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技術者たちは、19世紀の写真技術を改良し、色が変わるフレキシブルなフィルムを作る。

米国のNSF(National Science Foundation/全米科学財団/国立科学財団)は2022年09月08日に、色が変わる布や触覚を持つロボットを実現する可能性を指摘した。

https://time-az.com/main/detail/77689

NSF助成を受けたMIT(マサチューセッツ工科大学)の技術者たちは、1800年代の写真技術を再利用し、その成果を『Nature Materials』誌に発表したと報告した。

Published: 01 August 2022
Scalable optical manufacture of dynamic structural colour in stretchable materials

Benjamin Harvey Miller,
Helen Liu &
Mathias Kolle
Nature Materials volume 21, pages 1014–1018 (2022)Cite this article

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この実験により、引き伸ばすと色合いが変化するフィルムが完成しました。これは、材料の微細構造の結果として生じる色「構造色(structural color)」を有する材料を製造するための、拡張可能な最初の製造技術である。

「このような材料のスケールアップは、ナノスケールで構造を制御する必要があるため、簡単ではない。「このスケーリングのハードルをクリアしたことで、次のような疑問が湧くようになりました。この材料を使って、人間のような触覚を持つロボットの皮膚を作ることができるのか?そして、仮想拡張現実や医療トレーニングのようなもののためのタッチセンシングデバイスを作ることができるでしょうか?

研究チームは、虹色生物の微小な表面構造を、より大きなスケールで再現することに取り組んだ。

研究者たちは、「マイクロスケールでの制御とスケーラビリティの両方を提供するアプローチは、いくつかのインパクトのある応用の可能性があるにもかかわらず、まだ見つかっていない。」と指摘している。

1800年代から続く写真技術であるホログラフィーをヒントに、この技術を改良し、現代風にアレンジすることに成功した。

研究チームは、透明なホログラフィックフィルムを反射面に貼り付け、フィルムから数メートルの距離にあるプロジェクターを使ってサンプルに画像を投影した。すると、数分後にはフィルムに詳細な映像が映し出された。さらに、フィルムを反射面から離して引き伸ばすと、微細な構造の変化によりフィルムの波長が再構成され、色が変化した。

この技術は、構造的に着色された材料の大規模製造を可能にした初めてのものであり、包帯、包装、表面コーティング、織物、ウェアラブル製品などの改善に役立つと考えられている。

確かに草創期の写真技術には、面白い有機化学が潜んでいる。

例えば、多くの人が知っている世界初の実用的カメラ「ダゲレオタイプ」写真は、ネガポジではなく、ポジポジであった。

それを発見したのは、「ヘリオグラビュール(héliogravures)」と言う写真製版の最も初期の技術を調べていて偶然発見した。

また、ドイツの大学で、教授から、笑いながらそのようなことを聞いたことがあった。

写真撮影で最も貢献したのは、ジョセフ・ニセフォール・ニエプス(Joseph Nicéphore Niépce/1765 - 1833)で、ルイ・ジャック・ダゲール(Louis Jacques Daguerre/1761 - ?)ではなかったことが、現在では明らかになっている。

「ダゲレオタイプ」は、感光材料として、銀メッキをした銅板などを使っていた。

また、ネガではなく、ポジ画像をダイレクトに銀板上に定着させ、そのため撮影された写真は1枚しか存在しなかった。

それは、初期のポラロイドと同じであった。
また、初期のジルー・ダゲレオタイプは露光時間が日中で10〜20分かかり、肖像写真に使えるようなものではなかった。
その後、明るいレンズの開発と感光材料の改良によって最短で数秒程度の露光時間ですむようになった。

それ以前では、1802年にThomas Wedgwood(1771 - 1805)による硝酸銀を用いた方法もあったが、画像を定着する方法にはたどり着くことができなかった。

ジョセフ・ニセフォール・ニエプス(Joseph Nicéphore Niépce/1765 - 1833)は、腐食防止用に使うアスファルトの一種でパレスチナ原産の「ユダヤの土瀝青」(ビチューメン/Bitumen)が、光に当てると硬くなって油に溶けなくなる性質(フォトレジスト/Photoresist)を利用しようとした。
まずは版画の制作を行った。磨いたシロメ(白鑞)の板にビチューメンを塗って、この上に紙に描いたニスを塗って紙を半透明にした絵画を置き、太陽に当てると、絵の線の部分はよく光が当たらず瀝青が固まらないままになる。この板をラベンダー油(ラベンダーの精油/lavande essential oil)で洗うと、光が当たって硬くなった瀝青は残り、線の下にあって固まらなかった瀝青が洗い流され、結果として板に溝が残る。ここにインクを入れて印刷原版にするというアイデアだった。ニエプスは自分の技術を「太陽で描く」という意味から、これを「ヘリオグラフィ(héliographie)」と呼んでいた。

この技術は、有名なエッチングの絵画をコピーする技術「ヘリオグラビュール(héliogravures)」として、多く採用されていた。

また、少数印刷物にも多く採用され、多くのエロチック絵画が残っている。

その中には、デュラーやレンブラントの版画集もあるが、これを作るために、オリジナルの版画にニスを塗って紙を半透明にしたので、すべて破壊された。

ジョセフ・ニセフォール・ニエプスが世界初といわれる写真エッチング「ヘリオグラビュール」を製作したのは1822年で、時の教皇ピウス7世(Pope Pius VII)の肖像を写したものとされているが、その原版は自身で複製を作ろうとしたときに破壊してしまった。

原版が現存する世界最古の写真は、1825年に彼が撮った、『Un cheval et son conducteur(馬引く男)』である(この写真は2002年03月21日にサザビーズに出品され、US$44万3000で落札された。

ジョセフ・ニセフォール・ニエプスは、より進んだ写真技術の開発を進めるため、1829年にパリで舞台背景画家・パノラマ画家・ジオラマ作家として活躍していたルイ・ジャック・マンデ・ダゲールと協力し、光で化学反応する銀化合物を使う研究を行った。

しかし1833年、ニエプスは脳卒中で急死し、彼の研究はダゲールに引き継がれ、ダゲレオタイプとなって1839年に結実した。

ダゲールは1839年に、その発明を政府に買い上げてもらい、毎年6,000フランの年金を受け取ることになった。
一方、ニエプスの遺族にも毎年4,000フランの年金が与えられた。
これに対してニエプスの息子は、ダゲールの成果は全て父の成果を受け継いだだけだと主張した。実際、写真の発明へのニエプスの貢献は長年無視されてきた。
今日では、彼のß日光の作用で感光させてイメージを定着させる技法ヘリオグラフィが世界初の写真の成功例であったことが広く認められている。

私はこれまでに、写真エッチング「ヘリオグラビュール」の版画のコピーを多く見てきたが、その多くの大切なオリジナル作品が消えた。

私の知識は、写真より、印刷技術としての「ヘリオグラビュール」を勉強してきた。

古い有機化学には、まだまだ面白いものが多くある。

1787-11-18---フランスの写真家ルイ・ジャック・ダゲールが生まれた。

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