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干ばつに見舞われたドナウ川で、沈没した第二次世界大戦のドイツ船を発見

CNNは2024年09月11日に、ロイターのハンガリー、モハーチ(Mohacs, Hungary)とセルビア、プラホヴォ(Prahovo, Serbia)からの情報として、第二次世界大戦中にドナウ川(Danube River)で沈没した爆発物を積んだナチス船の残骸が、2024年07月と08月の干ばつで川の水位が下がった後、セルビアの河川港町プラホヴォ(Serbia’s river port town of Prahovo,)の近くで発見されたと報告した。

1950年以前の船4隻もハンガリーのモハーチ近郊のドナウ・ドラヴァ国立公園(Danube-Drava National Park near Mohacs)で発見された。火曜日のドナウ川の水位はわずか1.5メートル(4.9フィート)で、2024年07月と08月の猛暑と長引く干ばつの影響が残っている。

プラホヴォで発見された船は、1944年にナチスドイツの黒海艦隊が進撃するソ連軍から撤退する際にドナウ川沿いで沈没させた数百隻のうちの1隻で、船自体も破壊された。水位が低いときには、残骸が川の交通を妨げる可能性がある。

火曜日、ブダペストのドナウ川の水位は1.17m(3.8フィート)で、これは2018年10月に記録された史上最低の約0.4m'1.3フィート)と比べると低い。洪水時には、ドナウ川の水位は6メートル(19.7フィート)をはるかに超える。

「東ヨーロッパは深刻な干ばつに見舞われており、作物や植物に影響を及ぼしている」と、欧州気象サービス「コペルニクス」(European climate service Copernicus)は今月初めに発表した最新の干ばつ報告書の中でウェブサイトで述べた。

月曜日には待望の降雨があり、週末までにドナウ川の水位はモハーチで約3m(9.8フィート)まで上昇すると予想されており、川は再び沈没船を水没させる可能性が高い。

ポーランド最長の川であるヴィスワ(Vistula)川の水位は記録的な低水位にまで下がり、ワルシャワでは砂州が露出し、水深が浅くなったため、田舎の一部ではヘラジカ(moose)が川を渡る様子が撮影された。

ヨーロッパは川だけだ家ではなく、膨大な数の不発弾が見つかる。

それも米軍が、すぐには爆発しない爆弾を大量に投下し、それは一種の地雷になることが計画された。

空爆の航空写真を見ると、爆発しない爆弾が無数に見つかる。
実に汚い爆弾である。

それでも扱いを間違えると爆発し、死傷者出る。

年中、不発爆弾処理をしていた。特にライン河畔で多く見つかる。
私のいたマインツもライン河畔の街で、ときどき不発弾処理の退避命令が出た。

今回に沈没船も、爆発物を積んだナチス船の残骸である。
扱いを間違えると爆発することだろう。

日本でも、今でも山口県と福岡県の間にある巌流島がある海峡には無数の爆弾が落とされ、その多くは不発弾であると聞いたことがある。

1950年07月27日(昭和25年07月27日)に、広島県佐伯郡東能美島南端から西方1kmの長島の北寄りの海面で大型磁気機雷が爆発して漁船4隻が大破、2隻が小破し、46人が死亡した。

広島県佐伯郡東能美島とは、広島県江田島市に属する島で、西能美島、江田島とは陸続きで一つの島となっている。」」

海難というWebページには、1950年(昭和25年)7月30日: 広島県佐伯郡にある長島の近くで漁船が操業していたところ付近に浮遊していた大型機雷が爆発。これにより漁船4隻が大破し2隻が損壊した。犠牲者46名という記事もあるが、日付が違う。
多分同じ事故だろう。

この地域には、旧海軍の軍港があり、米軍による多くの空爆があったことで知られ、この事件以外にも戦後、多くの事故が起こっている。

呉で魚雷解体中に爆発し8人爆死
1950年05月06日(昭和25年05月06日)に、広島県安芸郡下蒲刈島村下島区の49歳の男性ら8人が倉橋島村の亀ヶ首海岸で不発魚雷3本を潜水して引き上げて解体中、うち1本が爆発して8人全員が爆死した。

江田島で砲弾が爆発し7人爆死
1951年04月02日(昭和26年04月02日)に、広島県佐伯郡三高村の大迫海岸近くで海底から砲弾や50kg爆弾を引き揚げて火薬を抜き取る作業をしていたところ、砲弾が爆発して7人が爆死し、民家2軒が全壊した。

1951年07月25日(昭和26年7月25日)に、広島県安芸郡倉橋村鹿島の室尾ノ浦海岸で5人が魚雷の解体作業中に爆発し、跡形もなく吹き飛ばされ、爆死した。300m離れた民家16軒の窓ガラスも割れた。 

呉で魚雷解体中爆発し5人爆死
1952年09月03日(昭和27年09月03日)に、広島県安芸郡倉橋村鹿島の室尾ノ浦海岸で5人が魚雷の解体作業中に爆発、跡形もなく爆死した。300m離れた民家16軒の窓ガラスも割れた。 

呉で魚雷解体中爆発し7人死亡
1956年05月22日(昭和31年05月22日)に、広島県呉市警固屋通り8丁目の海岸で前日夜に5、6人で佐伯郡飛渡瀬村の海岸から密引き揚げしてきた旧海軍の四一魚雷を男性4人が解体中に突然、爆発して全員爆死した。さらに100m離れた電柱で工事作業をしていた当時20歳の中国電力社員も墜落死、現場から5mの家にいた当時24歳の母親と当時2歳の男児も死亡して計7人が犠牲となり、周辺の13戸は全壊した。

呉の南海岸で砲弾を解体中爆発し6人死亡
昭和31年5月22日、広島県安芸郡倉橋町横島の南海岸で、倉橋町本浦の20代の漁師5人と50代の漁師1人で砲弾を解体中に爆発して全員即死した。この砲弾は英豪軍が愛媛県温泉郡津和地島沖に投棄した25cm砲弾で、6人は密引き揚げをしていたもの。津和地島沖は砲弾密引き揚げの漁船が広島県、山口県、愛媛県から200隻集まり、昭和31年だけでもこの事故までに2人も爆死していた。

米国の雑誌「TIME」は2013年08月13日に、ほぼ60年間、第2次世界大戦の不発弾は西日本の関門海峡の底で眠っていることが、日本の海上自衛隊(MSDF/Maritime Self-Defense Force)の職員によって06月に発見されたと報告した。

海上自衛隊は、戦争の間に関門海峡で約4,500の爆弾が落とされたかもしれないので、より多くの不発弾が発見されるかもしれないと言った。

あんな狭いところに約4,500の爆弾が落とす米軍であれば、軍港があった呉には、さらに多かったことだろう。

2013-08-13---日本は海底で、第2次世界大戦の不発弾を爆破した。
1951-07-25---広島県倉橋島で解体中の魚雷が爆発。死者5人。

https://edition.cnn.com/2024/09/11/climate/low-danube-sunken-world-war-two-ships-scli-intl/index.html

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