一晩の出口なきダイアローグ映画『ウルフなシッシー』|インディペンデント映画を巡る vol.3
カウンター・カルチャーのニュアンスが強い“インディペンデント映画”。低予算の中で、芸術性や作家性を重視して作られた映画は、新しい考えや想像力の源泉として、観た人の記憶に残るはずだ。
今回はインディペンデント映画の中から、一晩のダイアローグに惹きつけられる大野大輔監督の映画『ウルフなシッシー』を紹介。
あらすじ
とある秋の夜。小劇団所属のフリーター・アヤコは舞台オーディションに落選した憂さを晴らそうと親友・ミキと小洒落たバーにいた。ミキの婚約話を肴に酒席が盛り上がる最中、アヤコの“破局寸前”の彼氏でAV監督の辰夫が呼んでもいないのに姿を現す。空気の読めない辰夫によって険悪なムードに陥る3人。やがてミキが去り、泥酔したアヤコと辰夫は互いの不満を罵詈雑言と共に吐き出していく……。
おかしくて切実で温かく、思いがけず深いところへ誘われる
これはちょっと驚きだった。男女の会話でこれほど観る者をぐっと惹きつける作品は珍しい。私の中では今、韓国の名匠ホン・サンスの映画に触れた後のような、哀愁と心地良さが絶妙に相まった余韻が渦巻いている。
本作はポップなタイトルから想像できないくらい、描かれる内容がとても生々しく、切実である。それこそ映像制作や演技に携わる人にとって他人事と思えないリアリティが満載だし、表現者でなくとも、かつて何かの夢を追いかけた人、今なお諦めずに追いかけ続けている人ならば、本編中のセリフに幾度、胸をえぐられるか知れない。何がこんなに魅力的なのだろうと考えてみた。まず、この映画は伝えたいものを真正面から届ける度胸と技術がずば抜けている。それも決してこれ見よがしな手法を駆使するのではなく、むしろ気がつくとナチュラルにこの世界へと引き込まれているような極めてマジカルなものだ。
例えば、主演の二人が揃って顔を合わせるシーン。まずはヒロインのスマホが机上でものすごく気持ちの悪いバイブ音を響かせると、続いてまず、男のねっとりした低音の「声」と「体の一部」だけが画面を不気味に席巻する。もしかするとここで私たちは、彼こそがヒロインを不幸のどん底に陥れる変態野郎なのだと、半ばミスリーディングされてしまうのかも。一旦そういった先入観を抱えて会話に入り込み、しばらくすると「あれ?」と今度はまた別の事実に気付き始めるのだ。確かにこの男は口も悪いし、人前でAV用語を使う変人だが、決して悪人というわけではなさそうだぞ————と。
ここから展開するダイアローグの輝きは一体なんなのだろう。男女の会話と言ってもフランス映画のそれとは違う。ボクシングの打ち合いのように言葉の応酬が続き、その模様を映し取るカメラは、自らの存在気配を最小限に抑えるかのように、ワンルームの様々なアングルから彼らをそっと見つめる。記録されるのはレアな宝石のように黒光りする瞬間ばかりだ。長ゼリフを構成する巧みな起伏。研ぎ澄まされた言葉や言い回しのチョイス。間髪入れずにリアクションを返すコンビネーション。挙げ句の果てに二人の「はあ?」という発声がシンクロする時、ああ、やっぱり彼らは最高に息のあったパートナーなのだという確信が身を貫いた。二人には何の保証も未来も見えないかもしれない。だが彼らが今なお必死に走り続けていることだけは確かな事実。一晩の会話を重ねた二人に具体的な答えなど見つからなくても、ただ陽光だけは、頭上から優しく降り注いでいる。そんなさりげないラストに「抜け感」があってとても素敵だ。
これは男女の愛や関係性についてのユーモラスな物語であり、夢や願望、または尊厳についての切実な物語とも言える。と同時に、私にはこれが、「何のために走り続けるのか」「なぜ夢を諦めないのか」という命題に対する作り手の真摯な叫びや祈りにも思えてならないのだった。
text 牛津厚信
INFORMATION
『ウルフなシッシー』
監督・脚本:大野大輔
キャスト:根矢涼香、大野大輔、真柳美苗、中村だいぞう、本村壮平、小池首領、田中一平、椎名綾子、高橋信多、増井孝充、三原哲郎、下城麻菜、相田淑見、志津将寿、大友久志、しじみ
2017年/79分/コメディ
ⓒ 楽しい時代/モクカ
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