ドイツの画家フランツ・マルクが、ヴェルダンの戦いで戦死した。
ArtDailyは2022年03月04日に、20世紀初期のドイツの画家で版画制作者、ドイツ表現主義者活動のキーにった人のうちの1つであったフランツ・マルク(Franz Marc/1880 - 1916)が第一次世界大戦に出征し、1916年03月04日に フランス共和国のロレーヌ地方ムーズ県ヴェルダンで、ドイツ軍とフランス軍の戦いがあった。
俗に「ヴェルダンの戦い(Battle of Verdun)」と言われ、36歳の若さで、フランツ・マルクが命を落としたと報告した。戦死後、鉄十字勲章を受けている。
「ヴェルダンの戦い」では、1916年02月から12月16日までにフランス軍362,000人、ドイツ軍336,000人の死傷者を出した。
第一次世界大戦では、戦車が登場し、空中戦や空爆が始まり、機関銃が現れ、毒ガスが使われ、それまでとは違った悲惨な戦争になった。
それらの新しい武器は、ドイツが開発したが、戦争では負けた。
素晴らしい武器だけでは、戦争は勝てないことが証明された。
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フランツ・マルクは貴族の流れを汲む名家であり、風景画家ヴィルヘルム・マルク(Wilhelm Marc/? - ?)と、その妻で、フランスのアルザス(Alsace, Grand Est, France)で生まれたソフィー・マルク(Sophie Marc/? - ?)の息子として1880年02月08日にバイエルン州ミュンヘン(München, Bayern)で生まれた。
マルクはそんな父親に厳しくデッサンの基礎を教え込まれた。
絵を描くことが大好きだったマルクを、父が褒めてくれることはなかった。
フランツ・マルクが19歳であった1899年に1年間の兵役で軍隊のキャンプに参加し、馬術の訓練で馬の背にまたがり、走り出した時、マルクの心の中で何かが弾け、何者にも束縛されない自由な世界。憎しみも偽りもない動物の純粋さに触れ、マルクは動物が大好きになった。そして動物を描く画家になりたいと思った。
彼は、動物を愛し、動物とひとつになろうとした画家で、動物を描くことが多かった。彼が画家として活躍したのは10年ほどであった。
一生涯かけても認められない画家が多い中で、たった10年間で認められた。
彼が「Der Blaue Reiter(青騎士)」の設立メンバーであったこと、およびその名前が後に、ジャーナルでは、協力しているアーティストのサークルと同義になった。
彼の作品の多くが一般に知られるようになると、ドイツでは論争を巻き起こしたが、他の芸術家たちの間では、その力強いデザイン、色彩、ユニークなイメージが評価された。
これらの作品の多くは、キュビスムやフォーヴィズムなど、主題と概念の重要な側面を結びつけることができた後続の芸術運動への道を切り開いていった。
フランツ・マルクとその仲間たちの作品から影響を受け、また、彼からインスピレーションを受けた芸術家には、ピエト・モンドリアン(Piet Mondrian)やマルク・シャガール(Marc Chagall)、さらにその後にジャスパー・ジョンズ(Jasper Johns)やジャクソン・ポロック(Jackson Pollock)のようなアメリカの著名な抽象表現主義者にも影響を与えた。
没後100年を経た今日、フランツ・マルクはドイツで最も影響力のある画家の一人であると考えられている。そのユニークなスタイルと高度に創造的なアプローチ、そして平凡なものを非凡なものに変える能力を兼ね備えていた。
Verdun Memorial(ヴェルダン記念碑)の緯度、経度
49°11'41.7"N 5°26'01.5"E
または、
49.194903, 5.433736
1940-06-29---スイスの画家で、イラストレーターのパウル・クレーが死去した。
1887-01-03---ドイツ系フランス人画家アウグスト・マッケが生まれた。
1886-03-01---オーストリア系スイス人画家オスカー・ココシュカが生まれた。
1879-12-18---スイスの画家で、イラストレーターのパウル・クレーがベルン近郊で生まれた。