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月山富田城(島根県安来市)の登城の前に知っておきたい歴史・地理・文化ガイド #DJ042
月山富田城(島根県安来市)を起点にした旅行をより満足度の高いものにするために、歴史、地理、文化の情報を総合的にまとめました。
このガイドでは、
月山富田城の歴史(尼子氏の本拠地としての役割、毛利氏との攻防、城の変遷)
城の地理・構造(山城としての立地、防御の特徴、現存する遺構)
文化・観光体験(安来市の伝統文化、食文化、おすすめの観光ルート)
これらの点を詳しくまとめ、旅行者がより充実した体験を得られるような情報を提供します。
月山富田城の歴史
尼子氏の本拠地としての役割
月山富田城(がっさんとだじょう)は室町時代後期から戦国時代にかけ、出雲国(現在の島根県東部)で台頭した戦国大名・尼子氏の本拠地となりました (月山富田城 - Wikipedia)。元々この城は平安時代頃からあったとされ、京極氏が出雲の守護だった時代に京極氏家臣の富田氏や尼子氏が在城しましたが、やがて守護代であった尼子経久(つねひさ)が実権を奪い京極氏を追放、戦国大名として独立します (月山富田城 - Wikipedia)。経久は1486年にこの城を奪取して勢力拡大の拠点とし、孫の尼子晴久(はるひさ)の代には山陰・山陽8カ国に及ぶ大大名へと成長しました (月山富田城 - Wikipedia)。尼子氏は銀山や港を支配し、伝統的製鉄法「たたら製鉄」で莫大な財力を築き上げており、その財力によって月山富田城も山全体に及ぶ大規模な城郭へと整備されました (ガイドとめぐる日本100名城「月山富田城跡」。島根が誇る戦国時代屈指の要害へ | しまね観光ナビ|島根県公式観光情報サイト)。天然の山岳地形を巧みに活かした城は「難攻不落の要塞」と称され、「天空の城」と呼ばれるほど堅牢な造りで知られていました (月山富田城 - Wikipedia)。
毛利氏との攻防
戦国中期には、中国地方の覇権をめぐり尼子氏と毛利氏が激しく争いました。月山富田城は1542~1543年に大内・毛利連合軍による大規模な攻撃(第一次月山富田城の戦い)を受けますが、尼子経久の子・国久ら新宮党の奮戦によってこれを撃退しています (月山富田城 - Wikipedia)。しかし経久亡き後、当主となった尼子義久の代に毛利元就の猛攻を受け、1565年から約一年にわたる籠城戦の末、遂に援軍も尽きて開城降伏しました(第二次月山富田城の戦い) (月山富田城 - Wikipedia)。このとき城方は最後まで持ちこたえ、一度も力攻めで陥落することはなかったとされ、飢えと援軍途絶による開城という形でした (月山富田城跡 | 安来市観光ガイド)。尼子氏はこれにより滅亡し、以後城は毛利氏の支配下となります (月山富田城 - Wikipedia)。毛利氏は守りを固めるため吉川元春を城代とし、各所に石垣を築き瓦葺きの櫓や土塀を設けるなど改修を行いました (月山富田城跡 | 安来市観光ガイド)。堅固な中世山城だった月山富田城は、この毛利・吉川氏の時代に近世的な城郭へと変貌を遂げています (月山富田城跡 | 安来市観光ガイド)。
その後の変遷
関ヶ原の戦い後の1600年、出雲国は徳川方についた堀尾吉晴が領主となり、月山富田城も引き継がれました (月山富田城 - Wikipedia)。堀尾氏は当初この城を居城としましたが、山城の不便さもあって吉晴は城下の平野部に松江城を新たに築くことを決め、息子の忠晴の代の1611年(慶長16年)に月山富田城は廃城となりました (月山富田城 - Wikipedia)。以降、城は放棄され荒廃しましたが、昭和初期にその史跡的価値が見直され、1934年(昭和9年)に国の史跡に指定されています (月山富田城 - Wikipedia)。現在では石垣や曲輪などの遺構が良好に保存され、2006年には日本100名城の第65番に選定されるなど歴史ファンからも高く評価されています (月山富田城 - Wikipedia)。さらに2018年には、「出雲國たたら風土記」として地域の鉄づくり文化を物語る日本遺産の構成文化財にも認定され、城跡と周辺の歴史資源を活かした保存整備が進められています (月山富田城跡 | 安来市観光ガイド)。
城の地理・構造
立地の特徴
月山富田城は島根県安来市広瀬町富田に位置し、標高約190mの月山全体を城域とした大規模な山城です (月山富田城跡 | 安来市観光ガイド)。山麓の飯梨川(いいなしがわ)に向かって馬蹄形(蹄鉄形)に尾根が伸びており、その尾根沿いに大小多数の曲輪(くるわ)が配置されています (月山富田城跡 | 安来市観光ガイド)。山頂部に主郭(本丸)を置き、中腹から麓にかけて二の丸・三の丸など複数の郭が段階的に連なる「複郭式」の構造になっています (月山富田城跡 | 安来市観光ガイド)。山全体を城郭化した広大さは約70万平方メートル(東京ドーム15個分)にも及び、日本屈指の規模を誇る山城です (ガイドとめぐる日本100名城「月山富田城跡」。島根が誇る戦国時代屈指の要害へ | しまね観光ナビ|島根県公式観光情報サイト)。背後の山々や深い谷に囲まれた立地は天然の要害となっており、周囲から攻め登れるルートは菅谷口・御子守口・塩谷口の3方向に限られていました (月山富田城跡 | 安来市観光ガイド)。
防御の特徴
月山富田城は自然地形を巧みに利用した防御構造が特徴です。尾根筋の要所要所には堀切(ほりきり)と呼ばれる人工の切り通し溝が掘られ、敵が尾根伝いに侵攻するのを食い止めました (月山富田城 - Wikipedia)。また毛利氏統治下で築かれた石垣が各所に残り、中腹の千畳平(せんじょうだいら)などでは斜面に張り出した大規模な石垣が現存しています (月山富田城跡 | 安来市観光ガイド)。千畳平からは瓦を葺いた建物の破片や鯱瓦(しゃち瓦)も大量に出土しており、石垣の張り出し部分に物見櫓が建てられていたと考えられます (月山富田城跡 | 安来市観光ガイド)。この城では防御線が何重にも設定されており、万一麓の郭群が突破されても中腹の山中御殿(やまなかごてん)で迎え撃ち、そこも落ちれば最終的に主郭のある月山頂上で籠城する構えでした (月山富田城跡 | 安来市観光ガイド)。山頂部には掘割や土塁が巡らされ、最後の砦として守りを固めました (月山富田城跡 | 安来市観光ガイド)。こうした綿密な防御網によって戦国期を通じ一度も力攻めで落城しなかったともいわれています (月山富田城跡 | 安来市観光ガイド)。
現存する遺構
現在、月山富田城跡には往時の面影を伝える遺構が数多く残っています。主な遺構としては、中腹~山頂にかけての石垣、各所の曲輪跡、尾根を断ち切る堀切、そして生活用の井戸跡などが挙げられます (月山富田城 - Wikipedia)。中腹の山中御殿平(山中御殿跡)は城主の居館があった場所で、広大な平坦地を石垣で囲んだ造りがよく保存されています (月山富田城跡 | 安来市観光ガイド)。その下の「花ノ壇(はなのだん)」と呼ばれる曲輪跡では発掘調査に基づき主屋と侍所の建物が一部復元され、現在は休憩所として整備されています (月山富田城 - Wikipedia)。城内には当時使用された井戸が複数確認されており、花ノ壇の石垣下には直径2m・深さ3mもの軍用井戸があり今も清水が湧いています (月山富田城 - Wikipedia)。また、山頂へ登る登城道の途中には「山吹井戸」と呼ばれる井戸跡も残り、城の重要な水源だったことがわかります (月山富田城 - Wikipedia)。三の丸跡には「双子井戸」と呼ばれる2つ並んだ井戸跡もあり、城内での水確保の工夫がうかがえます (月山富田城 - Wikipedia)。そのほか、二の丸跡地からは石垣や建物礎石の残骸が発見されており、毛利氏による破城(城の破壊)の痕跡と考えられています (月山富田城 - Wikipedia)。遺跡内は遊歩道が整備され、各所に案内板が設置されているため遺構を確認しながら散策できます。さらに見どころとして、二の丸下の太鼓壇(たいこだん)には時報や合図に使われた太鼓櫓があったと伝わり、現在は尼子再興を願った武将・山中鹿之介幸盛(しかのすけゆきもり)の銅像が建てられています (月山富田城跡 | 安来市観光ガイド)。こうした遺構を巡ることで、当時の城の規模や防御力の高さを肌で感じることができるでしょう。
文化・観光体験
安来市の伝統文化
安来市は古くから鉄の町として栄え、日本刀の材料にもなる良質な鉄「安来鋼(やすぎはがね)」の産地として知られます。中世から近世にかけてはたたら製鉄(鉄穴流し製鉄)による鉄づくりが盛んで、出雲国の豊かな砂鉄資源を背景に発展しました (ガイドとめぐる日本100名城「月山富田城跡」。島根が誇る戦国時代屈指の要害へ | しまね観光ナビ|島根県公式観光情報サイト)。城下町富田や安来港は鉄や米の積出港として江戸時代に繁栄し、北前船を通じ全国と交易があったため、多くの文化人や民俗芸能が交流しました (Yasugibushi and Loach Town | YASUGI TRAVEL GUIDE)。その中で生まれ育ったのが安来市を代表する民謡安来節(やすぎぶし)です。安来節は江戸時代中期に町人の間で歌われ始め、明治末期には唄い手の渡辺お糸が一座を率いて全国巡業するなど大流行し、日本を代表する民謡の一つとして地位を確立しました (Yasugibushi and Loach Town | YASUGI TRAVEL GUIDE)。安来節の歌詞には安来の風景や名産が織り込まれ、その歌に合わせて演じられる銭太鼓やどじょうすくい踊りは滑稽味あふれる郷土芸能として広く親しまれています (Yasugibushi and Loach Town | YASUGI TRAVEL GUIDE) (Yasugibushi Performance Hall | Shimane Japan Official Travel & Tourism Guide)。特にどじょうすくい踊りは、ひょっとこのような格好をした踊り手が手拭いに瓢箪を載せ、腰に笊を提げて泥鰌を掬う仕草をコミカルに表現するもので、一見すると必ず笑いを誘う名物芸です (Yasugibushi and Loach Town | YASUGI TRAVEL GUIDE)。安来市内の安来節演芸館では本場の安来節を毎日上演しており(通常公演は土日祝中心)、陽気な唄と踊りを鑑賞した後には観客も舞台でどじょうすくい体験ができる参加型ショーが好評です (Yasugibushi Performance Hall | Shimane Japan Official Travel & Tourism Guide)。このように安来市では鉄づくりの歴史と、そこで育まれた民謡・芸能という二つの伝統文化が色濃く残っており、訪れる旅行者はぜひ両方に触れてみるとよいでしょう。
地元の食文化
安来市を訪れたらぜひ味わいたいのが、地元の名物料理とお酒です。安来といえばどじょう料理が有名で、民謡のどじょうすくいにも歌われる通り、市民にとって泥鰌(どじょう)は昔から身近な食材でした (Yasugibushi and Loach Town | YASUGI TRAVEL GUIDE)。おすすめはどじょうのけんちん汁で、丸ごとの泥鰌とゴボウや人参など山の幸を味噌仕立てで煮込んだ郷土汁は、滋味深く身体も温まる逸品です (Dojo kenchinjiru | Our Regional Cuisines : MAFF)。このほか甘辛い割下で泥鰌を柔らかく煮込んだどじょう鍋や、カリッと唐揚げにした泥鰌なども提供する食事処が市内に点在しています。安来駅周辺や広瀬地区には泥鰌料理を看板に掲げる飲食店が数軒あり、例えば道の駅「あらエッサ」内の食堂や、老舗旅館の食事処などで気軽に味わうことができます (Loach-restaurant | YASUGI TRAVEL GUIDE)。泥鰌の旨味を引き立てる地酒も見逃せません。安来市広瀬町には江戸時代創業の老舗酒蔵吉田酒造があり、名峰・月山にちなむ銘酒「月山(がっさん)」を醸造しています (月山(がっさん) | 日本酒 評価・通販 SAKETIME)。超軟水の湧き水(広瀬藩の殿様が茶の湯に使った名水)と良質な米で仕込む月山はなめらかな口当たりと芳醇な香りが特徴で、地元のみならず全国の鑑評会でも高く評価されている逸品です (月山(がっさん) | 日本酒 評価・通販 SAKETIME)。城下町広瀬の風土が育んだ地酒を、泥鰌料理とともに味わえば旅の思い出も一層深まることでしょう。
おすすめの観光ルート
月山富田城と周辺の文化を効率よく巡るモデルコースを紹介します。歴史と文化の両方を満喫できる欲張りコースです (おすすめコース | 安来市観光ガイド)。
月山富田城跡を探訪(午前) – 朝早めに登城開始。麓の登山口からハイキング感覚で山道を登り、中腹の山中御殿跡や千畳平、井戸跡、石垣などを見学しながら頂上の本丸跡を目指します。往復で約2~3時間程度をみて、頂上からは中海や日本海まで望む雄大な景色も楽しみましょう (月山富田城 - Wikipedia)。下山後は麓の安来市立歴史資料館(道の駅広瀬・富田城併設)に立ち寄り、城の歴史や出土品に触れて知識を深めます(日本100名城スタンプもこちらで入手可能です)。
広瀬町でランチ – お昼は広瀬地区または安来市街に移動し、名物の泥鰌料理を味わいましょう。広瀬から安来市街へは車で20分ほどです。道の駅「あらエッサ」内の食堂では泥鰌の柳川鍋や定食を提供しています (Loach-restaurant | YASUGI TRAVEL GUIDE)。時間が合えば安来節演芸館の近くにある**「どじょう料理専門店」**で、本場の味に舌鼓を打つのもおすすめです。
安来節演芸館で伝統芸能鑑賞(午後) – 土日祝であれば13時台の定期公演に合わせて安来節演芸館へ (Yasugibushi Performance Hall | Shimane Japan Official Travel & Tourism Guide)。コミカルなどじょうすくい踊りや迫力ある銭太鼓の実演を鑑賞し、郷土芸能の楽しさを体感します (Yasugibushi Performance Hall | Shimane Japan Official Travel & Tourism Guide)。公演後は舞台で踊り体験にも参加してみましょう(平日訪問なら事前予約で開催可)。伝統芸能に触れることで、安来の人々のユーモアや心意気を感じられるはずです。
足立美術館で庭園散策と美術鑑賞(午後) – 安来節を楽しんだ後は車で約15分の郊外にある足立美術館へ向かいます。足立美術館は四季折々の美しさを誇る日本庭園が世界的に有名で、日本一の庭園との評価も受けています (おすすめコース | 安来市観光ガイド)。館内には横山大観をはじめとする近代日本画の名品も充実しており、静かな環境で芸術鑑賞ができます。歴史探索で歩き疲れた体を、美しい庭園を眺めながらゆっくり癒しましょう。
広瀬温泉または市内旅館で宿泊(夜) – 旅行を締めくくる夜は、安来市内または広瀬町の旅館に宿を取ると良いでしょう。広瀬町には鷺の湯温泉という温泉もあり、日帰り入浴や宿泊が可能です (Loach-restaurant | YASUGI TRAVEL GUIDE)。旅館によっては夕食時に女将さん自ら安来節を披露してくれるプランを用意している所もあります (Chikuyo | YASUGI TRAVEL GUIDE)。例えば広瀬町のある宿では「女将のどじょうすくい踊り」実演付きの夕食プランがあり、地元の山海の幸に舌鼓を打ちながら安来の文化に触れることができます (Chikuyo | YASUGI TRAVEL GUIDE)。温泉と郷土料理、民謡の余韻に浸りながら一日を振り返れば、安来の旅を心ゆくまで堪能できるでしょう。
このように事前に歴史と文化のポイントを押さえて訪れれば、月山富田城と安来の旅は一層充実したものになります。山城の壮大な歴史ロマンから郷土芸能の笑いまで、多面的な魅力を持つ安来の地をぜひ存分に楽しんでください。 (月山富田城跡 | 安来市観光ガイド)
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