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組織を殺す忖度、死ね。の意味

この物騒なタイトルはヤクザ映画かと見紛うが、なんのことはない、サラリーマン社会における悪習の話である。まあ、忖度はある意味チャカ(=拳銃)のようなものかもしれない。会社の中で、そこら中でブッ放されているからだ(笑)。そうするとどんどん会社の壁が穴だらけになって、倒壊する・・・

まあ、だいたいにおいて、サラリーマン社会では「忖度」が横行する。これは、いわゆる「現場」と呼ばれる営業部門や開発/生産部門よりも、総務や人事、企画、経理などの間接部門で見られることが多く、レイヤーが上がるほど頻出度合いも高まる。レイヤーとは課長や部長、役員など、職位のこと。

一番わかりやすい悪例は、幹部がみな社長に忖度することだ。こうなると、組織は死ぬ。いずれ死ぬ。少なくとも会社の空気は悪くなる。

忖度横行社会の誕生

忖度が頻発する会社は、社長の周りが徐々にイエスマンで固められていく。政治の世界でいう閣僚はもちろん、政権運営の鍵を握る官僚ポストも、旧知の部下みたいなのが務めるようになる。役員はみなイエスマン、主要部門の本部長クラスに気心の知れた言うことを聞く部下を配置。そんな図式が徐々に出来上がっていき、いわゆる「帝国」が築かれる。

こうした帝国の元に運営される組織を「忖度横行社会」と名づける。政治の世界もそう、サラリーマン社会もそう。場合によってはスポーツチームにも、そんなところがあるかもしれない。

さて、こうした帝国が一旦築かれると、それを崩すのは非常にやっかいだ。帝国は見かけ上はどんどん繁栄していくからだ。ただ、それは、繁栄しているように見える「砂上の楼閣」にすぎない。崩れるときは一瞬、の、楼閣だ。

ヘンテコな大義

帝国の元に運営される「忖度横行社会」においては、変な大義が掲げられる。大義とは会社でいうところの○○のスローガン。○○は中期経営計画や社員の行動指針など、いわゆる会社の秩序を形成するものだ。普通の会社の大義は意外と無視される(日々の仕事にはあまり関係がない)ことが多く、それで会社も社長もよかったりする(社長が言うだけで満足してる)。しかし、時として「なんかおかしい」大義が、社員に強制されることがある。帝国の権力者による強権が発動される場合に、そうなることが多い。

みんな「なんかおかしい」と思っても、その大義に意を唱える幹部はいない。何故なら、そんなことでもしたらクビを切られるからだ。幹部はクビを切られることを異様なまでに嫌う。幹部こそ「クビを切られる覚悟で仕事して欲しい」と、一般社員は願っているのだが・・・

唯一の武器は「正義」

大義に抗える唯一の武器が「正義」だ。会社のため/社員のため/仲間のために存在する至極まっとうな思想や考え方であり、それは会社を会社たらしめる極めて重要なファクターでもある。いま流行りのパーパスなんかも、思想はそれに近い。

しかしながら、帝国の大義があまりにも強すぎると、正義は闇に葬られ、唱える社員がいなくなる。その正義は夜の酒場で「愚痴」や「悪態」に変換されて、枝豆やビールと共に消費されてしまう。その場にいるのは、上からの指示で汗水垂らして奮闘する一般社員や中間管理職が多いから、最初はみな共感して大いに盛り上がる。ただ、徐々に「ということは、こんな会社に、俺このまま居ていいのかな?」と、飲み会も終わる頃には思うようになり、そんなことを口に出す輩も出現し始める。ところが、2次会のカラオケでその想いは霧散してしまって、また翌週に同じことを繰り返す。それがサラリーマンのルーティンなのだが、ときに2次会に行かないで家に帰っちゃったりすると、帰りの電車で反芻し、翌朝思い出したりして、割と現実味を帯びてくる場合がある。「将来会社がどんどんつまんなくなっていくのが分かってるのに、そんな組織に居続けて、俺、いいんだっけな?」と。

臭い物に蓋をする

さて、そうした帝国が築かれてしまうと、会社にとって都合の悪い情報が、どんどん経営陣に上がらなくなる。そして不祥事が増える。今までになかったような種類の不祥事も起きたりする。これが「忖度横行」の一つの弊害だ。忖度は組織に歪みを生じさせる。歪みは社員に「普段とは違う行動」を起こさせてしまう。倫理に基づく行動よりも「大義」を重視する人間が増え、それがおかしいと思っても、やってしまう。

真の友人であれば、おかしなところや間違っていることを正すべく、時に辛辣な言葉をかけてくれるが、イエスマンはそんなことしない。そしてイエスマンだらけの環境に一度慣れてしまうと、その環境をわざわざ壊す組織のリーダーはいない。社長が交代するまで、ずっとそのままの世界が続く。これは日本の企業で起きてきたケースをテレビや雑誌で見聞きするだけで十分わかる。企業の凋落要因トップ3に入るのが、会社の中における「忖度横行社会」の存在だ。

忖度の連鎖が生む大量の「無駄作業」

忖度横行社会のもう一つの弊害が「無駄な作業の大量発生」だ。例えば、上司に何かを提案する際は「その目的に相応しい提案かどうか」を重視して提案書を作ればいい。しかし、忖度横行社会では、それに加えて「この忖度が合ってるか、間違っているか」を十二分に検証する作業と、本来不必要な「忖度案」も作らねばならない。結果として作業量が増え、酷いときには2倍〜3倍になったりする。ものすごく「無駄」な時間と労力だ。

プロポーザル(提案)業務のときによく求められる「プロコン」や代案/対案は、もちろんあるに越したことはない。ビジネス上、取引先に提案をする場合には必須のことが多いだろう。しかし、仮に社長に提案するといっても、所詮「社内」である。社内の提案ごとでいちいちそれをギチギチに詰める必要はない。聞かれたら答えられるレベルで十分だ。

そんな、口頭でもいいぐらいの話を資料にまとめさせる上司がなんと多いことか。しかしながら「その無駄を解消すれば、我が部署の労働時間は大幅に短縮できます」なんて、忖度横行社会では口が裂けても言えない。

忖度は、実は極めて高度な行動モデル。相手の癖や思考を十分理解した上で、そのタイミングでの心理状態を正確に読み、それに基づく行動をして相手を満足させることが目的。それこそディープラーニングの世界だ。本来的には機械学習とAIが可能にする技である。だいたい人間には無理な技。

よくテレビドラマで、上司にペコペコしまくる「忖度の極み」みたいな部下が、日頃は「キミ〜、よくわかってるねえ〜」とニヤニヤ褒められながら仕事をし、周囲は「あの腰巾着野郎が・・・」なんて不快に思ってる場面。ところが、ある日突然その上司に「なんでこんなことしたんだ!」と怒鳴られ、部下が必死に「私は〇〇部長のためを思ってやったんです!」「バカヤロー!お前はクビだ!」と、上司の逆鱗に触れるシーンは、誰もが一度ぐらい見たことあるだろう。まあ、その部下の能力の問題もあるだろうが、人間にとって忖度ほど難しいことはない。相手の好みや嗜好は分かったとしても、気分や感情といった「見える化できない情報」まで掴んで行動しなければならないからだ。そんなの無理でしょう。AIですら、相当な情報量を読み込ませないと適切な判断はできないかもしれない。

「期日前提案、省エネ」の法則

私もかつて、ある部門の管理職(課長)として、社長に提案する機会は何度かあった。最初のうちはまあ、自身の上司含めていろいろ気を使っていたが、やはり無駄作業が多く、途中でアホらしくなり、ある技を考案した。名付けて「期日前ゲリラ作戦」である。1)社長から求められた提案を、期日よりも前にする。2)その代わり、担当役員や部長には事前に内容を見せない。3)提案書の中には、担当役員や部長が考えていることを盛り込んでおく。これだけだ。3)がカギを握るので、社長から「提案しろ」と言われた後、私はすぐに担当役員と部長の上司二人に徹底的にヒアリングして「彼らの考え」をメモっておく。

さすがに私もサラリーマン課長なので、直属の上司である部長には、提案の直前に「こういうのを提案しようと思ってて・・・」と見せる。上司としては期日前に提案もでき(これは社長が喜ぶポイント)、かつ、自分の考えも盛り込まれているので、なかなかノーと言いづらい。「え?それ、あした提案するの?」と、予想外のタイミングであることに驚いている部長に向けて「はい。まだ期日前なので、違ったら出し直しますよ」と言って安心させる。で、自分が思うように社長にプレゼンするのだ。そして、そういうプレゼンに限って、一発で社長に通ることが多い。ごちゃごちゃ言われてない分、雑味が少なくキレがある(ビールと一緒)ので、いいプランだからだ。そして、社長も不意を付かれると、提案が的を得てる場合、持論や反論を言うことが少なくなる。「今日はこの提案が来るな」と構えている場合は持論を含めていろいろ言いたくなるのだが、不意を付かれると、そうならない。

期日前提案、省エネの法則。私は、めんどくさいことが大嫌いなので、頭の中は常に省エネ。この法則と作戦は「部下に余計な仕事をさせない」が実現できるので、気に入っています。私は「部下に余計な仕事をさせること」ほど嫌いなことはない。なぜなら自分が部下時代に死ぬほど無駄なことさせられ、振り返ると10,000時間以上は、無駄なことに費やしてきたからです。それは「不毛」という言葉以外の何者でもなく、モチベーションもダダさがり。「その無駄なことが将来の肥やしになるんだよ」なんて、したり顔でいう上司もいましたが、だったら自分でやればいい。部下に無駄な作業をさせて、いいことは一つもありません。断言します。

社長が代わるまで、変わらない。

忖度横行社会の帝国、これを良い方向に変えるには、みんなで寄ってたかって社長に改心を促すしかない。ただ、社長ともなると「改心」させるのは極めて困難。そして、社長自らが改心することは、残念ながら「ない」。

大人になると、人間そうそう変われない。性格や性質はおよそ20代で「固定」される。なので、組織においては、それをよく考えて、相応しいリーダーを選ばないと、とんでもないことになる。「任命責任」が重いのは、企業における後継者、つまり「社長」の任命である。

任命された社長が、その性格や性質を全面に出して変なことをやり出したとしても、正義はもちろん、理論や理屈では、性格や性質の壁を超えることは難しい。どんなに優秀な頭脳の持ち主であっても、だ。だから、もし、越えなければならない壁ができた場合には、力づくで乗り越えていくしかない。時には殴り合いの喧嘩でもして、勝つしかない。会社の中でそんなことしたら大変だが、実は、上手くやる人もいる。「力づくで引き摺り下ろす」ようなことは、案外やろうと思えばできる。「社長と大喧嘩して勝って、社長の椅子を手に入れた」みたいな話はあまり聞かないが、「アイツを引き摺り下ろすために、手を尽くした」という話は聞いたことがある。その代わり、そのときは自らも身を引く覚悟がないと成就しない。サラリーマンで、そこまでやろうとする人はなかなかいない。そんなことしたって、本人には一円の得もないからだ。「社員からの賞賛」という栄誉は手にできるが。

おわりに

忖度横行社会がやっかいなのは、最初そうでなかったとしても、傾向が出はじめると一気に加速して、気づいたときには誰も止められない状態になってることだ。その流れを唯一止める方法は「強力なナンバー2」を置くことだ。企業でいえば副社長といわれる人。威厳というか凄みがあって、常に覚悟を持って仕事する、地味だけど「必殺仕事人」のような人物。社長にも面と向かってNOが言え、そして、意志を翻させる力のある人物だ。そういう人に限って、中身はあったかい人だったりする。ドラマの見過ぎかもしれないが(笑)。

組織は一回死ぬと再生には時間がかかる。これが高校野球のチームぐらいなら、監督を変えれば比較的短期間に再生するが、まあ、それでも2〜3年はかかる。これが大企業の場合は時間のかかり方が深刻だ。だから死ぬ前に措置を施さないといけない。

私は忖度を全面否定しているわけではない。「そんたく」には良い忖度と悪い忖度、すべき忖度とすべきでない忖度、がある。組織を殺す忖度は「横行する忖度」で、それは悪臭を含有した「悪習」だ。私も、良い悪い含め、25年以上にわたって様々な忖度を重ね、上司たちが繰り広げる唖然とするような忖度も垣間見てきた。

と、まあ、忖度にも種類があるが「良い忖度」は仕事を円滑に、周囲をいい雰囲気にする。例えば「相手のことを考えて、一歩先を見て動く/提案する」ような行動が、それに該当する。そういう忖度は、会社の中でも大歓迎。みんなが幸せになれる。

社員が生き生きと働いている会社には、横行するような忖度が、存在していない。


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