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HOT97でもヘビープレイされる、ナイジェリア出身のPheelzとは?!
暑い夏が過ぎ去ろうとしている今、今年も世界中のアーティストが色とりどりのサマーチューンを披露し、シーンを賑わせてくれました。
今回紹介するPheelz(フィールズ)もその1人で、3月に発表したシングル「Finesse」(2022)が、ナイジェリアチャートで1位を獲得、それを皮切りにアメリカ、イギリスなどでもチャートインし、ナイジェリアからまた新たなスターが誕生しました。
今回は、まだあまり知られていないフィールズのこれまでのキャリアにを紹介します。
レーベル : Warner Records
リリース日 : 2022年3月3日
名前 : Pheelz feat. BNXN
本名 : Pheelz / Phillip Kayode Moses
BNXN / Daniel Benson
年齢 : Pheelz / 28歳
BNXN / 25歳
出身地 : Pheelz / ナイジェリア、ラゴス
BNXN / ナイジェリア、ラゴス
プロデューサーとしてその名を馳せる
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ナイジェリア、ラゴス州で生まれたフィールズは、10歳のときに教会で聞いた聖歌隊に魅了され、音楽に没頭したようです。
幼少期は、とてもいい家族に恵まれていたよ。
俺は7人兄弟の末っ子で、過保護で、あまり自由じゃなかったんだ。
だから、教会と学校、そして家に帰るという文字通りの生活だったね。
教会には音楽があって、音楽ばかりを気にして育ったから、それがよかったのかもね。
気づかずにとても音楽的なバックグラウンドを持っていた。
そして、大人の教会に初めて入った時、初めて生の聖歌隊の演奏を見たんだけど、それで、俺はすっかり魅了されたんだ。
びっくりしたね。
あの時の感動をもう一度味わいたい。
それがきっかけで、独学で勉強を始めたんだ。
父に小さなピアノを買ってもらって、学校で習ったように、すべての鍵盤にラベルを貼って、耳で聞いて弾く訓練を始めたね。
そうやって学び始めたんだ。
15歳まで毎日5時間歌の練習をするほど、音楽に夢中になった彼は、プロデューサーのID Cabasaと出会い、彼の下で働きながらプロデューサーのスキルを学んだようです。
俺は学校には通っていなかったんだ。
中学を卒業して大学に入るのを待っていたから、その休み期間中だったね。
ID Cabasaと一緒に仕事をしていたので、休みを延長して、大学には遅れて入ったんだ。
この期間は美しかったよ。
何も教えてくれなかったけど、すべてを教えてくれた。
彼はパソコンの前に座って、制作の仕方をチュートリアルするようなことはしなかった。
俺は、自分で作った20曲のCDを持ってID Cabasaのスタジオに入って、自分で教会や聖歌隊のための曲を作ろうとしていたんだ。
彼は、俺がゼロから訓練される必要はないと思っていたみたいで、ただ監督し、指導し、スキルを磨くだけでよかったみたい。
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こうして実力をつけたフィールズは、2011年、ナイジェリアのラップシーンを牽引するOlamideのアルバム「Rapsodi」にゲスト参加することになります。
さらに、翌年に発表のOlamideのアルバム「YBNL」(2012)の大半をプロデュースし、ナイジェリアの音楽ダウンロードサイトNotJustOkの「ナイジェリアで最もホットなプロデューサートップ10」に選ばれるなど、徐々にその名を広めていきます。
こうして、ナイジェリア国内での認知を獲得したフィールズですが、当時はまだ16歳だったようで、本人は「本当に若かった」と振り返っています。
ブレイクしたのはOlamideの「First Of All」だったね。
16歳、17歳のとき。本当に若かった。
間違いなく「First Of All」※(まず最初に)だった。
早い時期からディープな世界に放り込まれたんだ。
それ以来、バンガーの後にバンガー、新しいレベルの後にさらに新しいレベル、新しい挑戦、それから浮き沈みしたね。
Olamide - First Of All (2012)
Olamideからの信頼を勝ち取った彼は、続く3枚目のアルバム「Baddest Guy Ever Liveth」(2013)でも、1曲を除く全曲をプロデュース。
そのプロデュースワークで「2014 Nigeria Entertainment Awards」を受賞し、The Headiesの「2014年ナイジェリアエンターテインメント賞」で年間プロデューサー部門にノミネートされるなど、こうしてフィールズは、プロデューサーとしてナイジェリアの音楽シーンで確固たる地位を築きました。
Olamide - Eleda Mi (2013)
その後も、DavidoやMr Eaziなど数々のナイジェリアの音楽シーンを代表するアーティストを数多くプロデュースし、2019年にはFireboy DMLのデビューアルバム「Laughter, Tears and Goosebumps」で作品の大半を手掛け,
彼の躍進に貢献、The Headies 2020で「年間最優秀プロデューサー」を授与されています。
プロデューサーからアーティストへ
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10代でプロデューサーとしての手腕を発揮し、数々のヒットソングを生み出した彼でしたが、2021年に満を待してデビューEP「Hear Me Out」をリリースし、アーティストとしてのキャリアをスタートさせることになります。
このEPをリリースするきっかけは、自分の様々な側面にもっと光を当て、聴いてもらいたいという衝動だったんだ。
リリックとアニメーションのビデオは全部自分で作ったよ。
俺のエネルギーを音で表現したものなんだ。
だから、まだ聴いていない人は、ぜひ聴いてみて。
ステージで一緒に歌おうぜ!
Pheelz - Somebody (2021)
アフロビートの系譜
2022年、フィールズはWarner Music Group傘下のWarner UKと契約を結び、その後発表したシングル「Finesse」(2022)は世界的なヒットとなりました。
また、近年ではナイジェリア国内からDavido、Burna Boy、Temsなどが相次いでブレイクし、業界関係者からもアフロビートに熱い視線が送られています。
このような状況にフィールズは、シーンのパイオニアであるFela KutiやBongos Ikwueの時代からずっと続いているものだと語っています。
その根底にあるのは、音ではなく、精神なんだ。
物事は変化し、サウンドは移り変わるけど、ナイジェリアのステージ、あのアフロビートのサウンド、それは永遠に続くんだ。
FelaやBongos Ikwueなどの時代からずっと続いている。
今でもそうだし、これからもそうだろう。
ナイジェリアの音楽は今、祝福に満ちている。
俺たちは、今開かれつつあるすべての扉のために準備してきたんだ。
嵐はやってくる、なぜならこっちのストリートには超優秀な子供たちがいるからね。
ストリートには才能、アート、クリエイティビティが溢れている。今、世界でチャンスが開かれようとしているんだ!
このように先人たちに敬意を表しつつ、フィールズは次世代への期待に胸を膨らませ、さらなるナイジェリア旋風が巻き起こると語ってくれました。
次の記事では、世界中を魅了しているシングル「Finesse」について解説します。
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