センサーが雑草に反応?それ大丈夫?
事務局のハラマルです。
自動運転について、私にでも分かるような資料があると、誰かの役に立つのではないか?ということで、関係者の方などに聞いて私なりに理解した内容を、できるだけ分かりやすく伝えていくというチャレンジです。
今回も、個人的な視点から意見や感想を述べさせてもらっていますが、かなり思いを込めていますので、共感していただいた方は、是非、拡散していただければ嬉しいです。
報道で採り上げていただきました
先日、運行に向けた調整中の様子を、KRY山口放送さんに採り上げていただきました。
スタッフたちが苦労している様子を取材いただき、また、たくさんの方が興味関心を持っていただける機会となるので、大変ありがたいことです。
さて、この中で、センサーが雑草に反応してしまい、エラーになってしまうという内容がありました。
これを見て、「ハラマルさん、アレってどういうことですか?」とか、「11月からの運行に間に合うの?」といった質問をいただきました。
結論から言うと、放送の中にもありましたが、理由としては安全側に全振りしている設計によるものです。
11月からの運行でも同じような状況になることも想定されますが、運行自体には支障ありません。
この辺りを詳しく御説明します。
センサーが反応するということは…
今回の実証では、まずは「安全第一」で走行することが最重要課題ですので、人やモノに衝突しないよう、障害物を感知するセンサーの感度は最大級に設定しています。
なので、センサーが雑草にも反応するのは、センサーがちゃんと障害物を感知している証拠です。
つまり、ここまでは、エラーが出ているわけではなく、センサーが意図しているとおり機能しているので、むしろ、良し!という状況です。
逆に、障害物を検知できていないということであれば、見逃して衝突してしまうかもしれませんので、そっちの方が問題です。
なので、皆さんが気にされているのは、障害物を過敏に感知することではなく、障害物を感知した際、一旦、停車してしまう仕様の方ではないかと思います。
「雑草なんかでイチイチ停まってんじゃねーよ!そんなの、人間だったら気にせず通行するから。自動運転も同じようにしたらええやん!」
おっしゃるとおりですね。人間と同じように判断したら良いんでしょう。
人間の判断って?
じゃあ、人間の判断って、どのように行われているんでしょうか?
雑草を見かけた場合、おそらく「雑草だから大丈夫だろう」と認識して、走行を続けているんでしょうね。
雑草じゃなくて車体が傷つきそうな木の枝だったら、空き缶だったら、と、ケースによって判断は変わってくるでしょう。
例えば、雑草の陰から小動物が飛び出してきたとしたら、咄嗟に交わすか、交わす先(反対車線など)に車などがあって避けられない場合は、やむを得ず轢いてしまうのか、といった高度な判断がなされているんだと思います。
この辺りの判断は、個人差もあるでしょう。
そうした行動をデータ化して、自動運転にプログラミングしたら良いんでしょう。
「雑草ならGO」、「小動物なら交わせ、ただし、交わし先が危険だったらSTOP」など、それぞれのケースで、閾値(判断を分ける基準値)を設定すれば、人間どおりに動かすことは可能でしょう。
そうそう、そうやって人間の行動をトレースさせれば良いんよ、はい、解決やん。
…となるかどうかは、こちらを御覧ください。
国の「道路の交通に関する統計」によると、1年間で、交通事故は30万件発生しており、負傷者数は36万人、死者は3千人弱もいます。
令和5年の死者数は2,678人ですから、なんと、平均して毎日7.3人の方が亡くなっているということになります。
ということはですよ、え、本当にこんなに交通事故を起こしている人間の判断をなぞっていいの?と疑問になりませんか?
極端なことを言うと、自動運転に人間の運転を真似させたら、年間で30万件の事故・3千人の死者を出してしまうことになってしまいませんでしょうか。(もちろん、制限速度以上の速度を出さないことなどで減る事故はあると思いますが。)
そんな未来、嫌じゃないですか?
あるべき姿
皆さんが、自家用車の運転免許を取得する際、教習所などで、「飛び出しなんかない、大丈夫だろう」と危険がないと思い込んで運転するのではなくて、「飛び出しがあるかもしれない」と危険予測をしながら運転するよう、習ったのではないでしょうか。
いわゆる、「だろう」運転と「かもしれない」運転ですね。
ただ、常に「飛び出しがあるかもしれない」という緊張感で運転していては神経が擦り減ってしまいます。この緊張感を長時間・長期間維持し続けることは、人間にはとても難しいと思います。
運転を繰り返しているうちに、安全だった経験が積み重なって、いつの間にか「まあ大丈夫かな?」と思い込むようになっている方も多いのではないでしょうか。
一方、機械やプログラムには神経が擦り減るということはありませんので、めんどくさがらず、人間が設定したとおりに動き続けます。
つまり、自動運転は、教習所で習ったとおりの「かもしれない」運転を忠実に続けているということなんです。
雑草も、大抵の場合は何ら問題がないんでしょう。私の経験上もそうです。
ですが、例えば何万回に1回でも、背の高い雑草の陰から子供が飛び出して来たら、皆さんはきちんと回避できる自信はありますか?
雑草だから大丈夫と思い込んで運転していたら、私はスピードによっては回避できる自信がありません。
でも、自動運転車両ならきちんと停まることができます。これがプログラミングどおり動き続けることができる強みでもあります。
とは言え、運用は…?
ということで、自動運転車両は、障害物センサーを最大限に発揮し、とても慎重な「かもしれない運転」を続けています。
障害物を感知したら、一旦停車するものの、安全が確認できたら運行を継続しますので、運行自体には支障がありません。一旦停車するだけです。
が、そんなんじゃ、実運用に耐えられるのか?という疑問ももっともかと思います。
なので、現実的な解としては、センサーの感度を調整するとか、例えば本当に危険があり得そうな箇所と、おそらくなさそうな箇所とを分けて対応を変えていくとか、そういった方向で技術的な解決が図られていくものだと予想されます。
完全に安全側に倒している設計を、もう少し運用側に倒していくという方向で動いていくでしょう。
ですが、願わくば、人間の運転も、今は完全に運用側に倒れているように感じますので、もう少し安全側に倒すべきではないでしょうか。
そうすれば、人間の行動と自動運転の行動が近しいところに落ち着くようになります。
自動運転車両に対して、普段の運転と違う行動(徹底した安全確認)にストレスを感じる方も、それが普段の運転と似ている状態となれば、ストレスを感じないようになるのかもしれません。
仮に、人間が完全に安全な車社会を構築できていたのであれば、これを真似したら良いよ、という教師データを機械に渡すだけで良かったはずです。
でも、今の状況で、人間の真似をさせるわけにはいかないでしょう。
考えようによっては、「機械が真似すればいいだけの車社会を人間が作れていない」ということが一番の課題なのかもしれません。
人間がやっていることを単にデジタルや機械に置き換えるだけではDXとは呼べません。
そもそも、これ、どうあるべきなんだっけ?今までは実現できなかったかもしれないけれど、最新の技術を使えばそれが叶うんじゃない?という考えで、デジタル技術を活用していくことが重要です。
自動運転技術は、単に人の代わりに運転するだけではなく、今までは実現できていなかった、完全に安全な車社会の実現も目指す、そういう技術だという期待感を持って、このプロジェクトを進めて行きたいと思います。
ということで、徹底した安全確認について御理解いただければと思います。
雑草にセンサーが反応する、一見すると、まだまだ人間には程遠いなという笑い話ですが、実は、人間がなしえなていないところを目指した取組です。
私は、笑えないな、人間が頑張ってもたどり着けそうにない未来に向けて応援したいな、と思いました。