【ヒマラヤ山脈を歩く】高山病とたまごクラブはちょっと似てる
ヒマラヤ山脈のふもとを歩く「アンナプルナベースキャンプ(ABC)」トレッキングをしてきた思い出話をnoteしています。
↓マガジンにこれまでの記事をまとめました。ごゆっくりお楽しみください。
今回は高山病のはなし。
初期
アッサムボーイとチョウメンを食べて、少し時間がたった頃から、
「んー、なんだかちょっと体調がおかしいぞ…。」が始まった。
ひょっとして高山病ってやつ?
特徴的な症状など、
詳しい説明はココ↓(引用したリンク先)
これを見ていたら、私は軽症だった。「この症状っすねー、間違いないです。」画面に向かってネパール人っぽく首をかしげた。
◇
早期申告
こういうコトは、早めに言っておこうと、夫とシューレースに申告することにした。
夫は「あー、とうとう来ちゃったか…。」といつもの心配性が始まってしまった。ごめんよ、迷惑をかけます…。
シューレースは、私の顔を見ると「大丈夫!お水を飲んだら出発しましょう。宿はもう少しです。」と言った。山で生まれ育った彼には高山病の気持ちがわからないのかもしれないと思った。
ちょうどその時、私の中で20年前の記憶がよみがえってきていた。
この感じ、あぁ…あれだよ、前にも経験したやつだ。
たまごクラブ
私の場合、まさにそれ!似てる。
もしも、可能性のある女性がヒマラヤトレッキングするときは、ちょっと混乱するかもしれない。
陣痛はないものの、とくに常に酸素が足りない感覚が同じだった。
似ていて当時の思い出と重なった。
中期
体調はよくないものの、せっかくのトレッキング!どうにか楽しくしようとした。
とりあえず、あとで思い起こせるように素敵な景色を撮っておいたり、出来るだけこの景色を目に焼き付けようと、きょろきょろした。
それから、シューレースに山の話を教えてもらったりした。
でもね、気分がすぐれないまま、そのままトレッキングを続けていると、
色んなものが霞んでくる…。
そんな時には、先人の知恵を借りるのがいちばん!
ってことで、教えてもらったことをできるだけ実践してみた。
覚えている限り、ここで紹介しよう。
◇
話はさかのぼって、出発前。
モハン(シューレースのボス)がトレッキングの極意を教えてくれた。
トレッキングの極意
1.水分補給
:こまめに飲んでね。出来るだけ暖かいものを飲むこと。
お茶は緑茶がいい。紅茶、コーヒーはNo good、なぜ?だったけれど、モハンが用意してくれた緑茶はとにかく正解だった。レモン入りで飲みやすく、とにかくイロイロ飲んてみたけれど、このお茶は他の飲み物よりもおいしく飲めた。
2.体を冷やさない
:冷えないように着こんでね。体温調節は大事。
ヒートテックを着て行って良かった。汗をかいた時に、違うモノに着替えたら、途端に体が冷え出したので暖かくなるまでは汗臭いヒートテックをずっと着続けた。また、持って行った夏用の寝袋が活躍。宿にはエアコンやヒーターと言った気の利いたものはない。布団だけでは寒い宿もあったので、南国育ちの寒がりな私には寝袋が役立った。
3.意識して呼吸する
:深呼吸してね。とにかく呼吸は意識してね。
ずっと呼吸に意識していたら、単調で退屈になってきたので変化をもたせようと、息を止めてみた。
予想以上に短い時間しか止められない。
今度は、ちょっとふざけて三木さんっぽくロングブレスしてみたけれど、そんな余裕なんてちっとも残っていなかった。
ふざけるのは下界に降りた時だなと反省した。
極意の追記
実際に症状が出てからは、シューレースが追加のアドバイスをくれた。
え?と驚いたことがあったので記録しておこう。
4.夜になるまで寝てはいけない。
宿は意外と近くて、思ったよりも早くついた。疲れているし、酸素が足りないからなのか、ものすごく眠い。とにかく眠りたい。
夕食まで時間があるので、部屋で昼寝でもしようと思った所でドアをノックされた。ドアの外には荷物を持ったシューレースがいて、私の様子を見に来てくれた。
私のおかあさん指に酸素濃度を図るメーターを指に挟むと、69%と出て驚いた。
心配性の夫が驚いて「えっ…ウソ!救急ヘリ?」と言っているのを聞いて余計に具合が悪くなってきた。
シューレースは「NO!」と笑うと、私に向かって「Deeeeeeep breath.(深ーく呼吸して)」と言った。言われた通りに思いっきり息を吸うと一気に85%まで上昇した。三木さんもびっくり。
シューレースはそれを見て「よし、大丈夫!温かいお茶をのんでね。」と言って部屋を出ようとした。
夫がたまらずに質問する。
夫:「ねぇ、この酸素計って壊れてない?大丈夫なの?」
さすが慎重派!
試しにシューレースを測ったら73%くらい、夫は80%を超えた。
何とも微妙な結果に、夫は「やっぱ壊れてんじゃね?」と余計に怪しむ。
ふたりとも三木式呼吸をしたら90%を超えた。
夫:「ねぇ、高山病のお薬って持っているよね?まだ飲んじゃダメなの?」
シ:「いいですよ、まずは半分だけにしましょう。1時間後に様子を見て、まだ具合が悪いなら、もう半分を追加で飲みましょう。それから、お湯か緑茶を飲んで暖かくしてね! あとは…」
私:「あとは?」
シ:「寝ない!」
私&夫:「え?寝ないの?」
シ:「YES!寝ない!なるべく外にいて深呼吸してね。寝ると呼吸が浅くなっちゃうからさ、寝るのは夜だけネ!」
薬はなるべく飲まないし、寝るなっていう。
やっと、休めると思っていたのに甘かった。
ボトルにレモン緑茶を入れて、夕食まで外で過ごすことになった。
本当は歩くのも嫌なのに、仕方なく夫の釣りに付き合って滝つぼのある川まで行くことになった。
シューレースは「高度調整にもちょうどいいね!楽しんでね。」とニコニコしていた。
部屋に戻って夕食を終えても、体調はすぐれないまま。
残りの半分の高山病の薬を飲んだが、しばらくしてリバースしてしまった。
出してしまっても気分はスッキリしない。今度は日本から持ってきた太田胃散を飲んだ。スッキリしてきて、今度は猛烈に眠気が襲ってきた。夜じゃなかったけれど、たまらずイスに座ったまま寝た。
夜に悪寒で目が冷めてTHERMOSの白湯で今度は風邪薬のパブロンを飲んだ。さすが風邪薬!吐き気、頭痛、悪寒がおさまり、ようやく横になり、ウトウトと眠った。
たまごクラブ時代も眠りが浅かったね…昔をいろいろと思い出す。
5.ダルバート、ニンニクスープ
があれば大丈夫
とうとう、何も食べたくない=食欲がなくなってしまった。
とにかくダルバートを食べていれば大丈夫だよ!食欲がなくなったらニンニクスープを飲めばいい!シューレースはそういったけど、その極意は私には通じなかった。
どれも胃もたれして食べられなくなった。
レモングリーンティー以外は全滅!
かと思われたが、リンゴだけは大丈夫だった。
たまごクラブの時もそう!
あの時はりんごじゃなくて、トマトだったな。どちらも赤い食べ物に救われている。
食べるものが限定されるって辛い。
リンゴを食べながら、夫に たまごクラブ の話をした。
後期
MBCへ向かうとき
MBCに近づくにつれて、さらに体調は悪化していった。
とにかく息苦しい。
夫は私を元気づけようと言う思いからなのか、
「お産の時のようにさー、ヒッヒッフーって呼吸したら楽になるんじゃない?」と言い出したもんだから、夫を張り倒したくなった。
20年前の些細な事件を思い出したから。
シューレースにその事件を話したら、無言でスルーされた。
それほどつまらんどーでもいい事件だったという事です。
下山したあと、しばらくして、夫に事件の話をしたら、夫は全く覚えていなかった。
その時のコトも今回のコトも、お互いに忘れてしまうのだろうけれど、私はふとした瞬間にまた思い出して夫を張り倒したくなるんだろうなと思った。
器の小さいやつだ、私…。
ABCを目前にして
MBCからABCまでは2㎞程度。ゆるやかな登りのはずなのに、頭はぼーっとしたまま、おしゃべり好きな私でも、会話がほとんどできなくなった。
ときどきシューレースにかみあわない会話をして無駄なエネルギーを使ってた。
ほとんど下を向き、ひたすら足元だけをみて歩いた。
黙々と歩きながら、私が考えていたことはひとつ、
それは…
やっべぇ…シューカツまだだったー!
朦朧としながら、歩いていた時に、私は SHIOとんび さんが書いたこのシューカツの話を思い出していた。
実際に、読んだらそうなったのに…
この記事を読んで一緒にやろ!と思っていたのに、
やってなかった事を今更ながら、ヒマラヤ目指しながら反省していた。
ノートは買ったんだけど…
目次は書いたんだけど…
それっきりだった。
しかもそのノート、ポカラのホテルの部屋のスーツケースに入れっぱなし!
こんな時こそ、持ち歩くべきでしょーよ、書くべきでしょー!
「このばかちんがぁ!」とバチンとやられても文句は言えまい…。
レッツ終活。
◇
後悔しながらあるいていたら、シューレースが声をかけてきた。
ふと顔を上げると、夫がずっとずっと先を行っている姿が見えた。
完全に置いていかれて悲しくなっていた。
でも、シューレースが教えてくれたのは、その視線の先。
その先には、ABCへの入口の看板が見えていた。
看板をみたら泣けてきた。
私:「泣けてくる…」
シ:「それって、嬉しい?悲しい?どっちなのかな?」
私:「そりゃ嬉しいにきまってるさ、ここまで来たかったんだから」
シ:「それはよかった!」
後で聞いたら、夫も最後はキツかったらしい。
ゲートを越えたあと、夫を探してもみつからず、どこかにきえてしまっていた。
残念ながら、感動の瞬間はガイドのシューレースと迎えることになり、夫とは共有出来なかった…。
まぁ、そんなマイペースっぷりは私達らしいといえばそうなんだけどね。
私がちょうど入口を越えたとき、その先にいた人たちから盛大な拍手で迎えられた。
さっき引っ込んだ涙がまた再び出ちゃって、そりゃーもう感激でした…。
おまけ
プロの極意を聞いて、追加したもの
アドバイスを受けて、あらかじめ準備していたヒートテック→モノ以外に、荷物を二つを追加した。
(追記:先輩方に登山にはヒートテックは不向きと教えて頂きました。誤解のないように消しておきますね)
①Thermosのボトル
暖かい飲み物を意識して飲もうとおもったので、保温性のあるサーモスのボトルを持参。トレッキング中の宿やレストランは、お水やお湯は有料。
大きさによっても値段が変わるので、飲み切りサイズのいつものマイボトルがちょうどいいサイズ。これにレモン緑茶のティーバックを入れて生き延びてた。
②寝袋
全く同じではないけれど、ちょうどこんな感じのものを持っていった。
この二つは、高山病になった時に、用意しておいてよかったなぁと思ったので記録。
◇
高山病は初めての経験。
まさか、たまごクラブに似た感覚を再び味わうとは思ってもいなかったので懐かしいやら辛いやら…でした。
高山病は、下山してしまえば、徐々に体調が回復していきます。なのでそんなに怯えることはない。
ただ、一日でも早く体力のあるうちに、やってみたいことは早めにやっておいた方がいいなぁと思ったのは確か。
いつ人生が終わるのかわからないからね。
下山してからもエンディングノートはスーツケースの中のまま、後悔しないようにしなきゃね…。
次回の予定
最終日の6日目、雨の中を無事にゴールしたときに出会った女性との話を書こうと思います。
では、次回へ
ラ!
記事を読んでいただきありがとうございました。旅にまつわる話を中心にnoteしていきます。応援励みになります。