよく見られる。日常とファンタジーを融合させる背景描写だ。
テンポのよいストーリー、わかりやすいキャラクター、設定の説明など、描くべきところはしっかりと描いている。高クオリティなアニメとして過不足ない出来だった。
百合要素や学園要素など、かなり攻めた設定をぶち込んだ『水星の魔女』と比較してしまうと、少しパンチが弱いかなとも思ったけども、まだ序盤。及第点だと思う(むしろ水星の魔女が強すぎる)。
ということで、各SNSの反応のように、今作品を絶賛したいのだけども、モヤモヤがある。それは、物語後半で描かれたマチュたちのストーリーに対してではない。多くの人が反応していた前半部分に対してだ。
正直に言おう、「UC(宇宙世紀)を舞台にしたIFストーリー」を描いたことは、作品としてはノイズでしかなかったと自分は思う。
あの時間は何だったのか
映画の前半部分を占めた1stガンダムのIFストーリー。自分は、あれが必要とは思えなかった。どういうことかと言うと、後半で描かれたマチュたちの物語と関連性がない部分が多すぎる。
一本の映画として見ると、最初の45分はほとんど関係していないのだ。サイド6やジオン公国といった設定の固有名詞や、シャリア・ブルというキャラでさえ、全く別名称にしてしまっても物語が成立してしまう。
軍隊が最新鋭のガンダムを引き連れて、赤いガンダムを探しに中立地帯にやってきた、という語り口でも、物語が成立する。シンプルにわかりやすい物語にむしろなる。
また、1stガンダムが大好きな自分でも、映像作品としてあのパートがおもしろかったとは感じられなかった。あまりにもダイジェストすぎる。キャラクターに感情移入できる余裕もなかった。
ドレンが活躍してることやホワイトベースが強襲揚陸艦という設定が活かされてたことなど、テンションが上がった要素はあった。それは「1stガンダムを視聴していることが前提」のおもしろさ。
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(公式PVより)
「ジークアクス」という単体作品を見たときに、そこを評価することはできない。1stのファンムービーとして作成し宣伝しているならともかく、完全新作のガンダムでやるべき描写ではない。
おまけに、キャラクターデザインが違いすぎる。あそこだけ安彦調で描き、前半パートが終わった後に一気に違うデザイン(竹デザイン)の世界に放り込まれるのは、違和感が凄まじい。映像作品としてのまとまりがないと評価されてもしょうがないだろう。
最初はあまりの衝撃でまともに思考できていなかった。けども、落ち着いて考えると、あのパートはノイズでしかない。そう感じてしまった。何度でも書くが、完全に宇宙世紀が初見の人もいる想定で宣伝されている映画に、放り込むべきシーンではないし、長すぎる。あのダイジェスト宇宙世紀で「1stガンダムも見てみよう!」と思う初見の人がたくさんいるとは自分は思えなかった。
一方で、マーケティング的には成功しているかもしれない。自分も冒頭であれだけネタバレについて注意喚起をしなくてはいけなかった。この異様な注意喚起を見て、劇場に足を運んだ人も多かっただろう。
けれども、それは話題性を重要視しすぎて、映像作品として大切な「何か」を欠けてしまっているように思える。
今回の新作ガンダムは、自分が好きなスタッフ・キャストで固められていた。期待していたガンダムだった。すごくワクワクしていた。実際、後半の「ジークアクス」部分はすごく楽しめた。
それを、話題性のために、汚されたような気持ちがしてならないのだ。自分が期待していたのは、ガノタを喜ばせるガンダムじゃなくて、誰でも楽しめるガンダムだったのだが…
衝撃にごまかされず、冷静に評価してみると
本鑑賞した直後は、冒頭で書いた通り、1stのIF展開という衝撃に興奮していた。テンション上がっていたのは間違いない。
けれども、冷静に考えてみると、あの前半部分が映像作品として魅力的だったかというとそうではなかった。少なくとも自分がこの作品に期待していたものではなかった。
水星の魔女のような、ガンダムシリーズが初見でも楽しめる作品だとPVで判断して、劇場に見に行った人たちにとってどうだったのだろうか。楽しめていたとは思えない。一種の詐欺行為とすら言ってもいいと自分は思っている。
後半の、マチュたちの活躍をもっと見たかった。そちらにフォーカスした作品を描くべきだった。それが、本作品に対する自分の感想だ。後半部分だけでいえば、かなり評価が高かっただけに、本当に残念だ。
もちろん、これはTVアニメ本編の先行上映に近い映画。完結していない作品だ。ここで文句を書いた自分が、恥ずかしくなるくらい、完璧な伏線回収を見せてくれることを期待している。というか、そうすべきだ。
ちなみに、自分は本作品を上映日の2日後(1月19日)に鑑賞している。で、本記事が公開されているのは1月27日。この記事を執筆するのにこんな長い時間がかかったのは理由がある。
ガノタ(ガンダムオタク)として色んな想いが溢れてきて、整理ができなかったからだ。我ながら、キモチワルイ。
ということで、本記事はなるべく1つの映像作品として、冷静に評価する記事にした。ガノタとしての感想はほぼ排除している。そうしないと、とっ散らかるので。
「ガンダムシリーズとわたし」みたいな、エッセイ部分も含めた、ガノタとしての今作品に対する感想。これは、別記事で書こうと思う。ガノタVerは遅くとも明日くらいには書き上げてここにリンク貼ります。
↓書きました。