
臼杵城(大分県臼杵市)の登城の前に知っておきたい歴史・地理・文化ガイド #DJ025
臼杵城を起点にした旅行体験をより満足度の高いものにするために、事前に知るべき歴史、地理、文化の情報を詳しくまとめました。
このガイドでは、
臼杵城の歴史(築城の経緯、戦国時代の役割、有名な戦いなど)
地理・周辺環境(臼杵市の地理、アクセス、近隣の観光スポット)
文化・観光体験(地元の伝統、食文化、おすすめの観光ルート)
これらの点を詳しくまとめ、旅行者がより充実した体験を得られるような情報を提供します。
臼杵城を起点に楽しむ歴史・地理・文化ガイド
1. 臼杵城の歴史
築城の背景や目的
臼杵城は戦国大名・大友宗麟(大友義鎮)によって**1562年(永禄5年)**に築かれました (大友宗麟が築城した、奇想天外の臼杵城跡へ|大分のエリア情報|別大興産大分(賃貸))。立地は臼杵湾に浮かぶ天然の孤島「丹生嶋(にうじま)」で、周囲を海に囲まれた天然の要害でした (臼杵城跡 | 臼杵市観光協会)。宗麟が当初「隠居城」として建設したともいわれますが、実際には西日本で勢力を伸ばす毛利氏や島津氏への備えとして軍事的役割を持つ城でした(※) (臼杵城)。キリシタン大名として知られる宗麟の居城だけあり、城の石垣にはローマ字のような刻印が残され、城内には礼拝堂、城下町にはキリシタンの神学校(修練所)まで設置されていたそうです (臼杵城跡 | 臼杵市観光協会)。これは当時として非常に珍しく、臼杵城が南蛮文化交流の拠点でもあったことを示しています (臼杵城(ウスキジョウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク) (臼杵城跡 | 臼杵市観光協会)。
戦国時代の役割・関連武将
宗麟の全盛期、16世紀後半の大友氏は九州最大の勢力を誇りましたが、1578年の耳川の戦いで島津軍に大敗した後、急速に衰退しました (Usuki Castle - Wikipedia)。その後、島津氏が豊後に侵攻し、1586年には島津軍(島津義弘)が臼杵城下に迫ります。宗麟は丹生嶋の堅城に籠もって必死に防戦し、城下町は焼かれながらも辛くも撃退に成功します(丹生島の戦い) (臼杵藩〜開藩から1つの家が治め続けるをわかりやすく解説|城写真の日本の旅侍)。この包囲戦のさなか宗麟は病に倒れ、翌1587年に臼杵で没しました (臼杵藩〜開藩から1つの家が治め続けるをわかりやすく解説|城写真の日本の旅侍)。後を継いだ大友義統(よしむね)は豊臣秀吉に助力を求め、秀吉の九州征伐によって島津氏は退けられ大友氏は領土を回復します (Usuki Castle - Wikipedia) (臼杵藩〜開藩から1つの家が治め続けるをわかりやすく解説|城写真の日本の旅侍)。しかし義統は文禄の役での失態により改易され、大友氏の豊後支配はここで終焉を迎えました (臼杵藩〜開藩から1つの家が治め続けるをわかりやすく解説|城写真の日本の旅侍)。以後、臼杵城には豊臣系大名の福原直高や太田一吉が城主として入り城を改修した後 (臼杵藩〜開藩から1つの家が治め続けるをわかりやすく解説|城写真の日本の旅侍)、関ヶ原直後の1600年(慶長5年)に美濃国から稲葉貞通が5万石で入封し臼杵藩主となりました (臼杵城跡 | 臼杵市観光協会) (臼杵藩〜開藩から1つの家が治め続けるをわかりやすく解説|城写真の日本の旅侍)。稲葉氏は江戸時代を通じて15代・約270年にわたり臼杵藩を治めることになります (臼杵城跡 | 臼杵市観光協会)。
城の遺構と現存する史跡
明治維新後、1873年(明治6年)の廃城令によって臼杵城の建造物の大部分は撤去されました (大友宗麟が築城した、奇想天外の臼杵城跡へ|大分のエリア情報|別大興産大分(賃貸))。現在、丹生嶋の本丸・二の丸一帯は「臼杵公園」として整備され、市民の憩いの場となっています (臼杵城跡 | 臼杵市観光協会)。園内には江戸時代から残る畳櫓と大門櫓の2つの櫓が現存し、当時の面影を今に伝えています (大友宗麟が築城した、奇想天外の臼杵城跡へ|大分のエリア情報|別大興産大分(賃貸))。石垣や空堀などの遺構も良好に保存されており、中には戦国時代の野面積み(大きな自然石を積み上げたもの)の石垣も残っています (大友宗麟が築城した、奇想天外の臼杵城跡へ|大分のエリア情報|別大興産大分(賃貸))。臼杵城跡は大分県指定史跡となっており、国指定史跡への指定も答申されています (臼杵城 - Wikipedia)。毎年春には桜の名所として美しい花が咲き誇り、城と桜の風景が多くの観光客を魅了しています (臼杵城跡 | 臼杵市観光協会)。
2. 地理・周辺環境
臼杵市の地理的特徴
臼杵市は九州東岸の大分県南東部に位置し、豊後水道に面したリアス式海岸地帯にあります (臼杵湾とは - わかりやすく解説 Weblio辞書)。東に開けた臼杵湾は北を佐賀関半島、南を長目半島に囲まれ、湾の中央には円錐形の津久見島が浮かぶ風光明媚な景観です (臼杵湾とは - わかりやすく解説 Weblio辞書)。湾奥の西側には臼杵川などが流れ込み、小さな沖積平野を形成しており、その上に臼杵市の市街地が発達しています (臼杵湾とは - わかりやすく解説 Weblio辞書)。この平野部はかつて海に浮かぶ島だった丹生嶋と陸続きになっており、江戸期以降の埋め立てによって現在は市街地の一角となりました (大友宗麟が築城した、奇想天外の臼杵城跡へ|大分のエリア情報|別大興産大分(賃貸))。つまり、臼杵城は元々は海に浮かぶ「島城」でしたが、現在では周囲が埋め立てられて陸繋島化し、市街地の中にその城跡が残っている形です (大友宗麟が築城した、奇想天外の臼杵城跡へ|大分のエリア情報|別大興産大分(賃貸))。臼杵湾沿岸は豊かな漁場でもあり、水産資源が豊富です (臼杵湾とは - わかりやすく解説 Weblio辞書)。周辺の北部海岸や島々は日豊海岸国定公園に指定され、自然美も楽しめる地域です (臼杵湾とは - わかりやすく解説 Weblio辞書)。
臼杵城の立地とアクセス
臼杵城跡(臼杵公園)は臼杵市中心部にあり、公共交通や車でアクセスしやすい場所にあります。最寄り駅のJR日豊本線・臼杵駅から城址までは徒歩約15分(表門にあたる古橋口まで)で、近道を使えば約5分ほどで到着します ()。駅前からは観光案内所でレンタサイクルを借りることもでき、市内散策に便利です。車利用の場合は東九州自動車道臼杵ICから約10分で臼杵公園駐車場に着きます ()。また、四国方面からは愛媛県八幡浜港と臼杵港を結ぶフェリー航路があり、臼杵港のターミナルから城址までは車で約5分と近接しています ()。臼杵城周辺には観光客用の駐車場も整備されており、城下町散策の起点として利用できます。
近隣の観光スポット
臼杵城跡周辺には、歴史と文化を感じられる見どころが数多くあります。まず城下町エリアでは、江戸時代の城下町の風情を残す二王座(におうざ)歴史の道が必見です。城の東側一帯に広がる二王座地区は、石畳の小径沿いに白壁土蔵や武家屋敷、寺院が立ち並び、タイムスリップしたかのような街並みを散策できます (二王座 歴史の道|おおいた遺産|大分を彩る120の美しき遺産)。このエリアは国土交通省の「都市景観100選」にも選ばれており、旧藩主・稲葉家下屋敷(御殿跡)や旧真光寺、野上弥生子文学記念館など歴史的建造物が点在しています (二王座 歴史の道|おおいた遺産|大分を彩る120の美しき遺産)。細い路地や曲がりくねった坂道には当時の面影が色濃く残り、石垣や門構えから城下町特有の趣きを感じ取れるでしょう (二王座歴史の道 | 日本一の「おんせん県」大分県の観光情報公式サイト) (二王座 歴史の道|おおいた遺産|大分を彩る120の美しき遺産)。特に石畳道の「甚吉坂(じんきちざか)」は1586年の島津軍侵攻時、大友方の吉岡甚吉が奮戦した場所とも伝えられ、歴史エピソードが息づくスポットです (二王座 歴史の道|おおいた遺産|大分を彩る120の美しき遺産)。
市街地から少し足を延ばせば、臼杵を代表する国宝スポット**「臼杵石仏」があります。臼杵石仏は臼杵市郊外の凝灰岩の崖に彫られた60体以上の磨崖仏群で、日本で唯一石仏が国宝に指定された貴重な史跡です (Usuki Stone Buddhas - Japan Guide)。平安時代後期〜鎌倉時代に造られたと推定される仏像群で、四つの石窟エリアに分かれて合計61体の仏像が安置されています (Usuki Stone Buddhas - Wikipedia)。中でも阿弥陀如来坐像や大日如来像は保存状態・造形ともに優れ、石造美術として高い価値があります (Usuki Stone Buddha|Oita Heritage - おおいた遺産)。臼杵石仏へは臼杵駅前から直通の路線バス**があり、約20分乗車して「臼杵石仏バス停」で下車すると目の前が入口です (国宝 臼杵石仏(うすきせきぶつ) | 日本一の「おんせん県」大分県 ...)。車なら臼杵ICから約5分とアクセスも良好です (料金・アクセス - 国宝臼杵石仏)。現地にはボランティアガイドもおり、石仏の歴史や造立伝説について詳しい説明を聞くこともできます。また石仏公園内には蓮の花が植えられており、夏季(7~8月)には満開の蓮が国宝石仏を彩る幻想的な風景も楽しめます。
この他にも、臼杵市内には味噌・醤油醸造の老舗蔵(フンドーキン醤油など)、地元特産品を扱う直売所、臼杵の海産物市場など、「体験する」「味わう」観光スポットが点在します。例えば、フンドーキン醤油本社では醤油や味噌の製造工程を見学できる施設があり(事前予約制)、醸造の香りを感じながら伝統産業について学べます。また、城下町の散策途中には老舗和菓子店で臼杵煎餅の手焼き体験や、観光交流プラザでの郷土料理づくり体験などが行われることもあり、旅の思い出作りに最適です。臼杵市観光協会では季節ごとのイベント情報や体験プログラムも提供しているので、訪問前にチェックしてみるとよいでしょう。
3. 文化・観光体験
臼杵市の伝統文化と歴史的背景
臼杵は戦国時代から江戸時代にかけて独自の文化を育んできました。戦国期には大友宗麟のキリシタン文化が花開き、城下では南蛮貿易品や宣教師たちの影響でキリスト教の礼拝や西洋の行事が行われました。伝承では、日本で2番目のクリスマスパーティーが臼杵城内で催されたとも言われています (大友宗麟が築城した、奇想天外の臼杵城跡へ|大分のエリア情報|別大興産大分(賃貸))。宗麟自らも洗礼名「ドン・フランシスコ」を名乗り、領内に教会やセミナリヨ(神学校)を設立するなど精力的にキリスト教を保護しました (臼杵城跡 | 臼杵市観光協会)。このため臼杵には「南蛮文化の薫る城下町」という歴史的側面があり、現在もキリシタン遺物や南蛮文化に関する資料が市内の資料館(サーラ・デ・うすき等)で公開されています (二王座 歴史の道|おおいた遺産|大分を彩る120の美しき遺産)。
一方、江戸時代の臼杵藩では質素倹約の気風が根付きました。財政難に陥った藩を支えるため住民も工夫を凝らし、限られた食材で豊かな食を楽しむ文化が形成されます (食べる | 臼杵市観光協会)。天保の大飢饉の際、臼杵藩は独自の倹約令を出しましたが、人々は「心まで貧しくなることはない」と知恵を絞り、後述するような郷土料理を生み出しました (臼杵の食文化 | 食文化創造都市 臼杵)。また臼杵は地質的に軟水に恵まれ、江戸初期以降醤油・味噌醸造が盛んになります (臼杵の食文化 | 食文化創造都市 臼杵)。稲葉藩主に従って移住した商人により味噌醤油造りが広まり、以後400年以上にわたって発酵醸造業が地場産業として発展しました (臼杵の食文化 | 食文化創造都市 臼杵)。現在も市内には老舗醸造元が多く残り、味噌・醤油は臼杵の特産品です。その伝統を活かし、臼杵市は「食文化創造都市」として地産地消や有機農業にも力を入れており、質の高い食品づくりで知られています (臼杵の食文化 | 食文化創造都市 臼杵)。
地元の食文化(名物料理・郷土料理)
臼杵を訪れたらぜひ味わいたいのが、豊後水道が育んだ新鮮な海の幸と、藩政時代から伝わる郷土料理の数々です。中でも有名なのがフグ料理で、「フグを食すなら臼杵」と昔から言われるほど多くの食通を魅了してきました (食べる | 臼杵市観光協会)。速い潮流にもまれて身が引き締まった臼杵のトラフグは絶品で、市内には専門の料理旅館や割烹が数多くあり、一年を通じて贅沢なフグ刺しやフグちり鍋を堪能できます (食べる | 臼杵市観光協会)。冬場は特に旬を迎え、透けるように薄造りされたフグ刺しに地元産のカボスを絞っていただくのが通の楽しみ方です。臼杵産のカボス(柑橘)は生産量日本一を誇る大分県を代表する果実で、臼杵市も県内有数の産地です (大分 きらすまめし | 九州の味とともに 夏 | 霧島酒造株式会社)。爽やかな香りと酸味は刺身醤油や鍋物の薬味に欠かせず、フグ料理との相性も抜群です。
一方、庶民の知恵から生まれた臼杵の郷土料理も見逃せません。代表的なのは藩の倹約から生まれた**「黄飯(おうはん)」と「きらすまめし」です。黄飯はクチナシの実で染めた黄色いご飯で、豆腐や野菜、白身魚などを炒め煮した具沢山の汁「かやく」(けんちん汁の一種)をかけて食べます (臼杵の食文化 | 食文化創造都市 臼杵)。質素ながら見た目が華やかで、贅沢できない時代に赤飯の代わりとなる祝い飯として考案されたのが始まりと言われ、南蛮貿易で伝わったパエリアを模したとの説もあります (臼杵の食文化 | 食文化創造都市 臼杵)。一方のきらすまめしは、新鮮な刺身の切れ端や魚の身におから(卯の花)を和えてかさ増しした料理で、「きらす(※おからの古称)をまぶした飯」が名前の由来です (きらすまめし - 【郷土料理ものがたり】)。刺身を無駄なく利用しボリュームアップする工夫が光る一品で、素朴な味わいの中に醤油とカボスがほのかに効いています (臼杵の郷土料理 きらすまめし | 醤油 - フンドーキン)。現在でも家庭料理として親しまれ、飲食店やスーパーの惣菜コーナーでも見かけるほど臼杵では定番の料理です (臼杵の食文化 | 食文化創造都市 臼杵)。これら郷土料理は質素倹約の精神を今に伝えるものでありながら、素材の持ち味を活かした深い旨みがあると評判です (食べる | 臼杵市観光協会)。他にも、大分名物の鶏天(鶏肉の天ぷら)や、新鮮な魚を醤油やゴマで漬け込んだりゅうきゅう**、焼きエソ(魚の一種)を使った若めしなど、多彩な地元グルメが存在します。市内の食事処では有機野菜「ほんまもん農産物」と海の幸を組み合わせた創作料理も提供されており、訪れる人の胃袋を満たしてくれるでしょう (食べる | 臼杵市観光協会)。
デザートや土産品も臼杵ならではのものがあります。江戸時代に参勤交代の携行食として考案されたとされる臼杵煎餅は、臼杵特産の生姜と砂糖蜜を小麦生地に塗り焼き上げた香ばしい煎餅で、素朴な甘辛さが癖になる伝統銘菓です (後藤製菓 臼杵煎餅 – 後藤製菓:大分県臼杵市にある創業大正八年の伝統ある臼杵煎餅製造元です。)。老舗の後藤製菓では手焼き体験や工場見学も受け付けており、出来立ての臼杵煎餅を味わうことができます。ユニークなところでは、味噌や醤油、カボスや臼杵煎餅を風味に活かしたご当地ソフトクリームも人気です (食べる | 臼杵市観光協会)。味噌・醤油仕立てのソフトクリームは甘じょっぱい不思議なおいしさで、臼杵散策の合間にぜひ試してみたい一品です (食べる | 臼杵市観光協会)。カフェや甘味処では他にも臼杵産の柚子や梅を使ったスイーツなども提供されており、食文化の多彩さをデザートでも感じることができます。
おすすめの観光ルート(臼杵城発着モデルコース)
最後に、臼杵城を起点に効率よく主要スポットを巡り、臼杵の魅力を満喫できるモデルコースをご紹介します。
臼杵城跡(臼杵公園)散策(所要:約1時間) – 朝一番に臼杵城跡を訪れましょう。丹生島の小高い丘に築かれた本丸跡へ石段を上がれば、眼下に臼杵の町並みと湾が見渡せます。園内では現存する畳櫓・大門櫓や石垣、空堀を巡り、戦国~江戸期の城の構造に思いを馳せてください。春なら満開の桜が出迎えてくれます (臼杵城跡 | 臼杵市観光協会)。城跡入口には案内板や散策マップ ()も整備されているので、見落としがちなポイントもチェックしましょう。また運が良ければボランティアガイドさんが声を掛けてくれることもあります(予約も可)。
城下町・二王座エリア散策(所要:約1.5時間) – 城を堪能したら、徒歩で城下町エリアへ降りていきます。畳櫓下の古橋口方面から城壁沿いに坂道を下ると、やがて石畳の二王座歴史の道に入ります。ここでは江戸時代さながらの町並みが続き、武家屋敷跡の長屋門や白壁の蔵が連なります (二王座歴史の道 | 日本一の「おんせん県」大分県の観光情報公式サイト)。歴史の道沿いには多くの寺院もあり、趣ある景色に心が和むでしょう。稲葉家下屋敷跡(御殿跡)や旧真光寺を見学しながら、往時の殿様や家臣たちの暮らしに思いを巡らせてみてください (二王座 歴史の道|おおいた遺産|大分を彩る120の美しき遺産)。二王座エリアは起伏がありますので歩きやすい靴がおすすめです。石畳と土塀が続く路地を抜け、城下町の中心だった八町大路方面へ足を延ばせば、商家の面影を残す町並みや野上弥生子文学記念館、酒蔵を改装した観光交流施設「サーラ・デ・うすき」などもあります (二王座 歴史の道|おおいた遺産|大分を彩る120の美しき遺産)。適宜カフェで一服しつつ、ゆったり1~2時間かけて散策しましょう。
昼食(郷土料理または海鮮を堪能) – お昼には臼杵ならではの味を楽しみましょう。二王座エリアや市街地には郷土料理を出す食事処や和食処があります。おすすめは先述の黄飯・きらすまめし定食や、新鮮な地魚を使った海鮮丼です。黄飯に熱々のかやく汁をかけて頬張れば、ほっとする優しい味わいに旅の疲れも癒やされます (臼杵の食文化 | 食文化創造都市 臼杵)。また冬場であればフグ料理ランチも贅沢です。臼杵では昼から手頃な価格でふぐ刺し膳やふぐ唐揚げ定食を提供する店もあります。一年中フグが提供できるのは臼杵ならでは (食べる | 臼杵市観光協会)なので、機会があればぜひ賞味ください。食事の後には老舗菓子店で臼杵煎餅を買い求めたり、味噌屋で味噌ソフトクリームをデザートにするのも良いでしょう (食べる | 臼杵市観光協会)。
国宝・臼杵石仏見学(所要:約1.5~2時間) – 午後は郊外の臼杵石仏群へ足を延ばします。臼杵駅前または市役所付近のバス停から臼津交通バス(野津方面行き)に乗車し、約20分で終点の「臼杵石仏」に到着します (国宝 臼杵石仏(うすきせきぶつ) | 日本一の「おんせん県」大分県 ...)。本数は1時間に1~2本程度です。自家用車の場合は市街地から県道を経て15分ほどで駐車場に着きます (料金・アクセス - 国宝臼杵石仏)。石仏公園に入ると、凝灰岩の絶壁に彫られた仏像群が出迎えてくれます。そのスケールと静けさに圧倒されることでしょう。案内所で拝観券(大人550円)を購入し、遊歩道に沿って第一~第四石窟を巡ります。国宝に指定された仏たちはどれも穏やかな表情で迎えてくれ、中でも第2石仏群の大日如来像は保存状態・造形ともに素晴らしく必見です (Usuki Stone Buddhas | KYUSHU x TOKYO (JAPAN))。石仏の前ではぜひ手を合わせ、長い歳月野ざらしになりながらも守り伝えられた信仰の遺産に思いを致してみてください。道中の説明板やパンフレット(多言語あり)で基本情報を読みつつ巡れば理解も深まります。見学後は隣接の里の駅で地元産品の土産探しをしたり、売店で名物の臼杵せんべいソフトクリームを味わうのもお忘れなく (食べる | 臼杵市観光協会)。
城下町に戻り夕食・温泉 – バスで臼杵駅方面に戻ったら、旅の締めくくりに美味しい夕食をいただきましょう。夜は臼杵港で揚がった新鮮な魚介を使った寿司や和食、あるいは再びフグ料理のフルコースに舌鼓を打つのも贅沢です。臼杵にはミシュランガイドで紹介された割烹もあり、上質な地元料理を楽しめます。また、お酒好きなら臼杵の地酒や麦焼酎もぜひ試してください。まろやかな味わいの日本酒や香ばしい麦焼酎は郷土料理との相性抜群です (臼杵の食文化 | 食文化創造都市 臼杵)。食後は宿に戻ってゆっくり休むか、時間があれば近隣の温泉地へ足を伸ばすのもおすすめです。臼杵市内に有名温泉はありませんが、車で30分ほど行けば別府や大分市佐賀関の温泉も利用できます。旅程に余裕があれば温泉地に宿泊し、臼杵観光とあわせて大分の湯も堪能すると、より一層満足度の高い旅となるでしょう。
以上のように事前に臼杵の歴史や地理、文化を知って訪れることで、単に景色を見るだけではなく背景にある物語を感じながら旅を楽しむことができます。臼杵城跡で戦国ロマンに浸り、城下町で江戸の息吹を感じ、郊外で悠久の石仏に出会い、そして地元の味に舌鼓を打つ——そんな充実した臼杵の旅をぜひ計画してみてください。きっと旅の満足感が一段と高まることでしょう。
※築城目的に関する俗説(隠居城説・毛利氏侵攻対策)については諸説あります。
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