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ファーザークリスマス・アンド・レッドドラゴン #パルプアドベントカレンダー2020

■1

 季節外れの黒雲が夕日を押し退けて広がり、荒く波立つ海を星々から隠しつつある。しかし、闇が島へ達するにはいま少しの時間があった。

 カリブ海でも特に小さいその島は起伏が少なく、傾いた夕日でも島の全てに届く。島の南に固まっているイスパニア人の港や原住民の村、ヤシやパインの林だけが斜陽を受け、濃い闇を伴っていた。

 闇の中から炎が放たれた。ヌエバ・グラナダ副王麾下の黒服達が、松明を手にぞろぞろと駈けて行く。

 それを先導するように一人の少女が走る。インディアンらしい赤銅色の肌はなめらかできめ細かい。白い歯を食いしばって赤毛を振り乱し、カモシカのような太腿を晒して必死に駆けて行く。

 少女の目指す先に十字架を頂く家屋がある。真新しい木造の教会であった。大ヨーロッパの堂々とした石造りのものとは比べ物にならないほど簡素で、軽い。ステンドグラスはおろか鐘楼も塔も無い、切妻屋根の平屋だった。しかし監督者の努力のためか島民の腕によるものか、粗末な造りではない。磨き上げられた屋根板と木製の十字架が残光に輝くその様は、まるで黄金のようだった。

「神父様!!」

 たどたどしいイスパニア語の悲鳴が板壁を震わせた。
 教会正面扉の傍らで窓が開き、青い顔の神父が姿を見せる。少女は窓辺にすがりついた。

「神父様、お助けを! 総督が、総督閣下が!」

 神父は微かに震えながら少女を見下ろし、次いでゆるやかな坂を駆けあがってくる兵士たちを見た。

「私を、どうしても妻にするって言って、聞かないんです! どうか……」

 神父は答えずに目を伏せる。少女は窮状を叫び続けるも、彼はどこか上の空だ。

「あの、神父様?」
「嬢ちゃん、そのまま窓から入んな」

 くぐもった声が少女に届く。神父はびくびくと震え、窓辺から下がった。

「早く」

 窓の向こう、腰壁の下に何者かがいるらしいと少女は察した。その酒焼けしたかすれ声に聞き覚えはない。だが背後に迫る脅威から逃れたい一心で、少女は窓台を乗り越えて転がり込んだ。

「窓をしめろ」

 教会の中は洞穴のように暗い。祭壇にはわずかばかりのろうそくが灯り、左右の壁の高窓から覗く夕焼け空が奥まった空間を照らしていた。少女はかすかなその明かりを頼りに声の主を探すも、姿が見えない。いるのは流木のように白く長身の神父だけだ。

「急げ」

 慌てて窓を引き込み、錠を下ろす。そのとたん、神父ともども何かに引っ張られて床に倒れ込んだ。

 外で軍靴の音が鳴り響き、閉じた窓や大扉を叩く。

「神父殿!閣下のご命令です。娘をお渡しいただきたい!」
「追い払えよ神父様。人避けの文句くらい思いつくだろ?」

 少女は四つん這いの神父が震えるのを感じた。暗闇に目を凝らすと、神父の襟もとに短刀が押し当てられているのが見えた。

「し、失礼ながら、ここは祈りの家。助けを求めるものあらば、受け入れるのが役目です」

 見たことのない欧州人の男が壁際でうずくまり、二人を捉えていた。闇のような髪と口ひげが顔を隠し、目だけが暗がりでらんらんと輝く。全身から潮と汗のにおいを放ってはいるが、シャツもズボンも破れなどは見当たらない。

「閣下には、明朝、伺うと、お伝えください。どうかこの場は主の聖名のもと、お引き取りを」
「……ではここで待たせていただく。夜が明けたらご同行頂きましょう」
「ありがとう、ございます。神の祝福があらん、ことを」

 靴音が散り、辺りを回り始めた。並んだ窓が順繰りに光って礼拝堂内をうかがっている。太い腕がより強く、壁際の闇に二人を引き込んだ。

「なるほどべっぴんさんだ。囲いたくなるのもわかる」

 男は鼻が触れそうな距離に少女を引き寄せて笑い、続いて神父の肩を抱き寄せた。

「裏口は?」
「……無い。彼らは夜明けまであのままだろう」
「ならよし」
「神父様、あの……こちらの方は」
「……賊だよ。少し前に押し入ってきた」
「おいおい、俺だって迷える子羊だぜ?」
「黙れ。夜が明ければ警邏達は窓を割ってでも入ってくる。そうすれば貴様は終わりだ」
「じゃ、それまで大人しくしてくれよ」

 青白い神父の頬をピタピタと叩く音がして、小さな悲鳴が堂内に響いた。
 一方少女は強引な男の腕に驚きながらもその顔を窺っている。

「さて、どうしたもんかね」

 男は台形に合掌する天井梁を見上げてぼやいた。船底そっくりの肋骨梁が板張りの天井を支え、数十人の信徒が詰めるだろう祈りの空間を作っている。同じく板張りの壁はあまりにも飾り気がなく、祭壇と十字架がなければ船倉にしか見えない。

 祭壇の上には盃や水盆、そして人形が置かれている。舞台の役者然として並ぶそれらは、馬屋の聖母子を題材にしたものだった。

「……ベレンか」
「え? あ、ああ。じきにナビダッド(クリスマス)だからな」

 男は少女を見下ろし、祭壇を見、再び少女を見る。そして小さく微笑んだ。少女は釣られて笑い返した。

「なによ?」
「嬢ちゃん。イスパニア総督の嫁さんにはなりたくないのか?」
「あたりまえよ! 嫁だなんて言ってるけど、あいつは女が欲しいだけよ」
「違いないな。そこで、ヤツを振るいい案を思いついたんだが、ひとくち乗らないかい?」
「貴様、何を企んで―――」
「神父さん、あんたにとっても悪い話じゃない」
「……何?」
「俺たち3人で、聖夜の奇跡を起こそうじゃないか」

■2


 ◇

 マカリオ総督閣下へ
 御身の忠実なるしもべ ナニギより

 手紙にて失礼をいたします。
 本日、神父様とご一緒すること叶わぬことをお許しください。

 訳あって、今はこの教会を離れるわけにはいかないのです。その事由をここにしたためます。きっとご納得いただけると信じております。

 昨日、総督閣下の、卑賎たる我が身にはもったいないご厚意に動転し、思わず主の声を求めて教会を訪ねました。慈悲ぶかき神父様にご迷惑をおかけしながらも、この乱れ切った心を救い主イエスに鎮めていただきたいと考えたのです。

 そして昨夜、私は夢を見ました。
 私は夢の中、教会で祈りを捧げております。一睡もせず、主と子と聖霊の恵みに感謝をしております。
 やがて夜明けが近くなったころ、祭壇で音がしたのです。はじめは聞き違いかと思いました。しかしそれが二度、そして三度を数えたのです。
 何事かと思い、立ち上がって祭壇をのぞきました。すると祭壇上の盃の中に、イスパニア国王陛下の御顔が記された金貨が三枚入っていたのです。むろん、辺りには誰もおりません。盃は聖餐のおりに神父様がお使いになるもので、金貨なんて入れるはずはございません。
 私は困惑しました。急いで神父様にご報告をと思いました。その時です。天井の上、そのはるか上方から静かなお声が響いてきたのです。
 声は言われました。

『幸福な人よ。迷うことはありません。心のままに振る舞いなさい。貴女自身の愛と真心を守る人となりなさい。明日の夜明け、貴女は再びこの金貨3枚を目にするでしょう。それを周りの人に見せなさい。それこそ貴女が、真心の守り人である証です』

 総督閣下、重ねてご無礼をどうかお許しください。私は、私のような卑賎が、主の御言葉を授かったように思えてならないのです。いま閣下のもとへ駆けつければ、夢で聞いた御言葉に従うことができなくなります。どうか明日の夜明けまで、私に時をお与えください。

 これは私に与えられた試練です。閣下のご厚意も同様です。今、私は全てを捨てて主を信じるべき時なのです。

 そして明日の夜明け、主が私にお与え下さったものを目にするとき、閣下が私をお求めになる心はきっと違うものになっているでしょう。

 主のおっしゃる『真心の守り人』として、私は主と共に新たなる道を歩くことになるでしょうから。

 ◇

 黒雲が低く垂れ込み、波濤と交わらんほどになっている。常に青々とした海も今は濁り猛っている。執務机からそれを眺めつつ、総督マカリオはいかめしい顔で手紙を掲げた。

「これは貴殿の代筆か」
「はい閣下」
「このような世迷言を信じたのかね」

 吹きこんでくる熱帯の風に手紙を泳がせ、目の前に立つ神父を睨み上げる。神父は小さく微笑み、組んだ手を差し上げて頷いた。

「半信半疑でございます閣下。ナニギの夢はセントニコラウスの予言に似ております。ですが私はこの島で、かの予言について一度たりとも口にしたことはございません」
「……奇跡だと言うのか」
「真実であればこれ以上の喜びはございません。しかし何者かがナニギに入れ知恵したとも考えられます」
「それが実情であろう。かの娘をはじめ原住民らの信仰はここまで篤くない。大方、ナニギを恋い慕うものが余を邪魔せんと弄した小細工よ」
「しかし娘の話は兵をはじめ島の者たちに伝わっております。今日中にも奇跡の話は島中が知るところとなりましょう」
「クソッ」

 総督の太い腕が机を小突いた。

「あの娘は、魅力的に過ぎる。神の御側に置いてみよ。不心得者の聖職者達が彼女に群がるところが目に浮かぶわ。ナニギを我がもとに置くことは神の御為にもなろうというのに」
「閣下、どうか落ち着いて。むしろこれは好機でございます」

 神父は窓へゆるやかに歩み寄った。教会のものより数段豪奢な窓枠をそっと撫でる。

「島民はいまだ救い主イエスを信じず、ミサへ積極的に参加しようとはしておりません。ですが娘の言葉が真実となれば」
「主の御技を目の当たりにすれば、事態は変わるか?」
「一朝で宗旨を変えはせぬでしょうが、心揺らぐには違いますまい」

 素早くハンカチで汗をぬぐうと神父はふりかえり、説教の時の如く天井を仰いだ。

「まず原住民共に此度のことを改めて宣伝し、教会へ集めます。彼らには奇跡の証人となってもらうわけです」
「それで?」
「奇跡が起きたらば、閣下と私でそれを認めます。未開地の奇跡、我らの前進をお認めくださった神のしるし。副王陛下もお喜びになりましょう」

 マカリオの細い目が海の方へ泳ぐ。

「そうなればナニギはこの島における主の代理人となる。結局、余のこの思いは果たされぬ」
「いいえ閣下。娘はすぐにサンタフェの教会へ行かねばなりません。御業を他の者達に認めさせるために。この島の奇跡を証明させるために」
「……成程。そのための行儀見習いという名目で私がその身をあずかると」
「あとは閣下のご手腕次第。存分に娘を手懐けられればよいかと。その後、島から娘が消えてもよし。サンタフェへ報告するか否かも閣下のご判断次第です」
「うむ」

 マカリオはぞんざいに手紙を机へと置く。側仕えの少年がすかさず差し出た盆からカップを取った。

「ナニギはどうしている」
「教会に籠っております。護衛も周囲に配置し、戸締りも済ませました」
「とすると肝心の奇跡はどうする。いまから支度できるのか? 主の聖名の下行うのだ。三問芝居は許されん」
「塔を増築するための出入口が屋根に設けてございます。夜の闇に乗じて身軽な者に忍び込ませ、祭壇の聖杯に金貨を滑り込ませましょう」
「……なんとも。貴殿らしい、地味な案だな」

 茶を飲み干し、総督マカリオは朗らかな顔で立ち上がる。厚い胸板が軍服を押し上げた。

「まぁそれ以外ないか。ついでに島の不穏分子も狩りだすとしよう」
「では」
「朝食後、教会へ向かう。ナニギを労ってやらねばならんからな」

 ■

 長身の神父が早足で港を横切っていく。沖の嵐が生んだ波は停泊中のカラベル5隻を揺らしているが、船員たちは平気な顔で甲板を掃除している。何人かが彼へ手を振り、神父は厳かに頭を下げて応えた。

 倉庫群の一角に入り足を止める。木戸を2回叩き、そのまま押し開いた。

「お帰りなさいませ、神父殿」

 神父は素早く引き込まれ、戸が閉められる。彼が驚いて振り向くとそこには闇色の髭の男。室内にはさらに男が3人。窓際で板壁に溶け込むように立つ1人、神父の腕を引いた病的な細身の1人、そして神父を迎えた小柄な男が一人、三角帽子を脱いで胸に当てている。神父を見上げるぎょろりとした三白眼が親しげにウィンクした。

「実に素晴らしいお話しぶりでありましたな! 自分も総督殿であれば勇みたったことでしょう」
「……何者だ?」
「俺の上司さ」

 髭の男が背後から進み出た。

「あんたのおかげで合流できた」
「そうか、海賊の頭領か」
「それほど大それた者ではございません。私は小さな商船を預かる船長に過ぎない」

 渋い顔の神父へ朗らかに微笑み返し、小柄な男は帽子をかぶりなおす。紳士然としているが、その目のぎらつきは薄暗い倉庫の中で浮かび上がらんばかりだった。

「賊、には、違いない。昨夜はこの男にずいぶんと肝を冷やされた」
「ジョシュの無礼は謝罪させていただく。だが此度の商品、もとい策は良いものだったでしょう?」
「うまくいけば、な。原住民共はそこまで愚かではない」
「総督にお気に召していただけたのです。なによりではないですか」
「……あの娘が美しいのは認めるが、私だったらここまで手をかけようとは思わんな。それより」

 神父は船長を警戒しつつ、震える手を髭面に向かって差し出した。

「約束だ。鍵を渡せ」
「鍵?」
「ああ、貞操た」
「貴様には関係ない!!はやく、鍵をよこせ!」
「まだ駄目だ」

 髭の男、ジョシュは微笑んでポケットから粗末な鍵を掲げて見せた。

「東の入江のヤシに釣るしておく。あんたはあと10分はここにいてもらうぞ。俺たちが逃げる間が要る」
「じゅ……」
「あんたの便意に神のご加護があらんことを」
「もう良いかな? ではごきげんよう!」

 窓辺の男が頷き、壁際の男が木戸を開けてあたりを伺う。次の瞬間、4人は黒い風になって外へ消えて行った。

「10分……」

 港を出て影から影、茂みから茂みへ。海賊たちは人目を盗んで駆けて行く。黒雲はついに島の上空まで達し、暑い風が強く木々を揺らし始めていた。

「これはどうも、クラーケンのご機嫌いよいよ斜めって感じですぜ」
「船の無事を祈ろう。クリス、連中の警備は?」
「教会へ50。集落に50向かいやした」
「結構じゃないか。準備を怠るなよマック」
「ヤー」
「船長、俺は別行動します」

 ジョシュの後ろで二人が顔を見合わせる。だが船長は小さく笑った。

「奇跡か」
「ええ。あの娘に約束したんで。絶対に総督の嫁になんかさせないって」
「よかろう行きたまえ。美女をイスパニアへやるなどもってのほか! 上手くやれよ」
「心配ご無用。大工の腕を見せてやりますよ」

 ジョシュは敬礼し、茂みを飛び越えて消えた。最後尾のマックがその背を見送る。

「あの神父が俺達のことをちくったら、ジョシュがまずくないですか」
「なぁに、上手くやるさ」

 小柄な船長は振り返らずさらに駆け、海岸の岩場へと踏み込んでいった。

「何者もファーザークリスマスの道行きは止められん!」

■3

 その日、島は太陽を見ぬまま夜を迎えた。空を満たす暗雲は強い風を島に吹きおろし、教会の周囲で燃える篝火を揺らす。

 木造教会は常にない数の人に囲まれていた。駆り立てられた原住民たちがいくつも車座を作って座り、所在なさげに辺りを見回している。傍らでは長身の神父が一足早いナビダッドの説教を行っていた。

 教会の窓は固く閉じられ、門は外から閂をかけられている。堂内には娘、ナニギが1人で祈りを続けている。

 火縄銃とサーベルで武装した兵士たちが教会の周囲をぶらつき、近寄ろうとする者あらば押し戻す。時折松明の火を屋根に向け、不審な影がないか探っている。総督マカリオは幔幕の下でそれを眺め、士官らとワインを傾けていた。

 そうして時は刻々と過ぎていく。説教が終わり、労いとして糧食が原住民らに配られると集いは宴会の様相を呈しはじめた。彼らは西洋人が何をしようとしているのかいまいちわからず、この事態を祭りとして楽しむことにしたようだった。兵士たちを刺激しない程度に音を抑えて、自分たちの歌を歌い、大地を叩いた。教会に籠る同胞へ届くようにと。その音もやがて途絶え、疲れと沈黙が人々を眠りに誘った。

 物音がしてマカリオは仮眠から目覚めた。
 幔幕を出て周囲を見回すと、原住民たちはどこからか用意した布地を掲げて即席の雨よけを作り、地べたに寝ている。

 懐中時計を取り出すと風が運んで来る雨粒が文字盤にはりついた。太い指がそれをぬぐうと針は4時を回ったところだった。

 不意に強い風が吹き抜けていった。寝ずの番に当たる兵たちが風に足を取られてふらつく。篝火も音を立ててゆらぎ、闇と景色とが明滅する。沖の黒雲が光を放った。雷光の下で波がとぐろを巻いて並び、何かと格闘しているようだった。

 雷鳴が教会の上を通り抜ける。寸の間、風が絶え、全ての音が沈んだ。


 からん、からん。


 直後、響き渡ったその音に広場中の人間が目を見張った。起きている原住民が傍らの同胞をゆすりはじめる。イスパニア人たちはまさかと呟き木造の教会を、その十字架を仰ぎ見た。

 からん、からからからん。

 マカリオは己の胸を抑えた。しばし呼吸を忘れ、木を張り合わせた大扉を見つめた。

「3回、3回ですぞ総督―――?!」

 駆け寄った神父の襟首をマカリオの手がつかみ上げた。

「まだ早いぞ」
「ええ、ええ。まだ動かしてはおりませぬ」

 神父の顔は青を過ぎて土気色となり、背後の幔幕を見ている。そこには軽装のイスパニア兵が小袋を握りしめたまま俯き、祈りの言葉を呟いていた。

「これは、その、つまり、本当に」

 マカリオは神父の頬を張り倒し、教会の扉へ駆け寄った。

「ナニギ、聞こえておるか。マカリオだ。いま何か……」
「閣下」

 扉の隙間より、喜色をたたえたナニギの声が弾み出た。

「私は、奇跡にまみえました」
「そこを動くなよナニギ!!」

 マカリオがそう叫んだ時、警らのイスパニア兵達はその後ろで整列を終えていた。

「破れッ!」

 素早く隊列の後ろへ下がり号令すると、男たちは大扉をありったけの力で蹴り飛ばした。粗末な蝶番が弾け飛び、戸板が蒸し暑い堂内へと倒れ込む。

 そして一同は、うずくまって頭を垂れて聖母子像に祈る原住民の少女を見た。像の傍らには盃が鎮座し、ロウソクの火を照り返していた。

 兵たちは長椅子を避けて散開し、暗がりを松明で照らす。祭壇まで至るとサーベルの剣先で祭壇を覆う布をまくりあげ、その下の闇も暴き出した。火がほこりをきらきらと照らすばかりで、そこには何者の姿もない。

 兵の一人がじりじりと盃へ近づき、崖下を覗くようにその中を見た。

「閣下、ご報告します。金貨が3枚ございます」
「馬鹿な」

 マカリオは大股に祭壇へ駆け寄った。神父もあとから続く。
 兵士の一人はそっと盃を差し上げ、二人の前にひざまずいた。

 粗末な盃の中に輝くものがある。神父が恐る恐る一枚をつまみ上げると、篝火の炎の下で黄金の光を放った。国王フェリペ2世の肖像が捺された4エスクードコイン。

「侵入者を探し出せ!!」

 マカリオは叫び、盃を部下から奪い取るとそれを逆さにした。3枚のコインが板張りの床へ落ち、甲高い音をたてた。

「ナニギよ、お前は手紙に書いてくれたね。教会で夢の声を聞いたのは夜明け前だと」

 娘は応えず、四角い顔の男をじとりと見上げた。

「空はいまだ白んでもおらぬ。お前の夢見た刻限には早すぎる!」

 マカリオは盃を両手で持ち直し、高々と掲げる。

「主よ!迷える我らを救い給え。サタンが偽りと策略を遠ざけ、真実の御業をのみ見させたまえ。もし我が行いが誤りならば、今一度、この盃に金貨を遣わせたまえ!!」

 堂内はおろか、外に控える人々全てに届く声だった。その声が教会の周囲を過ぎ行く間、人々は高まりゆく風の音を聞いていた。

「見給え、ナニギ」

 盃を神父に預け、マカリオは少女の傍らに膝をついた。

「主の御業を見極めることは非常に困難なことだ」
「これは、奇跡でないと?」

 少女は床に捨てられた金貨を指した。

「私の前に現れたものは、違うと?」
「我らは弱く、目先の物事に惑わされてしまう。今一度、主に祈り給え。そうすればきっと、本当の奇跡に出会える」

 少女は俯いて床に手をついたが、やがて顔を上げた。

「……確かに。私達は迷う。閣下のおっしゃる通りです」

 少女はそっと手を伸ばし、総督服の襟をつまむ。マカリオの目尻が緩んだ。ナニギの肩に手を添え、二人はゆっくりと立ち上がる。

「わかってくれたかね?」
「ええ。私の体に目が行ってる貴方を見ていると、よくわかるわ」

 緩んだ目がすぐさま引き締まった。構わずに少女は襟をつかみ続けた。

「金貨も神とやらも私達の目を眩ませる道具よ。でも一つだけ、はっきりしていることがあると思わない?」

 両手で襟を掴み、勢いよく引く。周囲の兵士が動き出すが、遅かった。

「その金貨は、誰かが届けてくれたってことよ」

 ぐらつき、たたらを踏んだ総督の足元が沈んだ。がたりと床板を踏み抜く音ともに少女の影が、闇が、膨らんだ。濃い闇はナニギを、マカリオを包んで十字に広がったかと思うと、その水平に伸びた端から火を噴いた。

「全員動くな! 総督マカリオの命は諸君にかかっているぞ」

 影は大男となって立ち、総督を上回る道間声とラッパ銃で周囲を圧する。
 少女はその背に縋り付いた。一方総督は噴出した男の膝に腹を打たれ、悶えている。

「近づくんじゃあない。ここを血で汚したくなければ」

 ジョシュは両手の銃を放り捨てて総督を引っ立て、短刀を首筋にあてる。銃を構えながらも尻込みする兵たちに見送られ、そのまま教会の外へと出て行った。

■4

 土砂降りの雨が島を包み込んでいた。夜明けはおろか数歩先も見えない暗闇で、時折走る稲光だけが辺りを照らす。その大しけの中ジョシュとナニギはボートを砂浜に押し出していく。

「ほんとに行くの?」
「ああ。船長が待ってる」

 ジョシュの歯が雷の下で輝いた。視線の先の海は沸騰する地獄の釜のようで、一時も沈まることはない。
 がたりとボートが揺れる。二人が中を見ると、縄で縛られ猿ぐつわを噛まされたマカリオが充血した目でジョシュを見ていた。

「このオッサンのことはまかせな」
「大丈夫なの?」
「今回の航海で成果らしいもんが無かった。こいつはせめてもの駄賃さ。船長が良いように使う」
「……助けてくれてありがとう。ほんとうに」
「俺はファーザークリスマスだ。お前さんみたいな子にプレゼントを届けに来ただけさ」

 ジョシュはずぶ濡れの赤毛頭をがしがし撫でると、ボートを押して荒海へと向かう。そして嵐に向かって叫んだ。

「親御さんとカリブを離れな。でなきゃ次はお前さんをさらっちまうぞ!」
「また会いに来てくれるの!?」
「さあな! 約束はできん!」

 沖に雷が落ちる。幾筋もの雷光が走り、ナニギは思わず耳を塞いだ。大きな波が押し寄せてジョシュの頭から打ちかかる。飲み込まれたかに見えたが、黒い背中が海中から再び現れた。

 明滅する光の中、黒い背中はいびつに変じていた。一回り大きく、そして歪んでいる。それが二人分の影だとナニギが気付いた時、手前の方の背中がぐらりと沈んだ。ボートの縁を掴んで踏みとどまるその姿は弱々しかった。

 腹を抑えて俯く影の前に、マカリオが堂々と立っている。その手には赤黒く濡れた剃刀があった。総督は血汚れもかまわず、それでもって猿ぐつわを斬り捨てる。

 ナニギは駆け出た。しかしすぐさま引き戻された。

「行ってはなりませんよ」

 少女が振り向いた時、雷光に神父の青い顔が浮かび上がった。

「閣下! お待たせいたしました!」
「遅い!!」

 マカリオはジョシュを蹴り倒し、海面へ沈めた。神父の後方から兵士達が現れて海へ駆け込み、黒く大きな体を引きずり出して陸へと引く。

 ジョシュは浜へ放り出された。腹を抑える指の間から鮮血が流れ、浜を汚した。返り血に頬を汚したマカリオは兵たちの制止を待たず近寄って、その手指と傷口を踏みつけた。

「なにがファーザーだ、ドブネズミめ! 貴様はここで切り刻み、海にさらしてやる! おい、縄を持て。こいつの首を岩に括りつけてやろう!」

 軍靴が踏みしめたところからさらに血があふれ、豪雨が海へと運び去る。神父に肩を押さえつけられたナニギは、それを見つめるしかなかった。

 ジョシュのボートが波にさらわれ沖へと流されていく。小舟は転覆することなく進み、豪雨と夜の暗闇の中へ消えてしまった。

 それを目で追っていたジョシュは口の端を吊り上げ、

「ハッピー……」

 そして何度目かわからない稲光が辺りを包んだ。

「クリスマス……!」

 雷撃は過たず船を撃った。木造の小舟はたちまちのうちに炎を上げ、海上の光源と化す。荒波が炎を持ち上げ、そのまま宙へと昇った。

「あれは……」

 イスパニア兵の一人が叫ぶ。その声が別種の音に遮られた。

 小舟の燃える音だった。木の爆ぜる音のようだった。焚火のそばで聞くような小さな音だった。浜の人々は暴風と豪雨に聾されているはずの己が耳を疑い、次々に沖を振り返った。

 空は昏く、海は黒い。砂浜の白だけが微かに明るく、ジョシュの流す血がそこを黒く割っていく。宙を行く燃える小舟だけが煌々と輝いていた。

ナニギは、夜の闇と嵐の影を背に天へ上り行くそれを見上げた。

 火が雷を呼び、闇を割った。空も海も一緒くたに分かち、その間から炎が噴出した。獣そのものの猛りが空を、海を、大地を打ち据えた。

 分かたれた狭間の向こうより現れ出でたのは、一塊の炎だった。

 赤々と燃え盛る焔は、人の起こした火ではあり得ぬ形をしていた。火でもって形作られた鞭の如き触腕を数多うねらせ、それが海を貫き、闇を掴み、猛然と波の上を疾駆していた。多腕の炎は脇に幾匹もの海魔を捉え、焼き、悶えさせていた。軟質の肌をもつクラーケン達が炎の触腕に引き裂かれ、あるいは取り込まれて消えていく。

 炎には牙があった。顎(あぎと)があった。舌があった。そしていくつもの燃え盛る目があった。焔はジョシュの小舟を触腕の一つで天に差し上げると、握りつぶすように喰らった。

 浜の人間達から悲鳴があがった。ふるえる者、銃を構え引き金を引く者、剣を抜く者、みな泣き叫んだ。マカリオは浮足立つ部下の中で呆然と、その山のような炎塊を見ていた。

 赤く巨大なそれは顎から炎と黒煙を噴き上げ、火砕流そのものの速度と質量でもって浜辺に迫る。イスパニア兵の全てが怪異のぎらつく目、ぎょろつくその眼球に睨まれた。

 兵たちは潰走した。引き金を引いても弾の出ない銃を投げ、邪魔な刀剣を放り捨てて。神父は祈ることもせず、少女を突き飛ばして茂みへと消えた。ナニギは足から力が抜け、一歩も動けなくなった。

 炎が迫る。命を持った、海を走る炎が。

 マカリオの巨躯をあっさりと飲み込んだその炎の煌めきが、ナニギの視界を真っ白に染めた。

 ■

 火の粉が宙へ舞う。
 かつてイスパニアのカラベルだったものが砂浜に乗り上げていた。

 風は弱まりつつあり、黒雲はその厚みを失って散り始めている。サーベルを抜き放った船長、フランシス・ドレークは焼け落ちつつあるカラベルの舳先に立って笑った。

「イスパニアの皆々様!プレゼントを持参いたしましたぞォ!!」

 辺りには誰もいない。ただ闇のような大男と少女が砂浜に倒れているだけだった。
 ドレークは煙をまといながら鼻を鳴らし、笑った。

「やれやれ、ガチュピン(スペイン半島人)達はジェントルマン流がお嫌いらしい」

 ひらりと飛び降り、男に駆け寄る。男の目元は青ざめていた。ドレークは頷いて己の外套を引き裂き、手当てをはじめる。

 夜明けが海を、青く輝かせ始めている。その沖から1艘の小船が滑り来たった。乗るのはむくつけき男達。中にはクリスとマックの姿がある。彼らはドレークへ向かって手を振った。

「船長!」
「おお、ジョシュを頼む! 傷を負っている」

 男たちは大急ぎで上陸すると大きな影を担ぎ上げた。
 ドレークはそちらを見ずにこんどは少女へ歩み寄り、跪いてその顔を覗く。青い顔をしているが傷一つない。彼は満足げに頷くと、唇の前に人差し指を立てて部下たちを振り向いた。

「撤退するぞ。ここにはもう何もない」

 部下たちは心得て口をつぐみ上陸艇へと駆けだした。それに混じりつつ、ドレークは浜に乗り上げた鹵獲船の残骸を仰ぎ見る。炎により黒く変色したそれは船体の下に総督服をこびりつかせていた。

「おいたわしや総督殿! ロンドンへご招待しようと思っていたのに」

 ドレークはぎょろ目を動かし、平坦な島を眺めた。昨晩の嵐の爪痕大きく、林も建物も無傷ではいなかった。沖から見えていた教会の十字架も見当たらない。

「港はどうだ?」
「”スワン”から狼煙が。成果無しだそうです」
「仕方ない。念入りに焼くよう伝えよう」
「ヤー」
「では帰ろうか諸君。我が”ドラゴン”へ。そして愛しのイギリスへ!」

 上陸艇に跨るとドレークは南の方、南米大陸を向いて笑った。

「そして必ず戻ってくる。イスパニア滅ぼすべし」
「「滅ぼすべし!!」」

 男達もまた獰猛に笑った。

 ■

 そして島は人の手を離れた。

 港の建屋も船も海賊たちに焼き払われ、小さな漁港も嵐で壊滅してしまったため、ナニギ達原住民は親戚を頼って島を渡った。

 もとより島に資源の類は無く、人の手薄な島に海賊の根城を築かせるよりは海上基地として整備すべしという後ろ向きな入植政策であったらしい。そのためかヌエバ・グラナダ政府は破壊されつくした島を復興しようとはしなかった。

 数日後、残された資材を回収するため、ナニギは仲間と共に教会の跡に来ていた。
 教会は積み木を崩したような有様で辺りに散らばっている。嵐で倒壊したのか、あるいは海賊が床下に忍び込むためにどこかを壊したせいかもしれなかった。

 木片を片付けるうち、少女はかつて祭壇だったものを掘り当てた。そばには例の金貨もあった。

 金貨を一枚掲げ、見つめる。だが見つめるうちに視線が滑り、北の青い海を見やる。空もまた青く、黒雲一つない。

 溜息をついて金貨をしまい、しゃがみ込んで廃材に向き合う。だが祭壇横に転がる祭具を見てまた手を止めた。馬屋の聖母子や聖人を象った人形、ベレンを。

「……ハッピークリスマス」

 ぽつりと呟く。人形の一体を拾って土を払い、そっと抱きしめた。
 それは東方三博士の誰かだったが、黒く薄汚れて判別はできなかった。

【FIN】


■あとがき


 曩莫三曼多没駄南滅離苦離蘇婆訶!
 南無大聖散多菩薩!

 ここまでお読みいただきありがとうございます。
 ディッグアーマーと申します。

 クリスマスと言えば人から何か貰える日という程度の認識しかありませんでしたが、昨年のパルプアドカレから「お互いに楽しみ、楽しませる日」と認識を改めました。今回も大いに楽しんで書かせていただきました。このお話が皆さんにもお楽しみいただけることを願っています。

 当初はネタが一切なく、担当日が12月13日と決まったのを幸いにwiki先生の門を叩いたところ、なんとこの日は海賊フランシス・ドレークが世界一周の略奪行に乗り出した日! これは運命とばかりに彼のことをネタにしてやろうと調べ始めました。

 下記が参考文献になります。

 また関連資料として下記を遊行剣禅氏よりご紹介いただきました。
ドレークより少し前の時期の航海日誌を元にしているそうです。


 最後に作中登場した木造教会について。
元ネタはユネスコ世界遺産のチロエ教会群です。素朴でかわいいですね。

チロエ内装photo-1605489455572-ae7fbc7e734b


 さて明日のご担当は『ジュクゴニア』作者のしゅげんじゃさん!
 『宇宙最強のサンタ』!
 滅茶苦茶楽しみです。

 それでは、ハッピークリスマス。

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